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積極的平和主義? [時事問題]


ちょっと話題としては新鮮味がなくなりましたが・・・

19日午後、官邸に入る折、記者から体調について質問を受けた総理は
「体調管理に万全を期すために、先般おととい検査を受けました。これから再び仕事に復帰してがんばっていきたいと思います」とボソボソと答えただけで、早々と取材陣の前を通り過ぎました。
体調不安説が取り沙汰されていますが、あの無愛想、余裕のなさは、口が何を言おうと、不安説を肯定していますよね。

その総理、15日の戦没者追悼式で次の挨拶をしました。全文を上げるまでもないのですが、ネットで拾えたので上げておきます。

【 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。

 あの苛烈を極めた先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、全てのみ霊の御前にあって、み霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。

 今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。

 いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。

 戦後75年、わが国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。

 戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面しているさまざまな課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り開いてまいります。

 終わりに、いま一度、戦没者のみ霊に平安を、ご遺族の皆さまにはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。】
(共同)

戦没者を悼む無難な挨拶とも思えますが、問題だらけですね。朝日新聞は次のように指摘しています。

【 安倍晋三首相は15日、政府主催の全国戦没者追悼式に参列し、式辞を述べた。今年の式辞では、昨年まで繰り返し用いてきた「歴史」という文言が消えた。一方で、首相が外交・安全保障戦略を語る時に使う「積極的平和主義」が初めて盛り込まれた。アジアの近隣諸国への加害責任には今年も言及せず、戦後75年の節目のメッセージは「安倍色」が強くにじんだ。

 ・・・式辞の構成や内容は、少なくとも過去数年、ほぼ同じだ。2019年に「歴史の教訓を深く胸に刻み」としていたくだりは今年、「世界をより良い場とするため」と変わった。12年末に発足した第2次安倍政権では昨年まで「歴史」が式辞に入り、「謙虚に向き合う」「教訓を深く胸に刻み」などと組み合わせて表現していた。
 また、近隣諸国への加害責任については8年連続で触れなかった。1993年に細川護熙氏がアジア諸国への「哀悼の意」を表明し、94年には村山富市氏が「深い反省」を加えた。その後の自民党の首相も踏襲し、安倍首相も第1次政権時の07年には使っていたが、第2次政権では一貫して式辞で言及していない。

積極的平和主義は13年秋、首相が集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更に意欲を示し、国家安全保障戦略(NSS)を議論した有識者会議の中で浮上した用語だ。直後の臨時国会の所信表明で首相は「我が国が背負うべき21世紀の看板」と演説した。
 13年12月に閣議決定したNSSの基本理念に据え、「国際社会の平和と安定及び繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していく」ものと説明。貧困削減や国際保健といった分野での取り組みの強化なども含むとしている。14年以降の通常国会の施政方針演説にも盛り込まれている。】

何が問題かと言いますと、
【 あの苛烈を極めた先の大戦では、300万余の同胞の命が失われ・・・今、全てのみ霊の御前にあって、み霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。】
戦没者を悼む部分ですが、これでは、これだけ大きな犠牲を出してしまった出来事が、まるで自然災害のようではありませんか。

国家が明確な意志を持って始め、国民を動員して継続した戦争によって産まれた犠牲者です。人災です。人災は「お気の毒でした。み霊安かれ!」ではすみません。どこにどういう問題があったのか、きちんと、丁寧に検証され、同じ過ちを繰り返さないように反省されなければなりません。

総理の挨拶ではその部分がそっくり抜け落ちているのですね。昨年は、「歴史の教訓を深く胸に刻み」極めて漠然とした表現ではありますが、善く解釈すれば「反省している」ともとれる表現が入っていました。

今年はそれがありません。「いやー、お気の毒でした!お見舞い申し上げます」大雨被災地の人に寄せる同情の言葉と一緒です。

次の段落では、
【 今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれたもので・・・衷心より、敬意と感謝の念をささげます。】
戦没者に「敬意と感謝の念をささげる」のですから異論はないのですが、この因果関係はおかしくありませんか?

国がやむを得ない事由から戦争を始めた→多くの国民が犠牲になった→その結果、今日の平和と繁栄がある?
この図式はおかしいでしょう?

国が戦争を始めた→内外に大きな犠牲が出た→戦争に負けた→それでも今は平和で繁栄している
こちらが正解でしょう、大雑把に言えば。

そういう流れの中で戦没者を悼むのではありませんか?国の代表として振り返るとすれば「申し訳なかった。誠意を以って弔います。二度とこのようなことがないよう国政に留意します」ということに尽きるのではありませんか?

それから朝日新聞が
「近隣諸国への加害責任については8年連続で触れなかった」と指摘していますが、この戦争は、当時の植民地住民をも動員し、近隣諸国を戦場にしているのです。日本人犠牲者に哀悼の意を捧げるだけでは不十分なのです。

その辺りの認識が、この総理は違っているのですよね。それがあの戦争をいつになっても過去のものにできない理由になっているのですよね。それが新たな紛争の種になっている。

「戦後75年、わが国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました」といくら言っても、口先だけと近隣諸国は捉えますよね。

さて、いろいろ足りないところのある挨拶ですが、「積極的平和主義」というお気に入りのフレーズはちゃっかり入っています。

平和主義というのは、とにかく戦争はしない主義です。主義というのはそういう主張を持って実践しているということですから、この言葉だけでも強さ・積極さを感じさせます。普通は「積極的」などという形容の言葉は要りません。

付けるとすれば、紛争の起こりそうな問題に積極的にアプローチして、どんどん話し合い解決を進めていく外交姿勢でしょうか。

ところが総理の「積極的平和主義」は、日米同盟を強化するとか、敵基地攻撃能力を持つとかすることを意味するので、それって普通の軍事力至上主義ではないですか?

敵基地攻撃能力を持つことがなぜ平和主義なのか?総理のお考えは
「敵がミサイルを撃ちそうになったら、先にそのミサイル基地を攻撃してしまえば、我が国の平和が保たれる」というのでしょう?

確かに飛んできたミサイルを撃ち落とそうとするより、先に敵基地を攻撃したほうが、効率はいいかもしれない。でも、撃ちそうになっても撃たないかもしれないのに、こちらが先に撃ったら、それはただの先制攻撃に過ぎないじゃないですか。真珠湾奇襲と同じです。

敵基地を攻撃するミサイル基地を作れば、そこが狙われます。できるだけたくさん、相手のミサイル基地よりも多く作らないと、「平和」は守れません。

そんな方策が平和主義であるわけがありません。極めて稚拙な、まやかし・誤魔化し・インチキ言葉です!

軍備は最小限、仮想敵国を減らすこと、相互に軍備を減らし、交流を深める歩みが平和主義です。総理の「積極的平和主義」は、まさにその逆ではありませんか!

写真を追加します。いずれも孫の通っていたこども園にて。まだ何かとお稽古事をやっていて、送迎しています。

サルスベリ3色
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ちょっと物真似の一句

ゆらゆらと小枝の先のサルスベリ

お粗末でした <(_ _)>


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