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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで (番外)   [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

 前回「その28」で、どうしたら日本は「基地」と「原発」を止められるか、つまり問題解決の方法について著者矢部宏治氏の考えをご紹介しました。
 それは、
《唯一、状況を反転させる方法は、憲法にきちんと「日本は最低限の防衛力を持つこと」を書き、同時に「今後、国内に外国軍基地をおかないこと」を明記すること。つまり「フィリピンモデル」です。・・・「この改正憲法の施行後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可されない」この条文を一行、憲法に書き込むことができれば、それでゲームセット。この長い長い戦後の対米従属の物語と、米軍と日本の支配層が一体化した安保村の歴史も、終わりを迎えることになるのです。》というものです。

 そして、これを受けて「幾多の試練を乗り越えてでも、これは果たさなければならない戦後日本の課題です。共に頑張りましょう!」と私は結びました。

 しかし、ブログ仲間?の Enrique さんから、下記のコメントをいただきました。少々長いものですが、筋の通った立派なご意見ですので、全文を転記させていただきます。

【 氏は処方箋を示していますが,処方箋が示されても,その薬を処方して飲むなり,病巣を切り取る手術をするなりしないといけません。密約が憲法の上位にあり実質上憲法が崩壊しているというのが筆者の見立てですが,それが,憲法改正さえすれば本当に治るのかどうか。改憲派に悪用されかねません。危ない橋を渡らないとダメだとして,もしおかしな連中に触らせないで良く直したとして,即大丈夫か?という問題もあります。

従来その処方箋どころか,症状がふつふつと見えても,その病気の原因すら探らせず,ひたすら国民の目に触れぬよう伏せて来た密約の歴史を暴いた点では著者を高く評価します。日本人がやって来た事と言えば,子供を不幸にしたくないのでなるべく子供は持たないという事かもしれません。そのうち近年では子供を持ちたくても持てない,そもそも結婚が出来ない若者が増えています。しかし,世の雰囲気は,なにやら正論を言いにくいが,バカ殿様に合わせていた方が安心だと。まず,こういう風潮を変えないとだめでしょう。オリンピックだSMAPだとほだされて本質的な議論を避け続けている日本人は,ガツンとやられないと気がつかないのだと思います。バカ殿様が長持ちして,賢い人はすぐ引きずりおろされるのはなぜなのか?自分の頭で考えることをしないと。騙されても平気な顔をしている日本人。騙され続けても平気な日本人なら仕方が無いのかもしれませんが。

親の政治的見解に子供もなびくのは情けない事です。かつてなら,子供は親に反発する(表向きはしなくても反対の意見を持つことは普通だったと)のが普通だったと思います。武力よりも知恵の方が遥かに大事なのに,どんどんおバカになり,軍事に金を掛けると。相手を攻撃するのではでなくて,しっかり議論する習慣をつけないとお互い消耗するばかりなのに。ゆとり教育の反動が,またぞろ詰め込みではなく,しっかり考えさせ,自分の意見をはっきりと述べさせることでないといけません。正義感の無い若者が多いと思いますが,大人のひどさを反映していると思います。交通マナーの悪いのは老人ばかり。

憲法の崩壊国家から立ち直れません。憲法より上位のわけわからん長いものがあるのだという人が結構います。そういう意識を直さないで,小手先で憲法を書き直すのは危険だと思います。天皇の生前退位まで改憲に利用しようという輩が勢力を持つのですから。自ら正さなければならないのに,自ら進んで隷属状態を望むのですから。良かれと思ってやっている事が,沖縄はもちろん日本の為にならないどころか,アメリカの為にも世界の為にもならないのに。一時の鬼畜米英が,一瞬で絶対的神のような存在になって70年も持つ。本当に世にもおかしな国民です。強いものについて自分だけうまくやろうという恥ずべき性根を持った者たちが,偽りの愛国心を煽り,またそれに喜んでついて行くのですから。

憲法9条の第2項を変えれば全てが上手く行くと。外国軍隊の駐留を認めないと書けばOKと。おかしな方向に憲法を変えずにそれを書けるかどうかという問題と,うまく憲法を書き替えれば,憲法が密約体系の上になれるのか?という疑問は残ります。 】

 この Enrique さんのコメントはなんの資料に基づいている訳でもありませんが、大変説得力があります。日本の、日本人の現状として、日々実感することと符合します。その視点から、矢部氏の提案に疑問を投げかけているのです。
 最初に言い訳を言っておきますが、私も、矢部氏の処方箋は楽天的に過ぎると思いました。これは著者が開陳した重い現実に読者が潰れてしまわないように、敢えて「解決法は簡単なんだ」というメッセージをカップリングさせたもので「当てになるものではない」と思っていました。
 しかし、お説を読んでその趣旨を書いているうちに、この人はこう書いている、この人のご意見としてはこれでいいんだと、今後の処方箋についての批判精神が薄らいでしまいました。

 Enrique さんからご意見をいただいて、やはり、この処方箋は論理的には落ち着くけれども、実現は難しい、絵に描いた餅ではないかと、改めて思いました。
 そこで、今後の在り方については、この本が明らかにした国政の現実を直視するとともに、その外にいる国民の現実をも直視して、ゼロからもう一度考え直そうと思い立ちました。

 問題の一つは、憲法改正です。矢部氏の趣旨に沿った憲法改正が実現する可能性がどれほどあるかです。現状ではゼロです。その旨の憲法改正を望む政治勢力がどれほどあるかというと、現在は微々たるものです。今後種をまいて徐々に増やして行こうではないかという段階に過ぎません。
 一方、自民党の国家主義剥き出しの改憲勢力は、三分の二をつかみつつあるのです。我々は今、三つの問題を抱えています。米軍基地の問題、原子力発電の問題、そしてもう一つ、民主主義を理解しない勢力による日本の独裁国家主義化の問題です。前の二つを解決しようとして、三番目の問題をおろそかにする訳にはいきません。
 順番から行くと三番目の問題が一番重要です。そんな勢力に都合の好いように憲法を変えられてしまったら、米軍にいじめられる以上に、同朋の権力者に虐げられてしまいます。
 時期的に、今は、そうした反民主主義改憲勢力の動きを阻止することのほうが重要、緊急です。

 では、例によって「護憲護憲」「憲法九条を守れ」というスローガンだけで良いのかとなると、そうではないと思います。今は反民主主義国家主義勢力を弱体化することに専念しますが、ある程度形勢が見えたら、矢部氏の提案する憲法改正は政治課題に挙げなければならないと思います。

 ではそれまでどうするのか、「基地」も「原発」も手をこまぬいて見ているだけなのか?というと、そうではないと思います。矢部氏はこれらの問題がなぜ止められないのか、そこに様々な密約や表の条文や制度、ムラの考え方などが厳然と存在することを理由として教えてくれましたが、それがあるからと言ってそれらが決して絶対的なものではない訳ですから、今までどおり、いや、今まで以上に反対の声を挙げて押していけばよいと思います。

 基地の問題は「住民の人権が侵害されている」ことを日米政府に訴え続け、地位協定の見直しや基地の返還を迫っていけばよいと思います。諦めることなく押しまくりましょう。

 原発の問題も同じでしょう。住民が望まないのです。大きな天災などで事故が起こって緊急避難しなければならないことなどを考えると、とてもそんなハラハラ、ビクビクした生活などだれもしたくはないのです。大事な日本列島が人の住めない、作物も獲れない場所に変わってしまうなど、もう懲り懲りなんです。
 そんな声をぶつけて行くしかないでしょう。裏にどんな理由があろうと、諦めず、したたかに当たり前の主張をしていきましょう。

 我々は、こういう政治勢力を育んでいく必要がありますね。

 そんなことを今宵は考えました。ご訪問に感謝します。またご意見をお聞かせください。


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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで その28 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART5 最後の謎-自発的隷従とその歴史的起源》(4)

 時間がなくてしばらく放置してしまいましたが、最後の部分をご紹介します。

《「逆コース」の結果、戦後日本のなかに大きな矛盾が生まれてしまった》

〈「日本の本土への米軍駐留」をめぐって生じた昭和天皇とマッカーサーの対立は、結局、昭和天皇の勝利に終わる。冷戦の始まりによってアメリカの世界戦略が変わり、対日軍事政策も、従来のマッカーサー路線(本土は非武装化し、代わりに沖縄を軍事用差異化する)から、冷戦対応型の新しい路線(沖縄にも本土にも巨大な米軍基地を置き、日本全体を反共の防波堤にする)に方向転換したからだ。
 昭和天皇がダレスへ秘密メッセージを送った翌年の四月、マッカーサーはトルーマン大統領から電撃的に解任される。直接的な理由は朝鮮戦争におけるシビリアンコントロールを無視した行動だったが、トルーマンが自信を持ってこの「第二次大戦最大の英雄」を解任できた背景には、すでに昭和天皇と日本の支配層が軸足をダレスに移していたこともあっただろう。
 こうして占領期中に起きたアメリカの国家戦略の大転換によって、戦後日本という国家の中に、
「すべての軍事力と交戦権を放棄した憲法九条二項」と、「人類史上最大の攻撃力を持つ米軍の駐留」が共存するという、極めて大きな矛盾が生まれてしまった。そうした矛盾を内包したまま、「米軍が天皇制を守る」という非常に歪んだ形で、戦後日本(安保村)の国家権力構造が完成することになった。〉

 要約であるかのような体裁で書きましたが、実は3行端折って、デスマス体をダ体に変えただけです。
 今、265ページまで来ました。本論の最後は279ページ、あと14ページを残すのみとなりました。本書の大半は、広範な事実の指摘に費やされていますので、もともと要約しにくい本でしたが、最後のまとめと今後の提言については、更に要約する余地が少なく、少々縮めて私が要約したかの如くすることは、著作権の侵害になってしまうと思います。
 そこで、この先は、最後の引用を除いて、見出しのみご紹介しますので、ぜひ、原本(集英社インターナショナル出版、矢部宏治著、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』)で直接内容をご確認ください。
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《民主主義世界のリーダーから、「基地帝国」へと変貌したアメリカ》

《日本国憲法のふたつの欠点》

《九条二項の負の起源、「連合国による武装解除」》

《本当の意味での「戦後体制からの脱却」とは》


 これが最後の見出しです。ここから次のメッセージを引用させていただき、本書のご紹介記事の終了といたします。あとは声を掛け合って賛同者を増やし、マスコミや政治家を動かすだけです。共に頑張りましょう!

《唯一、状況を反転させる方法は、憲法にきちんと「日本は最低限の防衛力を持つこと」を書き、同時に「今後、国内に外国軍基地をおかないこと」を明記すること。つまり「フィリピンモデル」です。
そして米軍を撤退させ、米軍駐留の結果として機能停止状態に陥った日本国憲法の機能を回復させる。日本が再び侵略的な戦争する国になることを防ぎ、加えて「大地震の活動期を目前にした原発再稼働」という狂気の政策を止めるには、この方法しかありません。
なぜ私がそこまで断言できるかというと、戦後世界において巨大な帝国に占領され、主権を失った国が、主権を回復するための「唯一無二のセオリー」だからです。憲法を自分たちの手で書き、それに基づき占領軍を撤退させる。それしかないのです。》

《私たちが、はっきりと自分の意思を表明すれば、必ず状況は大きく動き始めます。
「この改正憲法の施行後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可されない」
この条文を一行、憲法に書き込むことができれば、それでゲームセット。この長い長い戦後の対米従属の物語と、米軍と日本の支配層が一体化した安保村の歴史も、終わりを迎えることになるのです。同時にアメリカ国民自身が被害者であるアメリカの基地帝国化も、縮小の方向へ向かうでしょう。だからゴールの姿は見えている。後は逆算して、どうすればそこにたどり着けるか、考えればいいだけなのです。》

 と、矢部先生はしっかり処方箋を書かれています。処方箋は明快なのですが、実際にこれを実施し身体を治すのは患者本人です。
 すなわち、日本国民が認識を共有し、処方箋を受け入れ、日々の生活でその実現を目指さなければなりません。この認識が国民の常識となり、この処方箋の実現を大半の国民が望むようになるまでには、これから、大いなる努力が必要となります。まずは、教員や報道関係者の認識を変えていく必要があるでしょう。
 当然、妨害も予想されます。
 しかし、幾多の試練を乗り越えてでも、これは果たさなければならない戦後日本の、日本人の課題です。共に頑張りましょう!

 続けて書けなくて申し訳ありませんでした。
 ご訪問に感謝いたします。


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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで その27 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

その27
《 PART5 最後の謎-自発的隷従とその歴史的起源》(3)


《沖縄をめぐる軍部と国務省の対立》

〈昭和天皇の「沖縄メッセージ」は、アメリカ軍部にとって、非常に重要な意味を持っていた。アメリカ国内では沖縄の戦後処理をめぐって、軍部と国務省が真っ向から対立していた。
 第二次大戦終結後の米軍の基本構想は、沖縄を国連の信託統治制度のなかの「戦略地区」と位置づけて、事実上の軍事支配の下に置こうとした。
 しかし国務省はそうした軍部の構想に反対で、1946年6月には、沖縄を「非軍事化したうえで」日本に返還すべきだと主張していた。大西洋憲章に始まる「領土不拡大」の大原則があったためである。〉

《国務省の沖縄返還構想が実現していたら、冷戦の歴史も変わったかもしれない》

〈「アメリカ=迫害者」という図式で歴史を見ていたが、国務省やアメリカ国民はきちんと大西洋憲章の理念に従って、沖縄を返還しようとしていたのだ。
 もしこの1946年の国務省の沖縄返還構想(米軍基地をなくしたうえでの返還)が実現していたら、どんなに良かったことだろう。〉

《軍部の勝利を決定づけた「沖縄メッセージ」》

〈1947年になっても、沖縄返還をめぐる国務省と軍部の対立は続いていた。8月5日に国務省が作成した日本との講話条約の草案にも、依然として沖縄を非軍事化したうえでの返還構想が記されていた。
 軍部は真っ向からその案に反論し「帝国主義だという批判のために、アメリカの戦略的立場を変更することはない」と述べていた。
 そうした中、1947年9月19日に絶好のタイミングでマッカーサーに届けられたのが、昭和天皇の「沖縄メッセージ」だった。その中で昭和天皇は、「長期のリースというフィクション」を日本側から提案し、「そのような占領方法は、アメリカが琉球諸島に対して永続的な野心を持たないことを日本国民に納得させるだろう」と述べていた。
 このメッセージはマッカーサーの立場を補強する結果となり、この時期を境に「沖縄から基地をなくしたうえでの返還構想」は勢いを失い、代わりに講話条約第3条のトリックがダレスによって書かれることになった。〉

《昭和天皇の「ダレスへのメッセージ」》

〈それは1950年6月26日に、昭和天皇から来日中だった米国務長官ダレスへ送られた。天皇の側近が口頭でダレスに伝えた。その内容は、約2ヶ月後に正式に文書化され、再度ダレスに送られた。
 このメッセージもまた、非常に重大な意味を持っている。昭和天皇が日本政府だけでなく、マッカーサーも飛び越えて、直接ダレスにコンタクトしたものだったから。
 メッセージのなかで「最近起きた米軍の基地継続使用問題も、日本側からの自発的な申し出で解決され、あのような誤った論争を引き起こさずに済んだだろう」と書かれている。
 論争とは、当時の吉田首相が国会答弁で「私は軍事基地は貸したくないと考えております」と表明していたことをさす。〉

《沖縄への半永久的駐留に続き、本土への駐留もみずから希望した昭和天皇》

〈アメリカは日本の占領を終えるにあたって当初、多国間の安全保障条約を考えていた。しかし加盟予定国の反対によって実現しなかった。しかし、二国間の条約を結んで、日本の独立後も米軍が居座り続ければ、たんなる占領の継続として、また、アメリカが書いた憲法九条二項との矛盾として非難されると考えていた。
 その後の歴史を見れば、憲法九条二項を持ちながら、米軍の駐留を裏側から働きかけたことが、日本国憲法の権威を傷つけ、法治国家崩壊という現状をもたらした原因であることは明らかだ。
 しかし昭和天皇はダレスへの「天皇メッセージ」によって、「日本側からの自発的な申し出」に基づく日本全土への米軍の駐留を提案していた。
 なぜそんなことを自分から提案しようとしたのか。そのカギは、6月25日に朝鮮戦争が勃発していたことにある。〉

《「朝鮮でアメリカが負けたら、われわれ全員死刑でしょうなあ」》

〈「口頭メッセージ」を文書化する作業の時、天皇の側近数名が、パケナム(ダレスに通じる人物)とともに数日合宿して文面を考えたことがわかっている。その議論の中で、天皇の側近のひとりが、「朝鮮でアメリカが負けたら、われわれ全員死刑でしょうなあ」と首筋を叩いて言ったということが、アメリカ側の文書に残されている。
 共産主義革命が起きたら自分たちは首をはねられるとの共産主義への恐怖が、安保村の誕生当初から存在していた。
 戦中から戦後へ続く、共産主義革命への一貫した恐怖が、沖縄や本土への米軍駐留継続の依頼へとつながっていった。それは、日本の支配層全体の総意だったと言ってよいだろう。
 翌年2月にダレスが作った日米安保条約の前文には、
「日本国は、その防衛のための暫定措置として…日本国内およびその付近にアメリカが軍隊を維持することを希望する」と書かれている。
「相手国自身が希望した」という体裁があれば、どんな異常な状況でも「合法化」することは、ダレスにとって、たやすいことだっただろう。
 日本のあまりにもおかしな現状は、国際法上は、国連憲章「敵国条項」の適用としか考えられないが、より本質的な原因としては、
「米軍駐留を日本側から、しかも昭和天皇が日本の支配層の総意として要請した」ところにあったと言ってよいだろう。〉


 本日の要約は以上です。
 いつも気になっていることですが、これは、著作権を侵害しようとしてやっていることではありません。内容を解りやすく紹介するためにしていますので、本書に興味をお持ちの方は、是非、矢部宏治著、㈱集英社インターナショナル発行の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を手にとってお読みください。 

 さて、パート5では、戦後の日米関係における昭和天皇の果たした役割が書かれています。戦後70年経たにもかかわらず、まったく独立国らしからぬわが国の(ぶざまな)現状は、昭和天皇とその側近、および支配層が共産主義革命を恐れるあまり誘導したと記されています。(アメリカ側から見れば、天皇制を尊重することで、東洋の有力な島国を、丸ごと、共産主義等に対する自国の防波堤にすることができるのですから、「渡りに船」だったことでしょう)

 果たして、敗戦国の元首だった天皇が、戦後の体制にそこまで口出しをしたのだろうか、という疑問や驚きを一般国民としては持ちます。しかし、書かれていることは、公開された史料に基いていて憶測ではありませんから、これがほぼ事実なのでしょう。

 また、天皇家の歴史的背景を見ても、この対処法は、大いにうなずけることです。もともと天皇家は、実権を持って君臨してきた存在ではありません。時々の権力者が天皇家を担ぎ、その権威を利用してきたものです。明治天皇も、薩長等の反幕勢力が担ぎ出して政治の中心に置かれた存在です。
 権力者は天皇の権威を利用するし、天皇家は、権力者の庇護を得てその地位を保ってきたのです。日本における天皇制は、ほとんどいつの時代も、そのような権力者との関係で維持されてきました。
 ですから、戦時中は軍部が最高権力者、戦局が悪くなってからは、戦勝国の権力者へと、その関係構築の関心が移っていったことは、容易に想像できます。また、庇護の約束が取り付けられそうもなく、もっとも恐ろしいのが共産主義革命だという認識を持ったことも想像に難くありません。(あるいは、アメリカの恐れていることを先読みしていた可能性もあります。)
 事実上の政治権力、その庇護の上に成り立ってきた伝統から、明治維新以来の政治権力がついえて、アメリカの絶対権力に日本が支配された現実では、天皇家の末裔として、昭和天皇がとった思策は、きわめてあり得るそれだったのではないかと思われます。

 それにしても、大いなる負の遺産ですから、これをなんとかすることが、主権者国民の今後の課題です。

 長文にお付き合いいただきありがとうございました。
 そうだ、季節の写真を2枚添えます。
 関東は干からびた紫陽花が多い中で、なんとか・・・
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 この紅い実はな~んだ?
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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで その26 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

《 PART5 最後の謎-自発的隷従とその歴史的起源》(2)


 《昭和天皇の光と影

〈敗戦後の過酷な状況の中、冷戦の始まりという国際環境の変化をうまくとらえて、思い切った軍事・外交面での対米従属路線をとったことで第二次大戦の敗戦国から冷戦の戦勝国(世界第2位の経済大国)へと駆け上がることに成功したことは昭和天皇の光の部分と言える。
 しかし、昭和天皇は一人の人間であると同時に国家そのものであったわけで、個人の善悪を超えた功罪、光と影があると思う。
 次に影の部分を紹介する。〉

 《安保村の掟・その2

〈「安保村の掟・その1 重要な文章は、すべて最初は英語で書かれている」
 「安保村の掟・その2 怖いのは原爆よりも共産主義」
 近衛文麿という首相を二度つとめ、昭和天皇にも意見の言える数少ない人物が「近衛上奏文」という文章をたずさえ昭和天皇に意見を述べている。その内容は、もはや敗戦は避けられないが、いま降伏すれば、アメリカ、イギリスは天皇制の廃止までは要求してこないはずだ。怖いのは敗戦そのものではなく、敗戦にともなって起こる共産主義革命だ、というものだった。
 共産主義革命が起きた国では、国王や側近たちは地位を追われるだけでなく、首をはねられてしまう。そのことへの肉体的な恐怖が、この近衛の上奏文の背景にはあったのだろう。
 このときは「もう一度、戦果を上げてからでないと、なかなか話はむずかしい」と言って近衛の意見に従わなかった昭和天皇だが、8月9日のソ連参戦で最終的な決断をすることになる。〉

 《安保村の掟・その3

〈「安保村の掟その3 沖縄は『固有の本土』ではない」
 先の「上奏文」から4ヶ月経った1945年7月上旬、ますます悪化する戦況を受け、中立条約を結んでいたソ連に特使を派遣し、アメリカとの和平交渉を斡旋してもらおうという計画が持ち上がる。昭和天皇が近衛を呼んで、近衛のモスクワへの派遣が決定した。
 近衛の訪ソは実現しなかったが、この時日本政府内で決定された和平交渉の具体的条件は、「国土については沖縄、小笠原、樺太を捨て、千島は南半分が残ればよいとするものだった。
 6月23日には沖縄守備隊が壊滅し沖縄戦が終わりを迎えている。本土の防波堤として壮絶悲惨な戦いを強いられた沖縄は、その直後、すでに昭和天皇及び日本の支配層から切り捨てられる運命になっていた。〉

 《昭和天皇の「沖縄メッセージ」

〈PART3で、GHQが人間宣言と日本国憲法を書いて、昭和天皇を東京裁判から守ったところまで説明したが、その日本国憲法の中で、マッカーサーが日本に戦力放棄をさせたため、両者の間に亀裂が入った。
 政治的リアリストである昭和天皇は、5大国が拒否権を持つ国連が、米ソの対立によって機能しない以上、独立後の日本の安全は、本土への米軍の駐留によって確保したいと考えるようになる。この天皇の思いは、政府の頭越しに、1949年9月19日に「沖縄メッセージ」という形で出された。
 これは、天皇の側近寺崎英成がマッカーサーの政治顧問に口頭で伝えた政策提案で、アメリカの公文書により内容が明らかになっている。
「寺崎氏は、アメリカが沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると明言した。
 さらに天皇は、沖縄に対するアメリカの軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期リース-25年ないし50年、あるいはそれ以上-というフィクションに基づくべきだと考えている。天皇によるこのような占領方法は、アメリカが琉球諸島に対して永続的な野心を持たないことを日本国民に納得させるだろう」(「分割された領土」新藤榮一著『世界』1979年4月号)
 このメッセージでだれもが驚くのは、天皇が米軍に対し沖縄を半永久的に占領しておいてくれと頼んだということと、21世紀のいまの沖縄の現状は、基本的にこのとき天皇が希望した状態のままになっているという事実だ。
 このフィクションは、アメリカが沖縄を信託統治領にすることに、まず日本が同意する。そのうえで「実際に信託統治を開始するまでのあいだ」、米軍が沖縄のすべての権力を独占的に握るというトリックとして具現する。このような安っぽいトリックが実際に成立したのは「昭和天皇と日本の支配層がそうした構想に同意していたから」だった。〉


 日本の歴史教育は、たいてい終戦で終わります。その後は、「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という三本柱を備えた日本国憲法ができ、経済復興を成し遂げ、経済大国として国際社会に復帰する。めでたし、めでたし」とまとめられます。しかし現実には、たくさんの矛盾を含んだ悩ましい国であります。矛盾の具体例が、なぜか止められない原発であり、在り続ける米軍基地であり、憲法改正(どう見ても憲法改悪)の動きです。「めでたし、めでたし」どころではない国の不幸がそこにはあります。
 この不幸がいつまでも続き、一向に解決の方向に向かわないところが、この不幸をさらに大きくしています。その原因は、敗戦を挟んで起こった日本の変革の歴史が明らかにされていないために、問題点も原因も、国民にしっかりと伝わっていないところにあります。戦後の変革の経緯はブラックボックスの中に閉ざされていたのです。
 この本で矢部氏が明らかにしようとしていることは、まさにこの点、ブラックボックスをこじ開けて中身を見せることです。昭和天皇の果たした役割が最終章で明かされますが、変革の経緯がそっくりブラックボックスに入ってしまった原因は、まさに、昭和天皇が深く介在していたからだということが推測できます。
 ちなみに、この書でも引用されている『木戸幸一日記下巻』は1966年7月に刊行されており、昭和天皇の関与がまったく闇の中だったわけではなく、研究者はそれなりに事実を調べ公表してきたものと思われます。結局、マスコミの自主規制や、保守政治家の恣意的操作により、こうした史実が国民の眼には触れにくいようにされてきたものと思われます。

 まだ、続きますが今日はこの辺で。お読みいただきありがとうございました。

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで その25 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART5 最後の謎-自発的隷従とその歴史的起源》(1)

 その24から半年ほどたってしまいました。実は一気に臨むつもりだったのですが、最初の部分で躓いて、取り組みあぐねているうちに、夏の選挙に向けての行動のほうが緊急と考え、例の音楽祭を優先することにしたのでした。
 なぜ躓いたかというと、書かれていることは真にもっともなのですが、現実との隔たりが多く、著者と同じ気分になれないのです。人に語りかけ、知識を広めようとする者は、その結果に責任を感じるものです。真実を知って、より明るく正しく、より強くなってほしいものです。そういう願いを込めて、著者は、この最後のパートの最初の部分を書いたのでしょう。

 さて、その書き出し部分ですが、そのまま引用することにします。一部用字が異なりますが、ご容赦くださいますよう。

《 前章の、特に「敵国条項」のくだりを読んで、すっかり暗い気持ちになった方もいらっしゃるかもしれません。私も最初、史実を知ったときは、かなりのショックを受けました。けれどもさらに歴史を調べてみると、そうして落ち込む必要など、まったくないことがすぐにわかったのです。なぜなら現在の日本が直面する苦境とは、実は日本人自らが生み出した認知上の歪み(一言で言えば「自発的隷従状態」)に主な原因があり、問題を整理して再出発することができれば、まだまだ日本の未来には無限の可能性があるからです。
 特に若い読者の方に聞いていただきたいのですが、70年続いた「戦後日本」という国家は、遠からず終焉を迎えます。考えてみてください。首相になった人間が必ず公約と正反対のことをする。すべて社会保障にあてますと約束して増税し、大企業減税を行う。お金がもったいないから、子供の被曝に見て見ぬふりをする。人類史上最悪の原発事故の責任をだれもとらず、何の反省もせずに再稼働しようとする。首相の独断で勝手に憲法の解釈を変える。そんな国が、これ以上続いていくはずがありません。
 前ページの写真がその象徴です。日本政府はいま、世界でも有数と言われる自国の美しい海岸に、自分たちの税金で巨大な外国軍基地を建設しようとしているのです。日本人が少し立ち止まって、そのおかしさに気づきさえすれば、状況は必ず大きく変化するはずです。
「戦後日本」が今後、終焉へと向かう中で、「与えられた民主主義」ではなく(結局そんなものはどこにも存在しませんでした)、本当の民主主義を自分たちの手で勝ち取っていくプロセスが、必ずどこかで始まります。具体的には、新しい憲法を制定して、市民の人権が守られるようなまともな法治国家をいちから作っていくというプロセスです。そう考えると、とてもやりがいのある時代に生まれたと言えるのではないでしょうか。
「敵国条項」の実質的な日本への適用にしても、国際法の中で正統性を持つものではありません。あくまで「沖縄及び日本全土の潜在的基地化」という米軍の方針が裏側で決まった後、条文上のトリックにトリックを重ね、世界中の人の眼から隠蔽されたまま、不正な現状を正当化する「口実」として用いられてきたに過ぎないのです。新しい「国のかたち」を作って、表側で堂々と議論すれば、21世紀のいま、だれが日本人に対して、「お前たちは敵国の人間だから、人権はない」
「沖縄の軍事占領も、首都圏上空の米軍管理区域も、ずっとそのままだ」
などと言うことができるでしょうか。
 そもそも107条を含む国連憲章第17章には「安全保障の過渡的規定」というタイトルがついています。この憲章が調印された1945年6月26日、日本と連合国の戦いはまだ続いていました。戦争が終わり、その処理が終わって、国連が構想どおりに機能するまでの間という前提で書かれた条文なのです。沖縄の軍事基地化と同じく、そうした過渡的な場合に限って適用されるはずだった取り決めを、戦後70年経ったいまでも、ずるずると不法に引き延ばし続けているだけなのです。
 一体どうして、そんなことになってしまったのか。
 この問題が、本書が扱う最後の謎となります。そして結論から言えば、その答えは、
「歴史的経緯の中で、日本人自身が米軍の駐留を希望したから」
「そこには昭和天皇の意向が大きく影響していたから」ということになります。 》

 誤植があったらご免なさい。以上がパート5の書き出し部分です。
 実にまっとうなことが書かれているでしょう?
 それならなんでここで躓いてしまうのか?それは、まっとうでないことが70年以上も続いてきたという現実の重みです。「こんな変なことが長く続くはずがない」と本当に思えるのですが、しかし、長く続かせる勢力があって、それを受け入れてしまう体質も、かなりの割合の国民にあるのです。そういう暗い現実が眼の前にあるものだから、自分の言葉でこの部分を解説することができないのです。
 以降の史実の指摘なら、従前どおり、多少はコンパクトにして説明できるのではないかと思います。

 今宵はこれまでです。紫陽花の写真をいくつか載せたいのですが、夜も更けてきましたので、今日は断念します。
 ご訪問に感謝します。

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで―その24 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   その24

 《 PART4 安保村の謎②-国連憲章と第2次大戦後の世界》(6)

 PART4はあと3節残っています。日本が国連の「敵国」として特殊な事情にあることについての海外の見方と、同じ境遇から戦後の国際社会を歩み始めたドイツとの比較をここで述べています。

フランスの法学者たちの見解


〈戦後世界において日本に与えられた国際的地位というのは、本当にきびしいものだった。
 常識的に考えると、国連に加盟した時点で、その差別的な法的地位は消滅するはずで、日本は国連の予算(分担金)の10%以上を1カ国で負担していることもあり、もう国際法の中に「敵国」など存在するはずがないと思いたくなる。
 ところがそうではない。最も信頼できる国連憲章の解説書である『コマンテール国際連合憲章』(東京書籍)によれば「学説は分かれる」となっている。
 つまり、敵国条項は「死文化している」という説もあるが依然として効力をもっているという説もあるということだ。
 次のような記述もある。
「ソ連をふくむ連合国は敵国条項第107条にもとづく権利を、少なくとも西ドイツとの関係においては放棄したように思われる」別の箇所にはこうも書かれている。
「(西ドイツの行った)東方政策の諸条約は、西ドイツと東側の隣国との関係において、敵国条項第107条を、そして第53条をも無効にした」
 ところがその一方、日本についての記述はどこにもない。ということは、日本に対する敵国条項の効力は、依然として存在している可能性が高いということだ。〉

ドイツの「独立」までの歴史

〈ドイツは第二次大戦後、広大な領土をポーランドやフランスに割譲することを認め、国家としての「謝罪外交」も展開し、必死になって「過去の克服」を行うことで「新しいヨーロッパ」の中心国としての地位を固めていった。
 戦後、わずか6人の首相によって達成されたその「独立」までの歴史を、ごく簡単に説明する。
 まず、戦後最初の首相となったコンラート・アデナウアーは、徹底した対米従属路線を強いられることになるが、そうしたなかでも彼は
「新しいドイツ人は、断固たるヨーロッパ人たるべきだ。そうすることによってのみ、ドイツは世界に平和を保障される」という明確な国家方針を打ち出し、揺らぐことはなかった。
 その後、第4代首相となったビリー・プラントは、「東ドイツの事実上の容認」と、「ハルシュタイン原則(東ドイツと国交のある国とは外交関係を結ばないという、それまでの基本方針)も完全撤回」に踏み切った。
 さらに「ドイツとポーランドの国境」についても、大きく譲歩することを認め、領土問題にも決着をつけた。1970年にはポーランドの首都ワルシャワで、ユダヤ人ゲットー(強制居住地区)の跡地に跪いて献花し、ナチスによるユダヤ人虐殺について心からの謝罪を表明した。
 第5代首相のヘルムート・シュミットも、周辺諸国との融和政策を推し進めた。日本の外交問題について意見を求められると
「日本は周囲に友人がいない。東アジアに仲の良い国がない。それが問題です」と、同じ敗戦国だったドイツからの心からの助言をしてくれた。
 第6代首相ヘルムート・コールは冷戦終結のチャンスをとらえ1990年9月12日に戦勝4カ国(米英仏ソ)と東西ドイツの間で事実上の「講話条約」(通称2プラス4条約)を結び、敗戦国としての名残を全て清算することができた。そして翌年10月3日のドイツ再統一、さらに1993年11月1日のEU創設へと突き進むことができた。
 1990年に結んだ「2プラス4条約」にもとづき、米英仏ソの駐留軍はすべて1994年までにドイツから完全撤退していった。現在ドイツに残っている米軍は、基本的にNATO軍としての制約のもとに駐留しており、ドイツの国内法が適用されている。
 こうして日本と同じく第二次大戦の敗戦国だったドイツは、長く苦しい、しかし戦略的な外交努力の末、戦後49年目にして、ついに本当の意味での独立を回復することができた。〉

経済は世界第3位、国際法上は最下位の国

《それにひきかえ日本は、ドイツのように周辺諸国に真摯に謝罪し、「過去の克服」をおこなうのではなく、戦後まもなく成立した冷戦構造の中、米軍基地の提供と引き換えに、外交と安全保障を全てアメリカに任せっきりにして、国際社会への復帰を果たしました。》で始まる日本についての解説は非常に重要であり、また簡潔にしてこれ以上まとめる余地がないので、本文をすべて引用することにします。簡素化のため文末の「です・ます体」を「だ体」に変えるのみとします。
〈講和条約に通常描かれるはずの敗戦国としての戦争責任も明記されず、賠償金の支払いも基本的に免除された。そして過去に侵略をおこなった韓国や中国などの周辺諸国に対しては、贖罪意識よりも、経済先進国としても優越感を前面に押し出すようになり、戦後70年の間、本当の意味での信頼関係を築くことが、ついにできなかった。
 その結果、日本は世界でただ1国だけ、国連における「敵国」という国際法上最下層の地位にとどまっている。日本全国に駐留し、国内法を無視して都市の上空を飛びまわる在日米軍がその証しだ。いまだに軍事占領がつづく沖縄と、横田、厚木、座間、横須賀など、首都圏を完全に制圧する形で存在する米軍基地、そして巨大な横田空域がその証しだ。そんな国は世界じゅう探しても、日本以外、どこにも存在しない。
 アメリカに従属していれば、その保護のもとで「世界第3位の経済大国」という夢を見ていられる。しかし、ひとたびアメリカから離れて自立しようとすれば、世界で一番下の法的ポジションから、周辺国に頭を下げてやり直さなければならない。それはまさに戦後の西ドイツが歩んだ苦難の道そのものだ。
 いまさらそんな大変なことはやりたくないし、そもそもどうやっていいかわからない。だから外務省が中心になって、米軍の駐留継続をみずから希望し、ありもしない「アジアでの冷戦構造」という虚構を無理やり維持しようとしている。それが現在の「戦後日本(安保村)の正体」なのだ。〉

 まったく矢部先生のご指摘のとおりなんだと思います。「アジアでの冷戦構造」なんか、ありもしない虚構なんですよ。隣国の脅威を誇張することによって、米軍の駐留も、米軍との共同行動も正当化しようとしているわけです。このあたりが世界の視点とは著しくずれていると思われます。
 そんなことより、つまりいつまでもコバンザメをやっていることより、はやく自立・独立して近隣諸国と平和友好条約を結んで東アジアを平和な地域にした方が、よほど日本のためでもあり、世界のためでもあると思うのですが、日本の指導者は、70年変わらず、アメリカの威光を背景に、日本を統治してきました。

 ドイツが戦後6人の首相によって現在の地位を築いてきたことに対し、日本は三十数名も関わっていて、このザマです。この違いはなんなのでしょうか、ここをよく反省しなければならないと思います。
 やはり、日本人は島国根性から脱していないのではないでしょうか。外国が遠くて、島が自分たちの世界なんですよ。その世界の中で立身出世することが大きな生き甲斐で、総理の座を狙ったり、それが無理なようならば大臣の座を狙ったりして生きている政治家が多いのでしょう。また、それをもてはやす人が多いのでしょう。
 外の世界との関わりは二の次なんですよ。
 一方ドイツはヨーロッパの中で揉まれながら国の営みをやりつづけてきたから、そこでの名誉回復、地位向上が大事なことは、国民にとっても政治家にとっても、当然すぎるほど当然なのでしょう。
 情報や物資、人間の移動がこれほど容易になって世界が狭くなっているのに、いつまでも「島国根性」で生きていたのでは、本当に、広い世界をわたってはいけません。広い世界で、こびることなく、威張ることなく、固まることなく、胸を張って、背伸びをしないで、日本人の素晴らしさが滲み出てくるような、そんな国の歩み、人の生き方をするようにしようじゃありませんか!

 そんな感想を持ちました。

 まだ、PART5があります。《最後の謎》と題されています。乗り掛かった船ですから、もう全部行っちゃいます。また、間をおいてになりますが、悪しからず…
 またしても、長いものにお付き合いいただきありがとうございました。
 おまけの写真も今宵は用意できず m(_ _)m

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで―その23 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART4 安保村の謎②-国連憲章と第2次大戦後の世界》(5)

 本日は225ページからです。安保村の謎②の終わりのあたりです。まとめるのが一番難しいところに差しかかったような気がします。全文引用してしまった方がよほど早いのですが、それではお役が果たせませんので、頑張ります。

続・「戦後史の謎」の正体-国連憲章第53条と日米安保条約がもつ二面性

〈 国連憲章の敵国条項である107条と53条1項後半をあわせ読むと、そこに書かれた、国連安保理の許可がなくても敵国を攻撃できる「(略)地域的取り決め」とは、実は日米安保条約のことではないかという仮説が浮かび上がる。
 その根拠としてつぎの経緯が挙げられる。
 日米間の安全保障条約はもともとはフィリピンやオーストラリア・ニュージーランドなどを加えた多国間の地域的安全保障協定として構想されていた。結局、他の加盟予定国が日本に対し不信感が強く、日本と同盟関係になることを拒否したため実現はしなかった。
 結果として、アメリカはフィリピンとは米比相互防衛条約を、オーストラリア・ニュージーランドとは太平洋安全保障条約を、日本とは(旧)日米安保条約を結ぶことになったが、その3つともが当初の構想だった「日本の侵略政策の再現に備える安全保障協定」としての機能を引き継いだと考えることができる。
 もし日本が在日米軍や米軍基地の存在を脅かすような行動に出た場合、米軍はもちろん、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドの軍隊が、国連安保理の許可なく、共同で日本を攻撃できるようになっていた。また法的権利としては、現在でもそうなっている。
 もともと日米安保条約とは、「日本という国」の平和と安全のためではなく、「日本という地域」の平和と安全のために結ばれたものであり、その地域内で最も「攻撃的な脅威」となる可能性が高いと想定されていたのは、なんと、当の日本国だったということである。〉

キッシンジャーと周恩来の在日米軍基地をめぐる会話

〈 こうした歴史を持ち出すまでもなく、在日米軍に二面性があることは、これまで何度もアメリカ側の責任者から証言されてきた。
 かつて大統領補佐官だったヘンリーキッシンジャーは、中国の周恩来首相から「日本になぜ米軍を駐留させるのか」という根本的な疑問を投げかけられた際、
「もし我々が日本から撤退すると、十分なプルトニウムを保有している日本は簡単に核兵器を作ることができる。我々はそれに反対なのだ。」と答えている。また、
「われわれは日本の軍備を日本の主要4島防衛の範囲に押しとどめることに最善をつくすつもりだ。しかし、もしそれに失敗すれば、他の国とともに日本の力の膨張を阻止するだろう」などとも述べている。これをいわゆる「ビンのふた論」という。
 ブルース・カミングスという米国の歴史学者は、第二次大戦後のアメリカの基本戦略について、アメリカの「封じ込め政策」は
「敵対する共産主義国・ソ連とその同盟国の封じ込めばかりでなく、敗戦国・ドイツと日本の封じ込めに向けられていた」と解説している。〉

なぜ日本全土で低空飛行訓練をしているのか

〈 日本はアメリカの「同盟国&属国」というよりも、より本質的には「同盟国&潜在的敵国」だった。
 オスプレイが沖縄へ配備されたときに、米軍は日本全国で低空飛行訓練を行っていることが有名になったが、そもそもなぜこれほど日本全土で演習する必要があるのか。〉

 明記していないが、著者の答の一つは「米軍は日本全土の精密調査を行っている」ということのようである。

原発を標的にした低空飛行訓練

〈 1988年6月に米軍機の一機が、四国の伊方原発のすぐ横に墜落したことがあった。なぜこんな場所を低空飛行していたのか。低空飛行訓練は、基本的に軍事攻撃の訓練だから、演習には必ず標的を設定する必要がある。原発を標的にしていたとしか考えられない。
 米軍機は、日本全土で低空飛行訓練をすることで、いつでも日本中の原発を爆撃できるオプションを持っている。これは疑いのない事実なのだ。〉

160年前に沖縄を測量していた米軍

〈 160年前にペリーが浦賀にやってきたが、その前に沖縄に上陸し、奥地まで行って測量をし、水源や水質の調査もしていた。その時の調査記録が第二次大戦の沖縄上陸戦で使われたことがわかっている。嘉手納には非常に良質で豊かな水源があることを彼らは調査によって知っていた。
 軍隊は、軍用機や武器が油でドロドロになるから常に大量の水で洗浄しなければならない。米軍は70年前に嘉手納に上陸・占拠して、いまなお、そこを最大の軍事拠点としている。
 こうした事実を知ると、日本全国で低空飛行訓練をしている米軍は、いつでも瞬時に日本中の原発を爆撃し、日本全体を壊滅させられるオプションを持っているということがわかる。これでは心理的に対等な交渉などできるはずがない。
 だから、「まず銃をしまってくれ」つまり米軍は撤退してくれと言う必要がある。そうでなければ正常な外交交渉など、絶対にできるはずがない。〉

********************************************
 以上を総括しますと、日米安保条約は、日本の安全を保障するものと思いがちですが、アメリカから見ると、米軍を日本に駐留させて、共産主義国の拡大を阻止するとともに、日本が再び軍事的脅威になることを抑え込むためのものです。米軍は、日本全土を低空飛行して、軍事訓練と地下資源などの調査をしているので、原発を攻撃することも可能ですし、どこにどう米軍を進駐させれば良いかなども、ほとんど知りつくしていると思われます。
「これでは対等の外交交渉などできるはずもないので、まずは米軍に撤退してもらわなければならない」と著者は書いています。

 日本人の多くは、日本の平和と安全のために米軍の駐留が必要で、日米安保条約を結び、地位協定で厚くもてなしていると思っていますが、実際の国際法の文面や現実の日米関係を見ていると、著者の推測を含む解釈のほうが間違いなく真実に近いと思われます。
 核兵器の問題も、日本はアメリカの核の傘に入っていることが周辺国への抑止力になっていると思いがちですが、そういう面があると同時に、日本中の核施設は完全にアメリカの監視下に置かれ、日本が独自に(アメリカの許可なく)核兵器への転用を進めるようなことがあれば、核施設は米軍の攻撃対象になり、核兵器を使われたのと同じ状況になるということでもあります。
 完全に両刃の剣です。
 こんな状況下でも原子力発電を始め、大事故があった後にも当たり前のように再稼働させようとしている日本国の国策とは何なのでしょうか。処分法もない核廃棄物を出し続け、一度事故があればその補償に莫大な費用がかかる発電をコストが安いからとやり続ける・・・?
 いつかアメリカの国力が衰えてきたときに、一挙に核兵器を大量に製造し、核大国に躍り出るつもりでもあるのでしょうか。自分の国のことでも、いろいろ勘繰りたくなります。

 政府の思惑は分かりませんが、米軍に完全に牛耳られている国に住んでいるのは、精神衛生上好ましくありません。なぜって、選挙権があって国会議員を選んでも、国会運営がいい加減なのですから。
 憲法があっても、違憲と言われようが何と言われようが、逸脱したことを政府が平気でやってしまうのですから。
 裁判所があるじゃないかと言っても、「高度な政治判断は司法には向かない」とか何とか言われてしまうのですから。
 著者は「まずは米軍に撤退してくれと言う必要がある」と書いていますが、戦争前から準備して、70年もかけて仕上げてきた米軍の日本駐留を、「どうもありがとうございました。これで結構ですから、どうぞお引き取り下さい」って言えば引き取ってくれるのでしょうか。そうは簡単には行きそうもありません。
 著者自身も、「まずはアメリカと国際社会に向かって言いだす必要がある。そうしないと、ことは絶対に進まない」と言いたいのです。

 さて、日本国民としては、まずはお引き取りいただく宣言をして、その間に、米軍に代わる軍事力の備えをするのではなく、軍事力に頼らない平和外交宣言をする必要があります。今のアベ政権のような国家主義的独裁主義で周辺諸国に緊張を与えるような外交政策ではなく、周辺諸国との平和友好条約・不可侵条約の締結を柱とする、信頼される国づくりをやり遂げなければなりません。
 国民からも、諸外国からも、真に安心できる民主国家を創って、米軍にお引き取り願い、敵国条項からも外してもらうという、そんな方法しか、もはやないでしょう。

 私見が多くなりました。(本書の勉強はまだ続きます)

 余談になりますが、ジパング党事務局としては、これを、外交政策の基本(のたたき台)としたいと思います。奮ってご意見をお寄せ下さい。

 お読みいただき大変ありがとうございました。以下はおまけの写真です。

 10月30日、大船の植物園にて。秋が一番花がきれいに咲くような、そんな感じがします。
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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで その22 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART4 安保村の謎②-国連憲章と第2次大戦後の世界》(4)

   《占領継続のトリック(講話条約第6条)

〈なぜ沖縄が今になっても米軍の軍事占領状態にあるのか、また本土でも、なぜ首都圏の上空全体が米軍に支配されていて、日本の飛行機はそこを飛べない状態が続いているのか。それは日本の独立の条件となったサンフランシスコ講和条約の中に、次のようなトリックが仕掛けられているからだ。
 もともとポツダム宣言では、
「占領の目的が達成され、日本国民自身が選んだ平和的な傾向をもつ政府が成立したら、占領軍はただちに撤退する」(第12項)と明記されていた。
 サンフランシスコ講話条約にも
「連合国のすべての占領軍は、この条約の効力が発生したあと、なるべくすみやかに、かつ、いかなる場合にも90日以内に、日本から撤退しなければならない」と書かれていた。
 しかし現実には、アメリカによる軍事占領状態が継続した。それはなぜなのか、答えは上の条文の次に
「ただしこの条文の規定は、二国間で結ばれた協定〔=日米安保条約〕による外国軍の駐留をさまたげるものではない」と書かれていたからだ。
 つまり、ひとつの条文の前半で、大西洋憲章以来の「領土不拡大の原則を高らかにかかげながら、後半では、日米安保条約による米軍の駐留はその例外としたわけだ。〉

   《沖縄軍事基地化のトリック(講話条約第3条)

〈同じく領土不拡大という大原則のかげで、なぜ沖縄本島の軍事基地化というような国際法違反が可能になったのか。それはやはりサンフランシスコ講和条約の第3条に同じようなトリックが仕掛けられていたからだ。第3条の条文は非常に難解なので翻訳して説明する。この条文の前半には
「日本は、アメリカが国連に対して、沖縄や小笠原などを信託統治制度のもとにおくという提案をした場合、無条件でそれに同意する」
と書かれている。
 しかし同条後半に
「そうした提案がおこなわれるまでアメリカは、それらの島や住民に対し、行政、立法、司法上のすべての権力を行使する権利をもつ」という内容が書かれている。そして、結局アメリカは、1972年の沖縄の本土復帰まで、一度もそうした提案をしなかった。
 こうした法的トリックによって、アメリカは誰からも規制されることなく、沖縄に対して戦後も無法な軍事支配を続けることができたのだ。
 現在でも沖縄は国連の信託統治制度によって占領されていたと思っている人が多いがそれは誤解で、もし信託統治制度だったら、占領期の沖縄ほどひどいことになるはずがなかった。〉

   《講和条約(平和条約)に関する問題に、国連憲章は適用されない

〈こうした講話条約のトリックは、小手先のトリックで、あきらかに、大西洋憲章や国連憲章の大原則に反している。どうしてアメリカ以外の連合国諸国が、そうした見えすいた国際法違反の条項に反対しきれなかったのか、その謎が、先の敵国条項、国連憲章第107条を読んで解けたわけだ。
 国連憲章はさまざまな理想主義的条項を定めているが、「敵国」に対する戦後処理については、そうした条項はすべて適用されない、適用除外になるということだ。
 そこで、講話条約の第6条にもとづき日本に駐留する米軍や、第3条にもとづいて支配された沖縄に関しては、いくらその実態が「民族自決の原則」や「人権の尊重」に反していても国際法には違反しないということになる。〉

   《沖縄の問題は、人権ではなく人種差別でしか扱えない

〈以前、国連で働く日本人に
「沖縄の現状を国連人権理事会で問題にしてほしい」と頼んだところ、「それは無理で、人種差別についての勧告ということになります」との返事をもらった。福島の原発事故に関しても人権理事会の委員長から任命された専門家が日本にまで来て放射能汚染の実態を調査し、日本政府に対して住民の健康を守らせるための詳細な勧告をしている。それなのになぜ沖縄の問題だけは国連の人権理事会が声明を出してくれないのか。〉

沖縄や本土の「人権条項の適用除外」の源流は、国連憲章「敵国条項」だった


〈調べてみると、国連が沖縄の米軍基地問題を取り上げる場合は、いつも人権理事会ではなく国連人種差別撤廃委員会による「人種差別についての懸念表面」という形になっている。
 日本の講和条約をめぐる問題については、国連憲章は効力を発揮しないので、沖縄の米軍基地問題についていくらそれが人権を侵害していても、国連人権理事会はアメリカ政府に対し勧告を行うことができない。しかしそうした現状を放置している事は、沖縄人(琉球民族)という「人種の違う民族」への差別にあたるとして、日本政府に対し勧告することができる。
 沖縄や本土の人々を苦しめている不条理、つまり航空法など「人権条項の適用除外」の源流は、この107条による「国連憲章すべての適用除外」にあったのだ。〉

 以上をおさらいしてみます。

 世界には国連があり、国連には人権理事会があっても、
① 国連とは国際連合と訳されているが、戦中の連合国の組織で、日本はその中では「敵国」に当たり、「敵国条項」が適用されること
② 国連憲章よりも二国間の講和条約のほうが優先し、その講和条約には条件付きではあるが、アメリカが、沖縄の島や住民に対し、行政、立法、司法上のすべての権力を行使する権利をもつことが巧みに記されていること
③ それが日本政府の受容体質により、日米安保条約や地位協定に引き継がれて今日まで来ていること
 こうしたことのために、日本人は、日米関係がもたらす人権侵害に関しては、国際機関の保護や監視の対象になっていないということであります。
 また、日本の国には「日本国憲法」があり、基本的人権が保障されているはずですが、安保条約がらみのことは「司法になじまない」という最高裁の尻込み判決のために、憲法による人権保障も適用されません。

 これがこの国の民の持つ権利の実態でした。戦後はまだ、なんにも終わっていません。

 さてそんな状況下、沖縄では、辺野古の基地建設をめぐり、建設反対を公約に掲げた翁長県知事が、建設承認を取り消す決定をするなど、国との間で大きな問題になっています。上記の背景を踏まえ、どのような解決策が望ましいのでしょうか?

 国が外国と結んだ取り決めに基づいて進める工事に、地元住民と地元自治体が反対しているのです。国際法的背景は上記のごとしですが、沖縄県民の戦中から戦後70年の受難の歴史も、筆舌に尽くしがたいものがあり、多くの日本人の知るところでもあります。このため、沖縄住民の反対運動を熱心に支持している国民は少なくありません。

 普通なら、政府の外交政策に従うのが国民の立場でありましょうが、長きにわたり、人権が守られていない状況を放置しつづけてきた国が、この点を住民から突き付けられているのです。
「この国民の正当なる要求をいつまでも無視するわけには、あるいは金で誤魔化しつづけるわけにはいかない」と判断するのが、日本国の当たり前の政治家でありましょう。

 過ちを正すよい機会ではありませんか。この計画を無理やり実行することは止めるべきです。いくら国際法上の抜け道をくぐりぬけ、まかり通るはずのことでも、また日本が「敵国条項」に当たる国であっても、70年もの歳月を経てきているのです。世界には国際法があるかもしれませんが、それを動かす国際世論もあります。国民世論が背景となれば、国際世論も動くに違いありません。
 政府は対米関係があるから、基地建設を白紙に戻す決断はできないでしょう。ですが、地元の反対の前に中断せざるを得ないという認識に立って、時間をかけて、別の、より根本的な解決策を模索すべきです。そういう時期に来ているのです。

 そんな感想を持っています。みなさんのお考えはいかがでしょうか?

 今日のおまけの写真です。
 今年、お陰様で覚えたシュウメイギクです。ご近所の庭先より。
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IMG_0959 シュウメイギク白.jpg


 孫が集めたどんぐりです。
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 ご近所宅の庭先にある夏ミカンです、たぶん。いい色をしています。
IMG_0961 夏みかん.jpg


 ご訪問に感謝します。

 そうそう、ジパング党!名前がいいでしょう、鬼才シルフさんの発案ですから。
 まだブームになっていないので、みなさまのご支援とご指導をお待ちしております m(__)m


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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで その21 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART4 安保村の謎②-国連憲章と第2次大戦後の世界》(3)

 シリーズ21回目です。コンパクトにしたいと思いながら、長ーい話になってしまっています。この長いお話、好き好んでやっているかというと、行きがかり上、仕方ないか―との思いも、正直あります。しかし、これは自分にとっての勉強でもありますので、黙々と続けることにします。
 テキストは『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』今日は210ページからです。法的な話なので、少し込み入っていますが、沖縄問題の根底に関わる話なので、頑張ります、頑張りましょう。

   《敵国条項 enemy state clause

〈現在、国連の安全保障理事会常任理事国は、米・英・中・ロにフランスを加えた5カ国となっていて、拒否権という絶大な特権を持っている。他の加盟国とは明らかな格差があるが、もう1つ、大きな差別がある。敗戦国を対象とする敵国条項だ。戦後日本は国際法上もっとも下位の位置から再スタートを切ることになったが、すぐに冷戦が勃発したため、私たち日本人は、西側自由主義陣営は自分たちの味方で、中国や旧ソ連などの共産圏は敵側だと思ってきた。
 現在の中国はアメリカとともに第二次大戦を戦った中華民国とは別の国で、朝鮮戦争をアメリカと戦った正真正銘の敵国なのだが、冷戦の後に残された国連の枠組みを見てみると、本質的な対立は、戦後一貫して、戦勝国である連合国側と敗戦国の間に存在したということができる。国際社会には明確な差別構造が法的に存在し続けている。
 敵国とは日本、ドイツ、イタリア、ブルガリアなど7カ国を意味すると言われているが、日本とドイツ以外の5カ国はすべて大戦中に枢軸国側から離脱し、日本とドイツに対して宣戦布告を行った国々だ。したがって真の敵国条項の対象国は日本とドイツの2カ国だけである。〉

   《国連憲章第53条

〈国連憲章は戦後の国際社会の基礎となる取り決めで、その根拠は次の条文にある。
「第103条:国際連合加盟国において、この憲章にもとづく義務と、他のいずれかの国際協定にもとづく義務とが抵触するときは、この憲章にもとづく義務が優先する」
 その国連憲章の大きな特色は「平和的手段による国際紛争の解決」で、その理念を表す条文は次のようになっている。
「第2条 3項:すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって(略)解決しなければならない
4項:すべての加盟国は、武力による威嚇又は武力の行使を(略)慎まなければならない」
 第二次大戦後の世界における軍事力の行使は、自衛の場合を除いて、あくまで安保理の許可があったときだけ、世界各地にある安全保障機構を通じて行使できるということになっている。
「第53条 1項(前半):安全保障理事会は、その権威のもとにおける強制行動のために、適当な場合には、前期の地域的取り決めまたは地域的機関を利用する。ただし、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取り決めにもとづいて、または地域的機関によってとられてはならない」となっている。
 しかし同時に、同条同項後半は、敵国についてはその例外としている。
「第53条 1項(後半):もっとも、(略)敵国のいずれかに対する措置で、第107条にしたがって規定されるもの、またはその敵国における侵略政策の再現に備える地域的取り決め〔地域的安全保障協定〕において規定されるものは、関係政府の要請にもとづいてこの機構〔国連〕がその敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする」
「敵国条項の主な目的は、ドイツと日本の永久的かつ有効な非武装化であり、それら二カ国の支配である」と議事録に書かれている。〉

   《戦後70年たっても削除されない敵国条項

〈現在でもこの敵国条項はまだ削除されていない。
 1995年第50回国連総会で、敵国条項をすでに死文化したものと認め、憲章から削除するという決議案が圧倒的多数で採択されたものの、それから20年たった今も、敵国条項の削除は実現していない。障害になっているのは「すべての安保理常任理事国による批准」である。〉

   《「戦後史の謎」の正体-国連憲章第107条

〈国連憲章・第107条も、第53条と同じく敵国条項である。国連憲章のすべての条文は、戦勝国が敵国に対しておこなった戦後処理の問題については、いっさい適用されないということが書かれている。
「第107条:この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動で、その行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり、または許可したものを無効にし、または排除するものではない」
 これこそが、パート1で見た「沖縄の謎」の正体であり、また首都圏上空に広がる巨大な米軍の管理空域の正体でもある。〉

 このあたりを勉強すると、国際社会にかかわるアメリカの能動的な姿勢が、19世紀後半からかかわりだした極東の島国とは、雲泥の差があることが分かる。まさに、大人と子ども、幼児ほど違う。
 ヨーロッパの戦乱の歴史は長く、アメリカは紛れもなく、そこの文化を受け継いで誕生した大国であった。
 アメリカは、まだ日米戦争開戦前の1941年8月の大西洋憲章で、自分たちが戦争に勝ったらこうすると、戦後世界のガイドラインを決め、公明正大なルールを打ち出して、新たなる勢力の台頭に釘を刺しつつ、自分たちの有利な地位を徹底的に築き守っていく意志を実現させるため、その行為が違法とならないように巧妙に法文作成をしていたのだ。
 真珠湾に奇襲攻撃をかけて国を挙げて戦った日本が、いいように手玉にとられたことがよくわかる。
 これらの巧妙な手立てはまだまだ続くが、節が長いとお互いに大変なので、今宵はこれまでとします。

 おまけの写真は、埼玉農林公園、一昨日、しぶしぶ(イエイエ喜んで)子守りに行ってきました。深谷―嵐山線、旧川本町にあります。
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 かなり広い芝生の広場があります。
IMG_0917 農林公園.jpg

 早、(たぶん)寒桜がいくつか咲いていました。
IMG_0934 寒桜.jpg

 うどんの店があって、手打ちうどんを食べてきました。なかなか美味しかったですよ、先日の友人手作りほどではなかったけど。ここは、駐車も入場も無料。土日はミニSLの運転もあり。

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで―20 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART4 安保村の謎②-国連憲章と第2次大戦後の世界》(2)

   《右手でソ連、左手で中国と手を握った英米同盟
〈第二次大戦の歴史を見ていくと、イギリス、アメリカ両国の構想力と組織づくりのうまさに感心させられる。大西洋憲章からわずか4ヶ月で26カ国の巨大な国家連合を成立させ、加盟国は大戦末期までに47カ国に増え、戦後は国際機関に衣替えし、現在は200カ国近い加盟国を持つ国際連合となっているからだ。
 しかしその本質は「英米同盟+ソ連」または「英米同盟+中国」という形で、英米がいわば右手でソ連、左手で中国と手を握って第二次大戦を戦っていった。
 この事実は、三国同盟が軍事的になんの連携プレーもできないまま終わったことを考えると、政治的スキルにおいて日本とアメリカ・イギリスは、まさに大人と子どもほどの違いがあったのだ。〉

国連憲章の原型―ダンバートン・オークス提案
〈戦争が終わり大西洋憲章をもとにつくられた国連憲章が発効して「戦後世界」が幕を開けることになる。しかしその前にこのふたつの憲章の間に位置する国連憲章の原案(ダンバートン・オークス提案)について説明する。
 なぜこれが重要かというと日本国憲法草案、とくにその戦力放棄条項はこの原案に書かれていた国連の基本理念を見たほうが、その本質が理解しやすいからだ。〉

原案にあった理想主義的な「世界政府構想」が、日本国憲法九条二項を生んだ
〈戦争とはこの世の地獄であり、なんとかして世界から戦争なくしたいと考えるのは人間の本能だ。
 しかし具体的な方法となると立場が分かれる。理想主義的に世界政府をつくってそのもとであらゆる国が戦力放棄をするという考え方がある。一方、人間の悪を内包しないユートピア思想は、最悪の地獄を生むだけで、現実の平和は大国間の勢力均衡によってもたらされるもの以外にありえないという考え方もある。
 現在の国連は、前者の理想主義的な枠組みの中に、安全保障理事会常任理事国という5大国による疑似的バランス・オブ・パワー機能を組み込んだなかなかよく考えられた世界的安全保障システムだと思う。
 しかし国連憲章の原案は現在の国連憲章より、もっと理想主義的な色彩が強いものだった。「一般の加盟国に、独自に戦争をする権利を認めていなかった」
 国連安全保障理事会だけが「世界政府」として軍事力の使用権を独占し、他の国はそれを持たないという、国連憲章の原案にあった理想主義的構想が、のちに日本国憲法9条2項が執筆される大きな前提となっている。世界政府構想の核心である国連軍構想が、GHQが日本国憲法草案を書いた1946年2月の時点ではまだ生きていたということが重要だ。〉

人類究極の夢「憲法九条二項」とマッカーサーの暴走
〈日本国憲法をつくるにあたってマッカーサーが部下に示した三原則(マッカーサー・ノート)には九条のもとになった「戦争と戦力の放棄」について次のように書かれている。
「国権の発動たる戦争は、廃止する。
 日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。
 日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。
 日本が陸海空軍をもつことは、今後も許可されることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない」

 この「いまや世界を動かしつつある崇高な理想」が、国連の世界政府構想つまり正規の国連軍構想を意味していたことは明らかだ。
 しかし、このGHQ自身による憲法草案の執筆は、本国国務省は関知せず、マッカーサーとその側近たちによる完全な「暴走」だった。
 その後、冷戦の始まりを受けて、5大国による国連軍創設のための会議は、なんの成果も得られないまま1948年に打ち切られることになった。同年行われた大統領予備選で、マッカーサーもまた敗北を喫してしまう。
 その結果、日本国憲法九条二項は現実の世界における基盤を完全に喪失してしまうことになった。つまり、現実世界で機能する可能性をもった条文だったものがユートピア思想に変わってしまった。その結果として起きている現実は、米軍による日本全土への永久駐留であり、民主主義国家アメリカの基地帝国化なのだ。〉

 本書は全編重要なことが書かれていると思うが、なかでもこのあたりの解説は、歴史の概要を理解するうえで、かなり重要と思われる。
 世界経済が行き詰まるなかで、植民地や資源を有する先進国のつくる世界秩序に、軍事・経済・技術等の力をつけた新興国が、養った力を行使して暴力的に挑む。秩序側は連合戦線を組み、この暴力を、自分たちの正義に対する野蛮な行為として力を結集し暴力的に立ち向かう。結果、幾多の尊い人命が失われる。

 軍事力を行使する指揮官は、戦争に決着をつけるまでは持てる軍事力をフルに発揮して戦を遂行するだろうが、決着がついてくると、「こんな大戦はこれを最後にしなければ…、それにはいかにすれば…」との思いを巡らせながら敵を降伏に追い込んでくるだろう。

「戦勝国(連合国)が一丸となって、軍事力を出し合い、連合国軍(国連軍)を恒常的に維持して、敗戦国はもちろん各国に軍事力を備える必要をなくしていけば、国家間の戦争を終わらせることができるのではないか」と考えたとしても不思議ではないように思う。

 しかし、ホットに戦っているうちは、連合国としてまとまっていて、平和を希求していても、決着が見えてくると、それぞれの国の国益の違いが明らかになってくる。アメリカにしてみると、体制の違うソ連と中華人民共和国の存在が、終戦後の課題として浮かび上がってくる。

 こうして、連合国軍(国連軍)創設・世界政府樹立の構想は現実性を失い、消滅していく。連合国(国連)としては、連合国軍(国連軍)がない以上、国家間の戦争を禁ずる拠り所がないので、その権利が認めらたまま残るということになったのだろう。

 戦後、新たな段階を迎えたわけだが、その秩序づくりについては、例の大西洋憲章、連合国共同宣言にすでに謳ってあるので、それを実践、またそれに拘束されることになる。領土については不拡大、民族については自決権を尊重する、などとしていた。しかし、日本の地理的条件が、東アジアを見たときに余りにも重要なので、アメリカは、本書が次に説明する複雑な方法を駆使して(国際法の抜け道をくぐりぬけて)、巨大な基地を日本に展開したまま維持し活用するようになる。

 憲法九条については、当時の現実的な構想が破綻したとは言え、前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の表現や、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において」の表現、また、九条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」の表現に見られる平和や公平を求める人間の向上心・理性は、漠然とではあるが、確かに、人類世界に存在するものである。国連軍という具体的な力の存在がなくても、自衛に限定する装備さえ保持していれば、このような戦争放棄を憲法で宣言する国があっても必ずしも非現実的とも無謀とも言えないのではないかと思う。

 自衛隊の存在を憲法に規定すべきだとか、日本人の手で、本当の国民主権の憲法を書き直すべきだとの意見は、そのとおりと思う。早く、良いところを残して、不適切なところを直し、必要なことを書き加えて、もっと良い憲法をつくりたいものである。
 
 ところが、現実のアベ政治では、憲法違反の「安保」法制が成立して、自衛隊が必ずしも自衛に限定する組織ではなくなってしまった。この解釈の変更は極めて大きく、憲法の趣旨を根底から覆す背信的暴挙であると言わざるを得ない。


 以下はおまけの写真です。粗末でどうもすいません!
IMG_0653 (3).jpg

 この写真は前回掲載し「この地は幸い水害も免れ、豊作のように見受けられます」と書きましたが、農業も営む『友よ、戦争をしない世界を創ろう!』を出版してくれたS氏にお聞きしたところ、今年は花が咲くころ(お盆のころ)雨が多かったことと、その後も日照不足で、刈り入れが十日ぐらい遅れているとのこと。出来も収穫してみないとわからないとのことです。

 先日雑草、雑木を退治していたところ、枝に大きく太った青虫を発見。もうじきサナギになって蝶が生まれるかもしれないので、そっと戻しておきました。孫が目下「はらぺこあおむし」に夢中なので。
IMG_0676 青虫.jpg


 ランタナです。先日kazg さんに「七変化とも呼ばれる」、横 濱男さんに「色々な色がありますよ」と教えていただいたので、他の色を探しておりました。そしてとうとう発見しました。まだほかにもあるかもしれませんね。
IMG_0474 ランタナ.jpg


IMG_0718 ランタナ.jpg


IMG_0717 ランタナ.jpg


 睡蓮にイトトンボですが、糸が細くてよくわかりません。m(__)m
IMG_0720 (2) 水連.jpg


 ツマグロヒョウモンの♀ではないかと…
FullSizeRender ♀.jpg


 ご高覧に感謝いたします。
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