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アクシデント + alpha [身の周りのこと]

今日は午前中にアクシデントがありました。

清拭の時に、いつも背中だけ拭いてもらって、前と下半身は自分で拭いて着替えをするのですが、その着替えの最中に、ナ、ナ、なんと、胸水を抜く管が外れちゃったのです、しかも左右とも。右側は外れてもダラダラダラダラ流れ出ているのです。

パンツ履き替え中だったのですが、びっくりしてナースコールを押して、後の始末を手伝ってもらったのでした。

今までこんなことはなかったのですが、今回は身体にいろんなものが繋がれていたのでした。胸水を抜く管が2本、点滴が1本、それから送信付きの心電図が着いていました。これだけ色々なものが着いているときは、自分で拭くのは無理なんですね。前も拭いてもらえば良かったわけです。後の祭りでした。

いろんなことがあるものです。

あまり面白い話ではなかったので、話題を変えます。

400字エッセイはフライングになるので載せられないって、勿体ぶって書きましたが、代わりに5号に乗せた拙文を載せます。2000字くらいあるので、ご用とお急ぎでない方はご覧ください。

【 どっちが「お花畑」か?
          
 前号で一万四千発の脅威について書きました。こんな物騒な話題について続けて書くつもりは毛頭ないのですが、その危機が現実のものとなりつつあるので、ここは書かざるを得まいと腹を括って、書くことにします。

 二月二十四日、ロシアが隣国ウクライナに「特別軍事作戦」と称する軍事侵攻を開始。武力による国境侵犯は今世紀の国際秩序を大きく揺るがす出来事として、米国はじめ西側諸国は一斉に非難。

 しかし第三次世界大戦に発展することを恐れ、軍事介入は控え、ロシアには経済制裁を、ウクライナには後方支援を行うこととしました。

 戦禍が広がり、大国とその同盟国が核兵器を撃ち合うような事態を望んでいる指導者は取り敢えずはいないことがわかりました。

 しかし、四月二十七日、ロシアのプーチン大統領は、サンクトペテルブルクで
「ロシアに干渉する国が、この軍事作戦に戦略的脅威を与えるようなら、ロシアは他の国が有しない強力な兵器を保有しているので、電光石火の反撃を行う。我々は全ての手段を、必要があればいつでも使用する」という趣旨の演説を行いました。

 干渉する国に対し核兵器の使用も辞さないと宣言したのです。

「それは困った、わかりました。では干渉を辞めます」と西側諸国が静観することにしたのでは、今後の世界秩序は一気に不安定化してしまいますから、ここはロシアの思いどおりにさせたくありません。悪戦苦闘の思いをさせたい。

 ということはロシアの戦略を狂わせたいのですから、ロシアとしては「全ての手段を使って電光石火の反撃をする」ことになります。いよいよ一万四千発の飛び交う第三次世界大戦に突入です。

 理性が働いて言葉の脅しだけに留まるのか、宣言した以上実行してしまうことになるのか、この事態の推移は結果を見るまで分かりません。

 もしかしたら、本誌第5号も日の目を見ることがないかもしれません。たいてい毎日無事に過ごせていますから想像しにくいことですが、地球住民としては心が凍りつくような、まさに一触即発の恐ろしい場面に出食わしています。

 ここはそういう事態に至らず、何とか収まることを祈るばかりです。

 そして幸い事無きを得たとします。

 さて、このウクライナ侵攻から二十一世紀の現実が分かったとして、ここからどんな教訓を得、どう対処するか、これが問題です。

①ウクライナは他国と軍事同盟を結んでいなかったために、ロシアの侵略に対し単独で戦わざるを得ず大きな悲劇を招いた。安全保障のためには軍事ブロックに所属することが大事であるとの判断。

 実際、スウェーデン、フィンランドはNATO加盟を検討しており、日本も日米同盟強化や、クアッドなどの国際的な枠組みづくりを重視する構えです。

②核兵器を保有している国同士の戦闘行為は興らず、保有国が非保有国に進軍したことから、安全保障には核兵器の保有が不可欠であるとの判断。

 日本も非核三原則をやめ、アメリカの核兵器を共有すべきではないかという議論が起きています。

 いずれも、物騒な環境にあるのだから、平和憲法にすがっているより、勝ち抜く軍事力を備えるべきだ、それが現実的な対処法だとするものです。世論調査でも、改憲派が護憲派を上回るようになりました。

 しかしこれでは一万四千発が一万六千発に、やがては二万発にと増えるばかりです。自国の安全保障のために軍拡競争をすることのどこが現実的対応だというのでしょうか。

 政府による戦争を禁じている日本国憲法の存在を示すことこそ大事なのではないでしょうか。安易に攻め込ませない備えはしておいて、こちらから戦争することはないと内外に宣言し、隣国にも不戦と軍縮を積極的に促していくことこそが最も現実的な外交政策ではないでしょうか。

 国土があまり広くなく、人口やインフラが密集している日本は、もともと核戦争には不向きなのです。敗戦を機に軍事大国に寄り添うばかりの日本は、核兵器禁止条約にすら参加できない主体性のなさを露呈しています。

 悲惨さを知る唯一の被爆国であり、政府による戦争を禁ずる憲法を持つ国なのですから、危険を増やすばかりの愚かな軍拡の歩みは止め、軍縮に向かう歩みを先導する世界のリーダーになりましょう。

 平和を維持するために軍拡が必要だという論理こそ、先の見えない「お花畑」ではないでしょうか!      (2022.5.10)】  以上です。

ところで明日は安倍元総理の国葬ですね。
国民が求めているのは「安倍元総理の国葬」ではなく、「安倍的政治の国葬」なんですよね。それがわからない人たちだから、一人を除いて丸ごと葬るしかありませんよね!



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22日に臨時入院しました [身の周りのこと]

ちょっと更新というか、ご報告が遅れました。まずは9月21日の記事です。

【 ここ2、3日、体調が後退しているのです。今日も、最寄りのショッピングモールに買い物に出たのですが、途中で息切れがして、敢えなく戻ってきてしまいました。

食欲も以前ほどなくなり、軽くしか食べていません。

そこで、午後に訪問看護師さんに来てもらいました。指先で測る血中酸素濃度が下がっていましたが、他に大きな問題はなさそうで、少しほっとしました。】

翌22日、体調がさらに悪くなっていました。どうにも気持ちが悪くて寝ていればいいのですが、食欲は無く、歩く気も起きず・・・明日から三連休で病院の外来もストップしてしまいます。

そこで昨日の訪問看護師さんに連絡を取り、外来経由で入院させてもらう方策を取りました。そんな訳で、22日に臨時の再入院となりました。

病院でしてもらったことは、胸水を抜くことと、栄養を含んだ点滴を施すことでした。胸水は1日1.5L、一昨日と昨日抜きました。その分、圧迫感は減り、食事もいくらか食べられるようになったのですが、血圧が100を切るくらい一気に下がってしまいました。

立つとふらふらしかねませんので、寝ていることが多くなりました。まあ、厄介な状況ですが、まだ、いくらか頭が回っているので、エッセイ倶楽部の400字原稿などを書いたりしています。ここに挙げたいところですが、フライングになるので、12月に掲載します。

大谷選手、味方の援護で14勝達成ですね、よかったですな!

また、自分では撮りに行けない状況になったので、差し入れ写真を掲載します。
9/23 長瀞町の萩寺の萩
IMG_7475.jpg

昨夜追加の写真が寄せられました。同じく萩寺の萩ですが、白です。
IMG_7468.jpg


追加ついでにもう一枚。自前の写真です。
IMG_1105.jpg

隣(窓側)のベッドが空なので、看護師さんがカーテンを開けてくれました。自分のベッドから久しぶりの青空が臨めます。ベッドで唸って寝てるのも大変だけど、台風の影響で風が吹いたり、大雨が降ったり、外の生活も大変ですよね。皆さま御自愛くださいますよう!


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治療の振り返りと現状の再認識 [身の周りのこと]


治療の状況を振り返ってみます。

まずは、7月22日の記事です。

【 当初は16日に紹介状をもらって連休明けの19日に埼玉医大国際医療センターに相談に行く予定だったのです。

ところが15日の晩、肋骨に痛みが出て眠れず、翌朝当地の総合病院に緊急入院しました。どっちが良かったのかはわかりませんが、胸水を抜くなど痛み止めの措置がとられ楽になりました。それから19日には点滴用のパッドを胸に埋め込む施術と胃と十二指腸の透しと、再度胃カメラを入れ8箇所細胞が採られました。

それらの結果で今後の緩和・治療のさじ加減が決まるようです。発見が遅れた分、検査と加療がスピーディーに行われているように感じています。】

7月30日の記事です。

【 今週初めから抗がん剤投与が始まりました。
死戦をさまようというか、最後の苦しみを味わうというか、それとも癌をしばし退けることができるのか、不明です。】

8月5日の記事です。

【 昨日、15日まで在宅療法となり、一時帰宅しました。
上手に過ごして、15日からの第2ラウンドに備えたいと思います。

私の寿命も7月までかと思った時もありましたが、8月もあり。頑張ります!】

この時の在宅療法は、胸水を抜くパイプ付き、部屋には酸素発生器、一日おきに薬剤を入れ替える点滴バッグ付きでした。

8月15日から21日まで、抗癌剤治療の第2ラウンド。22日から2週間の在宅療法。この時は、胸水を抜くパイプも取り外し、酸素ボンベも点滴バックもなし。手ぶらでプチ冒険。

9月5日から1週間病院で抗癌剤治療の第3ラウンド。12日から今回の3度目の在宅療養。今回も手ぶらの一時退院です。

今まで少しずつですけどね、一本調子で歩行距離が伸びたり、ゴミ出しなどの家事手伝いができるようになったりしていたのですよ。

それが、ここ2、3日、体調が後退しているのです。今日も、最寄りのショッピングモールに買い物に出たのですが、途中で息切れがして、敢えなく戻ってきてしまいました。

食欲も以前ほどなくなり、軽くしか食べていません。

そこで、午後に訪問看護師さんに来てもらいました。指先で測る血中酸素濃度が下がっていましたが、他に大きな問題はなさそうで、少しほっとしました。

完治したわけではありませんからね、波があるんでしょうね。自分の措かれた状況を、詳しいことは分かりませんけどね、改めて認識した次第です。

で、何をしたかと言いますと、部屋に緑を置きました。外が暑い時はエアコンを入れるので、窓を閉めます。今日のように寒い時も窓を開けませんから、早い話が暫く締め切り状態で、部屋が若干酸欠だったのではないかと思った次第です。

IMG_1100.jpg

さて、これがどれだけ酸素を作ってくれるのか?


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今日のプチ冒険と昨日のサプライズ [身の周りのこと]


昨日から3度目の自宅療養です。前回1500歩ぐらいの散歩を繰り返すことにより、結構大股でせっせと歩けるようになったのですが、病院内の歩行では、歩行能力は衰えていました。

小股でスピードも上がらず、ノロノロ。でも、近所のショッピングモールに行ってきました。そこに入っているスーパーがリニューアルして以降、行ってなかったので。

約3000歩、休まず歩いて、飲料と百均で皿洗い用のポリ手袋を買ってきました。以上が今日のプチ冒険です。無視してください。

ところが昨日はビッグサプライズがありました。わたし、7月第一週まで小学校にお手伝いに行ってましたからね。それが突然行かなくなったわけで、事情は先生方には連絡してありました。

わたしが関わっていた6年の先生が気遣いをしてくれて・・・夏休みにやってくれたのでしょうか、小さい折り紙で千羽鶴を折ってくれて、全員の写真付きで・・・昨日、先生が持ってきてくれました。

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これには恐れ入りました。小さい紙で折るのは大変なんですよね。ご面倒をお掛けしてしまいました。色合いが綺麗なんですよ。むさ苦しい部屋が明るくなりました。

IMG_1079.jpg


で、お返しは?まずは一筆書きました。

【 6年生の皆さまにお礼
       
この度は、7月第2週から突然お休みすることになり、ご迷惑またご心配をお掛けすることになり、申し訳ありませんでした。また、千羽鶴のお見舞いまでいただきありがとうございました。

実は、7月6日に食道の異常が発覚し、その後の検査で、既にあちこち転移していて手術も放射線治療もできない食道癌と診断されました。その時は、私の寿命もこの夏までかと半分覚悟しました。

入院すると、まずは緩和医療、苦痛を緩和してくれました。その後、抗癌剤を使った化学療法が始まり、それがうまく私の体質に合ったのか、これは秋まで、いや冬までもちそう・・・。もしかしたら、街のどこかで皆さんにもう一度会えるかも知れない。そんな気さえしてきました。

皆さんに何をお伝えしたいかと申しますと、人間、生きているといろんなことがあるものです。窮地に立たされることも、壁にぶつかることもありましょう。

でも、ネバーギブアップ!希望を持ち続ければ奇跡は起こります。そういう力を人間は持っているんだと思います。あと「他人(ひと)を恨まない、みんなに感謝する」かな、大事なことは。

ぜひ、元気に力強く生きてくださいね。お互いに頑張りましょうね!

そんなことを爺やは、この夏、学びました。
See you ! 】

あとで何かお返ししないといけませんね、卒業までに。

以上、載せていいやら、悪いやらの出来事でした。
(たぶん、関係者の目には触れないと思います)




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カルガモちゃんのその後(2) [身の周りのこと]


カルガモちゃんのその後(2)
最近写真が届かないので心配しておりましたが、先日、鰹さんからこんなメールが届きました。

【 カルガモが二匹死んでしまいました。原因がわかりません。小松菜しか食べてないので栄養がたりなかったのか。これを踏まえて昨日、昨日から雛ようの雑穀米もあげています。

もう1つ考えられるのは太陽の光に当たらなかったことです。今朝から小さな鳥小屋を使って外に出しています。最後に産まれた一羽だけが元気です。

どうにか育てたいものです。私の責任ですから、かわいそうですから。】

残念な事態ではありますが、なんとしても初めての経験で、気長に温められ、3羽も孵されたことは大変夢ふくらむ出来事でした。これまでのご努力と情報提供に心から感謝しています。

元気な一羽の今後も楽しみです。幼い命ですから、難しい局面もあろうかと思いますが、精一杯の注意を払われてのことですから、どうか自責の念に駆られませんよう!
楽天的に見守りましょう?


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一時帰宅しました! [身の周りのこと]



昨日は大変なことが起きました。

昨日の朝の景色です。
IMG_0991.jpg


今朝のベッドから見える景色です。
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昨日、15日まで在宅療法となり、一時帰宅しました。
上手に過ごして、15日からの第2ラウンドに備えたいと思います。

私の寿命も7月までかと思った時もありましたが、8月もあり。頑張ります!
皆様のご声援に心から感謝しております[m(_ _)m]




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抗がん剤治療体験記 [身の周りのこと]

ご無沙汰しました。

病院で寝ていたら、お袋の血が降りてきたらしく、短歌作りをやっちゃいました。

「抗癌剤治療体験記」

泣く子と地頭には勝てぬと言うが
催す便にも起きざるを得ず

点滴より垂れる液体溜め込んで
我が膀胱は液体時計

情熱と医学の進歩とビジネスで
辛うじてつながるこの命かな

梅びしお3食続いたと苦情言う
ろくに食えない口の我儘

看護師の「辛そうね、ウフフフフ」
歯切れ良すぎてつられて笑う

病院の白きベッドに仰向いて
我泣き濡れてティッシュとたわむる(盗作)
(momo爺、最近涙もろくなりました)

採血とX線駆使してテキパキと
我がドクターは平山信男

今日の幽体離脱して撮った?写真は
「今が旬、山梨の桃」
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その後の経過を簡単に [身の周りのこと]


いろいろご心配を頂いているので緩和・治療の様子も少しはご報告しなければ・・・
10日、14日、16日にいくらか書いているんですね。当初は16日に紹介状をもらって連休明けの19日に埼玉医大国際医療センターに相談に行く予定だったのです。

ところが15日の晩、肋骨に痛みが出て眠れず、翌朝当地の総合病院に緊急入院しました。どっちが良かったのかはわかりませんが、胸水を抜くなど痛み止めの措置がとられ楽になりました。それから19日には点滴用のパッドを胸に埋め込む施術と胃と十二指腸の透しと、再度胃カメラを入れ8箇所細胞が採られました。

それらの結果で今後の緩和・治療のさじ加減が決まるようです。発見が遅れた分、検査と加療がスピーディーに行われているように感じています。

逐一ご報告もできませんが、時間に余裕ができたら、日本の政治について、思うところを記したいと思います。

どう転がるかわかりませんが、お付き合いいただけたら幸いです。


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体調とアベ事件と「行こう投票に」 [身の周りのこと]


不定期休業してました。
これだけ休んでしまうと、何を、何からどう書き始めてよいやらわかりませんね。

連日暑くて参りました。夜うまく熟睡できないのは困りますね。暑さだけでなく、身体に悪いところが出てきて、病院も時々通っています。胸がムカつくんですよ。気持ち悪いですね。食道が荒れているんです。近々病名がハッキリするはずです。

学校には行ってました。通院日以外は。
アベさん、死んじゃいましたねぇ。あれ、あんな手作りの銃で、たったの2発で思いを遂げてしまいましたねぇ。もちろん蛮行、やっていいことではありません。

一方警備のほうは、連日の猛暑の中、一生懸命やっているんでしょうけど、お粗末、杜撰でしたねぇ。こんなことがあろうとは思っていませんからね。警備の人までそれではいけないんですけど、ぼうっとしてましたね、あの瞬間は。

そういう一方のラッキーと、他方のアンラッキーの絶妙のタイミングで、あの事件は起きてしまいましたね。

さて選挙戦、終わりましたね。今日は投票日です。たまに政見放送など耳にするのですが、出ている人は、それぞれに鋭い視点を持っていて、こういう人たちが国会で大いに議論してくれたら日本国も良くなるのでは?と思わせてくれました。

実際当選しそうな人は、それぞれの政党の政策の範囲内のことしか言いませんから、特に珍しいものはありません。

私は一昨日不在者投票を済ませました。まだの方は、ぜひ、とにかく投票にだけは行きましょう。投票率が低いというのが、民主主義としては一番まずいことです。他人にお任せ、われ関せずということですから、そんな国はどんどん悪くなりますよね。

久し振りにこれだけアップします。
最近はブログ訪問もできていません。申し訳ありません。近々少しずつお伺いします。



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嗚呼、青天の霹靂 [身の周りのこと]

こんな記事を載せて良いものかどうか?
迷いながらですが、書いています。

まさに青天の霹靂!耳を疑う出来事が起こりました。

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これ、5月19日に撮った写真です。この数時間前に、海岸に出て、

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こんな写真を撮ったのでした。

で、最初の写真、向かって左側の男、千葉の松山さんと等ブログでは呼んでいます。

彼の奥様から、先週の日曜日、6月5日に電話をいただきました。なんと、1日に急死して、親族のみで既に密葬したとのこと。

まったく元気にユーモラスに過ごしていた彼が、2週間と経たないうちに、身体の不調で突然死。この世の中からいなくなってしまった!

信じられない出来事ですが、作り話のはずもなく、最初の写真の向かって右側、福山さんと、驚きと悲しみを電話で共有しました。

二人の間ではまったくショッキングな話なのですが、しかし、ことは「七十過ぎの男がある日友達に先立たれた」。こんな話は憂き世ではよくあることでしょう。何をことさらに「青天の霹靂」などとショックを受けているのでしょうか。

一つは、そんな予兆もまったくなく、久し振りに一泊二日を共に過ごしたあまりにも直後だったからでしょう。

もう一つは彼と我々との結びつきの深さでしょう。これは語らねば分かりません。

我々は高校で知り合いになりました。彼は親父が酒乱で経済状態も思わしくなく、ただの単純明朗な高校生ではない、奥深い精神面を持っていました。

そんな解る男に初めて出会ったので意気投合。福山君も含めて、高校所在地市内の我が家で一夜を過ごしたりしていました。

やがて高校も終わり次のステップに。大半が大学に進学する中で、彼は就職を選択。製鉄会社の社員となりました。

最初は水島工場だったかな。やがて千葉工場に。一方、私は大学生になりましたが、その頃は大学紛争の最中。落ち着かぬ環境にありました。

彼は地に足を付けた生活でちゃんと稼いでおりました。そんな彼と我々の交際は続き、彼は稼いだ金で車(プリンス、スカイライン1500の中古)を購入。それで新潟に行ったり、蓼科高原に行ったりしていました。

車も、私が預かり実家に置いておいたので、私が買ってもらったようなものでした。

彼は海釣りがすっかり気に入ったと見えて、やがて茂原の人と結婚。九十九里のほど近くの長生村の住民となりました。

そんな頃から60年近く、時々会っては旧交を温めてきました。

そんな男でしたから、急にいなくなるのは、我々にとってはちょっとショックな出来事なんですね。

6月1日といえば、実はお袋の命日でもあるのです。4日に墓参りに行って花を飾ってきました。その花の写真をここに添えます。

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ご冥福をお祈りします!

ありがとう!



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