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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その19 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART4 安保村の謎②-国連憲章と第2次大戦後の世界》(1)

 筆者を含め、読者としては、安保村の謎、つまり村民の非常識については、前のパートまでですでにかなり多くの指摘を受け、顔を洗って出直さなければいけない状況を強く認識したところである。しかし、著者は、ここでパートを改め、さらに謎の②の説明に入る。
 このパートでは、国際社会におけるこの国の地位についての村人の非常識を説明している。

〈戦後日本の歴史を考える上で、昭和天皇や日本国憲法とならんでもうひとつ重要なポイントがある。それは、日本は第二次世界大戦における敗戦国だということだ。当たり前のことのようだが、われわれ日本人はその意味がよくわかっていない。
 それは、第二次大戦後、すぐに冷戦というもう一つの大きな戦争が始まり日本はアメリカの保護のもと、ずっと戦勝国側にいたからだ。戦後世界の覇者となったアメリカに対し、徹底した軍事外交面での従属路線をとることで、第二次大戦の敗戦国(最底辺国)から、冷戦における戦勝国(世界第二位の経済大国)へとかけあがっていった。これが敗戦後、昭和後期の日本に起きた出来事だ。〉

   《連合国と国連
〈しかし、冷戦というのは大きな歴史的枠組みの中では1つの局面でしかなかった。そのことが次第に明らかになってきた。例えば中国が尖閣問題で日本を非難し、国連総会で「日本政府による尖閣諸島の購入は、世界反ファシズム戦争における勝利という結果への公然たる否定で、戦後の国際秩序と国連憲章への挑戦である」と言ったとき、日本人にはわけのわからないことだが、国際社会では意味のわかる当然の表現なのだ。
 なぜ日本人には意味がわからないかというと、安保村特有の翻訳によるトリックの問題がある。英語の United Nations をときに国際連合(国連)、ときに連合国というふうに、二語に訳し分けているのである。国連の本質は「第二次大戦の戦勝国連合」である。そこでは中国は常任理事国という特権的地位にあり、日本は敵国という最下層国に位置づけられている。〉

 世界が日本をどのように評価しているかは、国連での最下層国という見方だけではないだろうから、この点だけでいたずらに卑屈になることはないのだが、「世界の常識を頭に入れておく必要がある」と著者は警鐘を鳴らしているのである。

   《戦後世界の原点 ― 大西洋憲章
〈世界の常識を知っていただくために、戦後世界の原点である大西洋憲章をここで読んでもらいたい。
【太字の部分だけでいいので…とあるので、太字部分のみを掲載します】

大西洋憲章(正式名称は「イギリス・アメリカ共同宣言」)
1941年8月14日調印
 アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトとイギリス王国首相ウィンストンチャーチルは、大西洋上において会談をおこなった。(略)
 ふたりはつぎのような共同声明に合意した。(略)
1、両国は、領土その他の拡大を求めない。
2、(略)
3、両国はすべての民族が、自国の政治体制を選択する権利を尊重する。(略)
4、(略)
5、(略)
6、両国は、ナチスによる暴虐な独裁体制が最終的に破壊されたのち(略)すべての国の民族が恐怖と欠乏から解放されてその生命をまっとうできるような平和が確立されることを望む。
7、(略)
8、両国は、世界のすべての国民が、現実的または精神的な理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信じる。もしも陸、海、空の軍事力が、自国の国外へ侵略的脅威をあたえるか、またはあたえる可能性のある国によって使われつづけるなら、未来の平和は維持されない。そのため両国は、いっそう広く永久的な一般的安全保障制度(のちの国連)が確立されるまでは、そのような国の武装解除は不可欠であると信じる。(略)

   《8月14日のポツダム宣言受諾は、「大西洋憲章の勝利」を意味していた
〈この共同宣言が調印された1941年8月は、イギリスはヨーロッパ戦線でドイツに連戦連敗している最中、アメリカはまだ戦争に参加もしていない時期だった。それなのに8つの合意事項に書かれているのは、これから始まる現実の世界対戦についてではなく、すべて戦後の世界について、しかも戦勝後の世界についての基本構想なのである。
 さらに、共同宣言が調印された日付を見ると、4年後に日本がポツダム宣言を受諾して第二次大戦が終わる8月14日なのだ。これから世界大戦に拡大させる。そのうえでその戦いに勝利し、戦後世界を英米同盟によって運営していく。その合意がなされたのがこの大西洋憲章であり、その理念が、のちに国際連合憲章となり、第二次大戦後の国際社会の基礎となっている。日本国憲法もこの理念に沿ってつくられた。〉

 大西洋憲章を読むと、ずいぶん、人の道として、国の在り方としてまっとうなことが書かれている、という印象を受ける。このような西洋人の理念に対して日本がどのような理念をもって国を挙げて戦ったかと言えば、八紘一宇、一億火の玉、鬼畜米英などの精神論やせいぜい大東亜共栄圏程度であって、国際社会の理念と呼べるようなものはとても持ち合わせていなかったようである。その差は歴然としているが、しかし、世界秩序を支配している側と、それにチャレンジする側とは、秩序を組み立てる理念についての構想においては自ずと差があるだろう。
 日本については、それにしても構想がなさすぎたと言えるだろうし、英米の大西洋憲章については、火急の事態を前に戦線を組むにあたり、悪・不正・独裁・侵略に立ち向かうという正義を意識するあまり、現実以上の理想が文言として憲章に盛られたように思う。
 国際社会における国の理念が本当にこのようであるならば、世界の紛争はもっとずっと少ないだろうし、日本も、戦後いつまでも占領下と同じ状態に置かれることもなかったであろう。これは著者ではなく筆者の感想である。

   《「連合国」の成立‐ 26カ国の巨大軍事協定
〈大西洋憲章の内容は、「領土不拡大」、「民族自決」の原則、「すべての国の民族が恐怖と欠乏から解放されるような平和の確立」、「武力行使の放棄と世界的な安全保障システムの確立」など、非常に理想主義的なものだった。
 ルーズベルトとチャーチルはこの共同宣言を発表した後、ソ連と中国(中華民国)を自分たちの世界構想にとりこみ、約4カ月後の1942年1月1日に26カ国からなる巨大な軍事協定を成立させた。

連合国共同宣言
 この宣言に署名した国の政府は、大西洋憲章(省略)に賛成し、これら署名国の政府の敵国に対する完全な勝利が、(省略)人類の権利及び正義を保持するために必要であることならびに、これらの政府が、世界を征服しようとしている野蛮で獣のような軍隊に対する共同の戦いに現在従事していることを確信し、次のとおり宣言する。
1、各政府は、[日独伊]三国条約の締約国および条約の加入国(省略)に対し、政府の軍事的または経済的な資源のすべてを使用することを誓う。
2、各政府はこの宣言に署名した国の政府と協力すること、また敵国と単独で休戦または講和をおこなわないことを誓う。

 このとき初めて連合国という言葉が使われることになった。〉

 まあ、大変なことである。「野蛮で獣のような軍隊」と呼ばれてしまった。命がけで、あるいは国の存亡をかけて戦うとなると、自分たちには正義の御旗が必要だし、敵は極悪でなければならない。戦争とはこういうものだから、「やってはいけない」と思うのだが、英米のしたたかさには勝てないから、「今度は必ず英米の側に着いて戦争する」と総括する人もいるようだ。


 以下おまけの写真を少々

 先日Enrique さんに教えていただいたツマグロヒョウモンの♂。前よりはよく捉えられました。
IMG_0638 ツマグロヒョウモン.jpg


 花園に舞うアゲハ蝶なのですが、さて見つかりましたか?不鮮明ですみません。
IMG_0652 (3).jpg


 言わずと知れた稲穂。この地は幸い水害も免れ、豊作のように見受けられます。
IMG_0653 (3).jpg

 お読みいただきありがとうございます。ではまた、なるべく近いうちに!
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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その18 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》(8)

   《二重の密室
〈憲法の草案は、ケーディスを現場責任者とするマッカーサーの側近によって、米軍の、日本占領の最重要プロジェクトという重要なミッションとして、秘密裏に正確に練られていた。〉

   《「押し付け」は、昭和天皇を救うためという側面が強かった
〈密室での草案執筆から日本政府への提示、そして日本語の条文を確定するまでの全プロセスが、GHQによって完全にコントロールされていたことは、資料的に見て議論の余地のない事実である。占領軍が被占領国の憲法草案を執筆し、それを被占領国自身が作成したことにしたという、他にほとんど類例のないきわめて異常な出来事である。しかし、この見たくない事実を真正面から見すえ、あくまで事実に立脚した議論をしなければ、日本に未来はないであろう。議論も許さない「絶対護憲主義」はしょせん戦術論でしかない。正しい歴史的事実に基づき、本質的議論を行うべき時期にきている。〉

 確かに、与党を批判・牽制する政治勢力は、「護憲」を旗印にしてきた。矢部氏は、占領軍が創った憲法を「護る、護る」とだけ言っていたのでは、いつになっても、安保村や原子力村の無言の支配から脱することはできないと言うのである。つくられた過程の状況を丁寧に説明されると、確かに矢部氏の言うとおりかもしれない。

 しかし、現実の政治課題を見てみると、さまざまな疑念が噴出しているアベ政権の安保法案は、明らかに憲法違反で、国が自国の憲法を無視した政策を実施しようとしているのである。そういう現状を目の当たりにすると、「法治国家だろう、憲法を守れ!」と大声で叫ばざるを得ない。

 ここで一つ言えることは「憲法を変えずに護れ」ということと「憲法の条文を守れ、それに従え!」ということは別のことだということである。憲法に従って国の政治を行うことに異論があるようでは、近代国家の仲間入りができない。遵守してもらわなければならないことは当然のことである。

 さて、中身を変えずに護るかどうかであるが、占領軍の押し付け憲法だからできるだけ早く変えなければならないとも言い難い。約70年にわたって、日本人がなじんで、誇りにすら思っていた憲法である。他人の子だと分かっても、自分の子として育ててきた面もある。

 なぜそんなに気に入ってしまったかと言えば、この憲法によって、基本的人権が認められ、絶対権力者の天皇が象徴という柔らかい存在に変わり、軍国主義から文民主義に変わったからである。憲法を押し付けられても、それによって、国民の暮らしは見違えるほど良くなった。

 それにしても、押し付けられたことに気付かないと、そこに付着した負の面が解消できないと矢部氏は説くのである。

 さてこれにて次の見出しへと進みたいのだが、《「押し付け」は、昭和天皇を救うためという側面が強かった》という見出しに対し、この節の要約は説明になっていないと読者の方は思われるだろう。見出しの説明として補足するには、〈マッカーサーは…占領政策に昭和天皇の存在が欠かせないことを知ったはずだ。一方政治日程として東京裁判の開廷が近付いており、アメリカ国内外に、天皇も裁判にかけろという声が強く存在した。そうした事態を避けるために「天皇も日本も将来絶対に軍事的脅威になる可能性はない」という形で新しい憲法をつくる必要があった〉という部分を再録しておこう。

   《憲法という国家の根幹に大きな闇が生まれてしまった
〈まるで軍事行動のようなスケジュールで全体が計画されるなかで、マッカーサーの部下であるホイットニーとケーディスによって憲法草案は作られた。「敗戦国への懲罰」という大きな枠組みのなか、それを逆手にとる形で「人類究極の理想」を憲法に書き込もうとした。また天皇という君主をのこしながら完全な民主主義国として再出発することも憲法に書かなければならなかった。そうしたきわどい目標をクリアするためにはギリギリのバランスで条文を作る必要があった。戦後の日本社会を考える上で、彼らのこの行動は決定的な意味を持っていた。占領軍が敗戦国の憲法草案を書いたという点ももちろん問題だが、それを「日本人自身が書いたことにした」という点が何より問題だ。ひとことで言うと、憲法という国家の根幹に大きな闇が生まれてしまった。〉

   《極限まで簡略化した「日本国憲法の真実」
〈日本国憲法の真実を極限まで簡略化すると、
①占領軍が密室で書いて、受け入れを強要した。
②その内容の多く(特に人権条項)は、日本人にはとても書けない良いものだった。
 ①と②は論理的には矛盾している。①が事実なら②は間違っているはずで、逆に②が真実なら①は間違っているはずだ。これまで②の内容を非常に高く評価し、そのため①の歴史的事実を全否定してきたのがいわゆる左派の人たち。一方①の事実を強調することで②の内容を全否定し、国民に人権を与えすぎているのが気に食わないから、後退させようというのが右派、安倍首相や石原元東京都知事などだ。
 もちろんどちらも間違いで、正しくは歴史的事実をきちんと認めた上で②を超えるような内容の憲法を自分たちで作るというのが、どこの国でも当たり前のあり方だ。

   《事実を公開するアメリカと、隠蔽したまま進んでいく日本
〈占領期に作られた重要な文書はすべて、最初は英語で書かれている。問題はそれが独立後も継続していることだ。日米間の重要な取り決めは、すべて英語が正文、日本語は仮訳という形になっている。日本の国家体制はまずアメリカ側が基本方針を決める。それにあわせて日本側がアレンジする。アレンジして実は自発的にやったんだ、だから対等なんだというフィクションを作る。しかし、アメリカ側はしばらくたつと自分たちが要求したという事実を文書で公開する。一方日本側はアメリカから指示があったことは隠蔽し、すべて日本が主体的に選択したことだと共同体のなかだけで合意する。
 現在の日本の混迷の大きな原因のひとつは、国家全体が過去の記憶を隠蔽・廃棄し、その当然の結果としてインテグリティを喪失した状態になっているというところにある。〉

 残念ながら敗戦が出発点になっているのが現代日本である。戦勝国からの押し付けも少なからずあるであろう。問題は、こうした事実を隠蔽し、主体的に選択したことだとして国民を欺き続けていることである。
 国力として外国が怖れるのは、一握りの政府高官やエリート官僚ではない。その国民の総力なのである。国民に真実を伝えないから、何年たっても植民地、属国のままなのだ。と、私も思う。

   《なぜ日本人は自分たちでまともな憲法を書けないのか
〈人間宣言も日本国憲法も、書いたのは個人ではない。大枠を決めてこれでいけと言ったのがGHQ、その枠の中で自主性を発揮し、アレンジしたのが日本側。これでもう無益な論争に終止符を打つことにしてはどうだろうか。
 問題は、私たち日本人は1946年も、そして2012年(自民党改憲案)も、国際標準のまともな憲法を自分たちで書く力がなかったということだ。正しい意見をくみあげ、国家レベルでまともな憲法を書く能力が、いまも昔も日本にはない。その問題を、これから解決していく必要があるのだ。〉

 私もまったく同感だ。良いところは追認し、ごく一部直すところは直し、付け加える必要があれば加筆し…という日本人の手による憲法づくりはやらなければいけないと思う。だれのためでもない、日本人自身のためにやらなければならないと思うし、民主主義を重んじる精神があれば必ずできると思う。まずは、国際標準に満たない改憲案を作る政党を少数派に追い込まなければならないが・・・


 これにて、ようやく、《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》が終わりました。できるだけコンパクトに分かりやすくと思っているのですが、それでもこんなに長くなってしまっています。
 日が変わらないうちにUPと思っていましたが、ちょっとばかり間に合わなかったようです。これにて急いで寝ます。おやすみなさい。(今日は暑いので、布団はお腹にかけません (^_-)-☆)

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その17 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]


   《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》(7)

もし国土の一部でも占領されていたら、その間は絶対に憲法に手を触れてはならない
〈こうして憲法をGHQが書いたという事実を隠した上に日本の「法学」を組み立ててしまったため、戦後の日本社会の法的な基盤は本当に脆弱なものになった。その結果の一つが「統治行為論」であり、三権分立の否定につながっている。
 その点、ドイツの場合、占領中は絶対に正式な憲法をつくらず、「暫定憲法」を定め、「この基本法は、ドイツ国民が自由な決定により議決した憲法が施行される日にその効力を失う」としている。フランスが1946年に制定した「第四共和国憲法」には、見出しに掲げた趣旨の条文が入っている。憲法に関するこうした常識があれば、沖縄が議会に代表を送れない状況での憲法づくりはあり得なかったはずである。〉

 著者の解説の展開とは別に私の感想を述べると、ヨーロッパの国の憲法は、その都度、その国民の総意によってつくられているため、他国の影響を受けて国民が自由に思考、議論、採決ができない恐れがある場合には、憲法に手をつけることはできないとし、そういう状況にないときのみ、必要があれば改正を検討するという、国民の自由意思による総意の尊重が貫かれている。

 一方日本の場合は、憲法を、国民の自由意思による総意で決めた実績がない。そもそもの大日本帝国憲法は、国会開設前に、自由民権運動による様々な試案を何ら参考にせず、むしろ弾圧して、伊藤博文らが枢密院で審議して草案をつくり、天皇が首相に手渡すという形で公布した欽定憲法である。

 憲法は、国民が自由に発案、審議できる状況で、総意で決めるものという実績・実感がまったくないどころか、不自由な状況で、天から与えられるものという認識のほうに慣れているのである。この、戦前社会の民度の低さこそがすべての根底にあるように思う。その民度の低さの原因は、国民の側にあるというよりも、明治維新以降の藩閥専制政治にあるのであり、先に立つ人が率先して世界標準を学んでいかないと、国として大損をしてしまうということではないかと思う。

 今もそうである。日本政府のやろうとしていることは、世界標準から桁外れに遅れている。複雑な世界情勢のなかで、積極的平和主義と称して、世界中の紛争に関わろうとしている。せっかくある憲法の歯止めを自ら外して同盟国の要望に応えようとしている。そうした政策を実現するため、情報管理やら、報道への圧力やら、誠意のない稚拙な説明やら、噛み合わない国会審議やら…北朝鮮の後追いをしているかのような独裁政治を展開している。
 どうして日本の指導者は、国益を考えず、自分たちの政治のやりやすさばかり考えるのだろうと思う。
 さてさて、本に戻ろう。

本当は論争になるはずがない話
〈日本国憲法はGHQが書いたということはGHQが本でオープンにしているので、明らかなことである。日本の左派だけがこの事実を否定している。〉

だれが条文の骨格を決めたのか、決める権利を持っていたのか》   
〈この問の答えは100%GHQだった。「占領軍が被占領国の憲法草案を自分で執筆した」という異常な事態は、いくつかの歴史的偶然から起った。〉

憲法改正の権限を握ることになった極東委員会
〈日本軍兵士の強さをだれよりもよく知っていたマッカーサーは、その数百万もの日本軍が八月十五日以降、天皇の命令でピタリと抵抗を止め、粛々と占領軍の命令に従うようになった事実から、占領政策に昭和天皇の存在が欠かせないことを知ったはずだ。一方政治日程として東京裁判の開廷が近付いており、アメリカ国内外に、天皇も裁判にかけろという声が強く存在した。そうした事態を避けるために「天皇も日本も将来絶対に軍事的脅威になる可能性はない」という形で新しい憲法をつくる必要があった。
 また、日本占領についての権限をめぐって米ソが対立し、その結果、11ヵ国からなる日本占領に関する最高決定機関、極東委員会がワシントンに設置されることになった。〉

極東委員会が発足する前に、日本人がつくったことにしてつくれ
〈極東委員会が発足する前にGHQが草案をつくって日本政府に受け入れさせておき、発足後は日本政府に日本語の草案をつくらせ、マッカーサーが承認を与えればよいというチャールズ・ケーディスの進言に沿ってことは運ばれた。〉

 もう少し進めたいのですが、今日もまた素晴らしく暑かったこともあって、熱中症にならないうちに、これにてUPすることにします。また、ご感想等お聞かせください。
 
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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その16 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》(6)

《美しい二重構造
 全部大事だが、敢えて抜くと
〈「マッカーサーの権力」と「昭和天皇の権威」で占領統治が進んでいく。こうした昭和天皇が主導した二重構造のなかで、日本国民にとっても、GHQに強要されている部分は次第に見えなくなっていく。〉

「日本国憲法の謎」を解くカギとなる人間宣言
〈人間宣言が書かれた経緯や目的、時代背景は、その約二ヶ月後に書かれた日本国憲法を理解するうえで非常に参考になる。その前に憲法の重要性についてだが、主権国家が憲法に条文として書き込んでしまえば、それほど強いものはない。「主権平等の原則」はアメリカ自身が国連憲章で示した、戦後世界の大原則なのである。憲法は力の弱い国が強い国に立ち向かうための最大の武器である。たとえば、フィリピンは新憲法を作り、米軍を完全撤退させることに成功した。この時点で東南アジアに外国軍事基地はひとつもなくなり、欧米列強によるアジアの植民地支配は終止符が打たれた。しかしこうした事実は安保村にとって都合の悪い情報なので、日本人には伝わらないようになっている。

 この節は、見出しの内容よりも「憲法の持つ国際的な意義・重要性」について解説している。他国の都合に応ずるのではなく、自国の国益を真に考えた憲法を作り持つことによって、真の独立国になり得ると説いている。自主憲法制定というと与党の憲法改正が思い浮かぶが、安保村のやろうとしていることは、方向が違うので、初めから論外なのである。

日本国憲法は本当はだれがつくったのか
〈憲法は強い国に立ち向かうときの最大の武器であるにもかかわらず、日本は国民の間にコンセンサスがない。だから、国家主権が侵害されたとき、アメリカと闘うための武器にできないし、国民の人権が侵害されたとき日本政府と闘う武器にすることもできない。コンセンサスがないとは、「日本国憲法は本当はだれがつくったのか」という非常に基本的な問題をめぐって大きな対立があるのである。すなわち、右派はGHQがつくったとし、左派(=リベラル派)は日本人がつくったとして対立している。〉

《「書いた」のは100パーセントGHQだった
〈混乱の原因の一つに言葉の定義の問題がある。「つくった」という言葉は、含まれる時間や内容の幅が広い。たとえば九条には日本人の「不戦の祈り」が込められているのは事実だと思う。しかし憲法を「書いた」ということで言えば、それは完全にGHQだった。1946年の2月4日から9日間でGHQは日本国憲法の草案を書き、それを日本国政府に手渡し「この内容に沿って憲法を改正するように」と強く求めた。〉

検閲によって秘密にされた憲法草案の執筆
〈GHQ自身が、「自分たちが憲法草案を書いた」ことと、このことに関する「一切の言及を、メディアや手紙でおこなうことを禁じた」と公表している。〉

GHQのコントロール下にあった国会審議
〈草案はその後帝国議会で何十カ所も修正されて正式決定されたわけだが、その国会審議は、完全にGHQのコントロール下にあった。〉

欽定憲法論と民定憲法論
〈日本国憲法は、昭和天皇が明治憲法第七十三条の定める憲法改正の手続きにしたがって発議し、帝国議会で審議されたあと、天皇が裁可して成立したという形になっているため、形の上では欽定憲法だが、憲法自身は「日本国民は(略)主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する」つまり、これは民定憲法だとしている。このため、長い間、信じられないほどダメな、法学上の対立があった。そんななか、美濃部達吉はこの矛盾を指摘し、「民定憲法は国民代表会議をつくって…起案させ、…国民投票にかけるのが適当と思う」ときちんとした議論をした。しかし日本の社会では、論理的に正しい「世界標準」の議論は社会的制裁を受け、論理を度外視して体制側に迎合する「学説」だけが無批判に生き残っていく。〉

八月革命説
〈その体制迎合派の代表的存在が美濃部の弟子の宮澤俊義・東大法学部教授で、民定憲法論を勝利に導いた。その論理は降伏を革命に見立てることで、日本がポツダム宣言を受諾したときに法学上の革命が起き、主権の存在が天皇から国民に移行したという「学説」で、これにより、民定憲法論の矛盾が一気に解消されたということらしい。
 戦後日本の社会科学の最高権威たちは、あらかじめ決まっている結論を巧妙に正当化することに痛みを感じない人物だった。〉

日本の原発は核攻撃に耐えられる
〈そんな人物の一番わかりやすい例は民主党政権で防衛大臣に抜擢された森本敏氏だ。民放番組のなかでキャスターに、原子力施設の対核兵器安全性を聞かれ、「耐えうるような強度をもつよう設計されているので問題はない」と平然と答えた。〉

 このあたりで矢部氏が書いていることは、全面降伏した日本が進駐軍の影響下で憲法が改正され、それがあたかも日本人自らが作ったかのような体裁が採られ、学者もその正当化に勤しんだため、憲法を巡る本来の議論が起こらなかった、つまり、日本の社会科学に大きな狂いが生じたことに対する慙愧の念である。
 敗戦日本が、どのように立ち直っていくか、出発の時点から暗雲に覆い尽くされてしまったのである。そして暗いところは見ずに(安保村がこれを覆い隠したまま)、経済復興だけはやり遂げて行き、やがてエコノミックアニマルと呼ばれるような時期を迎えるのである。

 安保村の謎①はまだ続く。次はドイツの場合が語られるが、本日はこれまでと致します。

 みなさん、超暑い気候が続いています。当地は連日38度台です。筆者も保冷剤を頭に乗せて書きました。みなさまも、どうぞご自愛くださいますよう!

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その15 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

 《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》(5)

日本再生の先頭に立った昭和天皇
〈人間宣言が出された直後、GHQ民間情報教育局から、天皇制存続の意向があることと、天皇が広く巡幸され国民の声に耳を傾けられるべきだとの意向が宮中に伝えられる。その一月後から天皇巡幸が始まった。こうして、昭和天皇を平和と民主主義のシンボルとする「日米合作」の新国家として、戦後日本が再出発する。天皇が主導して日米合作の戦後体制が築かれたので、いくら矛盾が露呈しても、安保村の基本構造は変わりにくい。〉

人間宣言の英文と訳文
〈最も重要な神格否定部分は、英文とほぼ同じである。ただ一ヵ所、「天皇は神の子孫であるという誤った観念」は日本側の主張で「天皇を生きた神とする架空の観念」に変えた。その結果、いま生きている昭和天皇が神だということは否定されたが、天照大神が皇室の祖先であるという皇室のアイデンティティーは守られ、祭儀はこれまでどおりおこなわれるようになった。〉

昭和天皇のおこなったアレンジ ― なぜ五箇条の御誓文を加えたのか
〈さらに昭和天皇は自身の判断で冒頭に五箇条の御誓文を付け加えた。なぜそうしたのか3つ意味がある。ひとつ目は、GHQに言われて人間宣言するのではなく、五箇条の御誓文に現れた民主的な精神を国家再生のメッセージとするために宣言するという体裁をとることができる。〉

一二〇点の回答
〈ふたつ目の意味は、GHQの文案をバージョンアップさせたところにある。GHQは、昭和天皇が自分の口から「神ではない」と言ってくれれば十分だったところを、日本が明治時代から立派な民主国家だったという文言が採り入れられることにより、王制を残して民主化できる可能性を国際世論に示すことができると考えた。三つ目の意味は、日本の天皇制は明治時代から民主的な立憲君主制を実現してきており、軍部が独走して戦争になったが、今後は軍部の独走以前の体制にもどり、世界の民主勢力と力を合わせて日本を復興させることができるというシナリオを示したところにある。〉

日本人の歴史観を決定した人間宣言
〈その後の日本人の歴史観は、このとき人間宣言で表明されたロジックに基づいている。つまり、
①明治時代:民主主義にもとづいた正しい時代
②昭和初期:軍部が暴走した間違った時代、突然変異的な時代
③戦後日本:本来の民主主義にもどった正しい時代
という歴史観。この日米合作の歴史観は8割方事実かもしれないが、昭和天皇にまったく戦争責任がないという点と、昭和初期だけが異常な時代だったという点はおかしい。時代というのは連続しており、前の時代にのちの時代の原因がある。〉

 著者は公文書にもとづいて、敗戦直後の日米の(アメリカ、主としてGHQが主導し、天皇とその側近たちが応じていく)関係を以上のように推測している。戦争というものは、勝ち負けの決着がついた後、特に勝った側が、その勝利の成果をどのように自国の益につなげるか、そこがたいへん重要な考えどころであろう。併合して直接統治することなしに、どうやって長期的に利用し、影響を与えつづけるか、と考えたときに、軍事力と軍部をそぎ落とし、日本国民統合の象徴として、神であることを否定した天皇を残し、混乱を避けつつ、国の形を変えていく道を、アメリカは選んだのだろう。ありそうなことである。
 天皇の側も、国民の復興を考え、天皇家の地位や存続も考えつつ、戦勝国の意向に、賢明に対応していったのであろう。

 この辺りの歴史は、天皇に関わることなので敬遠する人が多いのだろうか、なかなかつまびらかにされない部分である。その点、矢部氏は、自説をほとんど歪めることなく披歴しているので、敬意と謝意を表したい。
 また、矢部氏は《前の時代にのちの時代の原因がある》と述べた直後に、《事実いま日本では、まさに②のような「異常な時代」がふたたび訪れる可能性が生まれ始めています》と指摘している。「いま」を見る眼もブレていない、確かなことがよくわかる。

 ページはあまり進まなかったが、ここでまた、一休み。 お許しあれ!
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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その14 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》(4)

第一回マッカーサー・昭和天皇会見
〈敗戦から43日後に行われた。公開されている外務省の記録によると、二人は簡単な挨拶の後、マッカーサーが20分にわたり演説をし、その後昭和天皇は「この戦争については、自分としては極力これを避けたい考えでありましたが、戦争となるの結果を見ましたことは、私のもっとも遺憾とするところであります」と述べたとのこと。発言内容については諸説あるが、マッカーサーの政治顧問だったジョージ・アチソンが本国の国務省に宛てた極秘電報がもっとも事実に近いのではないかと思う。それには外務省の記録には意図的に書かれていないつぎの2点がある。《①「宣戦布告の前に真珠湾攻撃をしたのはまったく自分の考えではなく、すべて首相だった東条(英機)の責任である」 ②「だからといって、自分の責任を回避するつもりはない。自分は指導者として、日本国民の行動には責任がある」これは、東条に罪をかぶせるというシナリオに沿った発言だが、公にすると不都合なこともあるので、外務省は削除したのではないか。〉

一九四五年九月の段階から、日米合作のシナリオが動き始めた
〈ほとんど語られることはないが、マッカーサー・昭和天皇会見の二日前に、天皇は、アメリカ・メディアと記者会見している。そこで交わされた一問一答は、日米間で合意された完成度の高いシナリオだった。GHQと天皇側近との合作によるシナリオが動き出していた。〉

安保村の誕生 ― マッカーサーの信頼をかちえた昭和天皇
〈こうした昭和天皇の「全面協力します」という決意表明は、マッカーサーにとって心強いものだっただろう。〉

《「もっとも安全な方法は、〔天皇がみずから〕危険をおかすことだ」》
〈戦争が終わる数ヶ月前から終戦工作が行われ、天皇が戦争責任を認めることが天皇にとって最善の選択だという助言がなされた。昭和天皇にはそれに応じる胆力があり、それを高く評価したマッカーサーと「アメリカの占領政策=日本の国家再生計画」という共同プロジェクトが始まる。安保村の基本構造が誕生した瞬間でもある。〉

最初は英文だった人間宣言
〈そもそもアメリカが日本を占領した目的は、日本を自分たちの国益にかなう形で国家改造することだった。すなわち、「二度と自分たちに刃向う可能性がない国」、「民主的な国」に改造することだった。彼らは戦前の日本を天皇崇拝と軍国主義が一体となった狂信的軍事国家だと考えていた。そこで、国家が神道にかかわることを全面的に禁止する命令を出した。〉

 見出しの説明はここではまだなされていない。前後の状況説明である。

人間宣言と日本国憲法が書かれた経緯は、そっくりだった
〈その命令に「天皇は神ではない」という内容は書かれていない。信仰の問題なので、本人に言わせようという計画が立てられ文案が示された。五月に予定されている東京裁判に天皇をかけないように、国際世論を誘導するために急がれた。日本国憲法がこの時期に急いでつくられたのも同じ理由である。こうして1946年1月1日に人間宣言が出され、すぐにマッカーサーが連携して「いまや天皇は民主主義の象徴となった」と称賛する声明を出した。〉

 日本は敗戦を境に短期間のうちに国の体制を変えるわけだが、その具体的な経緯については、非常に大切なことであるにもかかわらず、歴史として教えられることはなかった。このあたりのことは、うやむやにしたまま、戦勝国の意図によって受動的にそうなったと目をつむってしまいたいのだろうか、為政者たちの意識としては。しかしこれが、その後今日まで、正体を明かさないまま存在しつづけ、日本を主導していく安保村誕生の経緯だったのだ。

 矢部先生の貴重な解説はまだまだつづく(が、ここらで一服)。
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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その13 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》(3)

「天皇+米軍」が戦後日本の国家権力構造となった
〈安保中心の国づくりをしたのは昭和天皇とその側近グループだったことはアメリカ側の公開資料により明らかになっている。《さまざまな歴史的経緯のなかで、日本人から圧倒的に支持されてきた天皇制と、第二次大戦後、世界の覇者となったアメリカ、なかでも人類史上最大の攻撃力をもつようになった米軍が強く結びつく形で「戦後日本」の国家権力構造がつくられることに》なった。たいへん強力であるため、現在のように矛盾がふきだしてもなかなかリセットできない。〉

「戦争責任なし」というフィクション
〈「開戦の詔書」を天皇の名で出しているので、戦争責任がないということはあり得なかった。しかし、米軍が日本本土への無血侵攻を達成するために天皇の協力を必要とし、その要請に応えた天皇を戦争犯罪人として裁くことは、以後の日米関係にとって益なしとの判断から、戦争責任を問わないことになった。昭和天皇にまったく戦争責任がないというのは、日米(GHQと日本の支配層)が合同でつくったフィクションである。〉

昭和天皇と優秀な影の内閣
〈昭和天皇の歴史的評価はさまざまだが、研究者がほぼ一致しているのは、昭和天皇は頭脳明晰で意志も強く国家戦略に長けた人物で、周辺に、きわめて優秀で忠誠心に富んだ側近グループが存在したということ。《その影の内閣の能力が、占領期にGHQとのかかわりのなかで、天皇制を存続させ、新しい「戦後日本」の形をつくるうえで遺憾なく発揮された。》〉

安保村の掟・その1
〈《重要な文書は、すべて最初は英語で書かれている》1946年に昭和天皇が出した人間宣言も、最初は英文で書かれていた。〉

天皇を利用した日本統治のスタート
〈天皇を利用した日本統治の試みは、8月15日の敗戦後すぐに始まった。8月21日マッカーサーに呼びつけられた軍使は降伏文書、一般命令第一号、天皇の布告文【現代語訳が原書本文に載っているが、ここでは省略する】の3つの英語で書かれた文書をもちかえる。アメリカによる日本占領は、英文で書かれた布告を日本側が翻訳して、天皇が指示どおりそれを発表することでスタートした。〉

皇居はなぜ爆撃されなかったのか
〈日本を占領するにあたって、天皇をどのようにあつかえば国益にかなうか、アメリカ政府は早くから検討を始めていた。皇居は爆撃せず、東京駅は爆撃した。降伏のセレモニーであるミズーリ号上の調印式も、天皇自身にサインを求めず、日本政府と軍部の代表者に自分のかわりに出席してサインすることを命ずるという形にした。〉

天皇の声明によって、順調に進んだ武装解除
〈昭和天皇とその側近グループは、アメリカ側からの要求にこたえながら、したたかに日本の国益を確保し、「戦後日本(安保村)」の安全保障体制をつくりあげていくことになる。国内だけでも300万人もの日本軍がそれほどの混乱もなく武装解除に応じた事実は「天皇を利用した日本支配」というシナリオの価値をいっそう高める結果になった。〉

 次の見出しが《第一回マッカーサー・昭和天皇会見》である。まだまだ、敗戦直後の段階である。先が長いので一区切りとしようと思う。
 ここでは、何もコメントを入れずに、著者の研究成果を曲げることなく伝えることに努めた。この時の在り方が今日の大きなゆがみにつながっているのだから、いろいろな思いが去来しなくもないが、あれほど軍事大国化し、国民を挙げて戦争を遂行していた国が、平和を取り戻そうという非常に緊迫した場面なので、あれこれの批評よりも、まずは、ことの成り行きについて、著者の説明を聞くことが第一と考えた。
 何も贅沢が言えない状況に追い込まれていたのだ。それほど、国の在り方が間違っていて、見通しもないままの戦争をやっていたのだ。そのつけが、こういう形で回ってきて、さらにそのつけが、70年たっても、まだまだ、重くのしかかってきているのだ。
 いまの政府が、そのつけを帳消しにすべく頑張っているのならまだしも、全体のゆがみを是正しようとするどころか、いままた新たに戦勝国の要望に沿って、国民をないがしろにしようとしているのだから、この国の政治家は、本当に情けない。あきれてものも言えない。(こんなことを書くつもりはなかったが、いつの間にか書いていた)
 ではまた!


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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その12 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》 (2)

社会科学が苦手な日本人
〈なぜ私たち日本人は、明らかにおかしな状況を自分たちの手で直すことができないのか、その本質的な原因は、社会科学の不得手さにある。食文化、美術、ものづくりなど世界のトップレベルにあるのに、なぜか、社会科学の研究成果を国家としての政策や決定に反映していく回路が決定的に分断されている。〉

世界が驚いた二〇一二年の自民党憲法草案
〈二〇一二年に自民党が発表した憲法改正草案には、日本人の欠点が最も悪い形で表れている。世界中の有識者たちが、何世紀前の憲法かと腰を抜かすほど驚いた。もともと苦手だった社会科学について、この70年間でさらに退化してしまった。日本の戦後史の一番の謎と言えるかもしれない。〉

安保村とはなにか
〈原子力村の構造がわかり、それをカギにして、それよりはるかに大きな「(日米)安保村」の構造がわかってきた。「安保村」とは「日米安保推進派」の利益共同体のこと。基本構造は原子力村とまったく同じで、財界や官僚、学会や大手マスコミが一体となって、安保推進派にとって都合のいい情報だけを広め、反対派の意見は弾圧する言論カルテルとして機能している。ちがうのはその規模。安保村は日本の社会そのものだから、桁外れに大きい。〉

 通常「~ムラ」とか「ムラ社会」とかいう言葉は、その社会や集団特有の暗黙の掟があって営まれている閉鎖的な特殊空間を指して使われる。だから、安保村が〈規模が大きく、戦後の日本社会そのもの〉と言われると、「ムラ社会」の持つイメージと重ならないような気がする。しかし著者は、一国の全体が、特有の暗黙の掟で営まれていることに気づき指摘しているのである。
 国全体が一つのムラというイメージを膨らますと、ブータン王国のような、のどかな農業国を想い浮かべかねないが、日本の場合は「国全体が、安保村という偏屈で閉鎖的なムラに牛耳られ、その暗黙の掟に支配されてしまっている」というのである。つまり「われわれ住民はほとんど気付いていないが、日本全国が安保村なのである」と指摘している。
 これは、たいへん重大な指摘である。これが単なる仮想や仮説ならば、下種の勘繰りとか、極論とか言っていられるが、われわれが知らずに体験してきた戦後日本の政治と見事に符合するのである。
 たとえば、とっくにわかりきっていた社会の少子化にほとんど対策を立てなかったり、赤字財政を膨張させつづけてきたり、続発する国民の行方不明事件を放置しつづけたり、選挙制度を公正なものに修正しないままだったり、教育の諸問題に真剣に取り組まなかったり・・・これらの純粋な内政問題は安保村が無関心だから、政府も無関心だったのだ。また、都合よく憲法を解釈したり、機能を停止させたりして、自国の憲法を自ら軽視してきたのは、安保村からの要請に喜んで従ってきたからだったのだ。
 本書のタイトルである《日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか》の疑問の答もここにあるのだ。基地の問題も原発の問題も、少しも、国民の立場に立って、国民に寄り添って考えていないのだ。安保村の答に忠実に従うだけで、なんの疑問も悩みも持っていないのだ、この国の政治の中枢は。
 そういうことが、この指摘と見事に符合するのだ。
 では、安保村とはどういう経緯でできてきて、どういう構造をしていて、どういう掟で営まれているのか、本書は、残り約160ページで、さらにじっくり解明してくれる。だが、この解説書はここで一休み。(させてね!)

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その11 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》 (1)

〈ここまで読んできて「そこまでひどいとは思わなかった」と感じた人が多いのでは。しかし、これらはすべてアメリカ側の公文書によって証明されていることである。いったいなぜこんなことが起こってしまうのか、そこには、非常に根深い構造的な原因がある。だが、それを説明する前に、ひとつだけ技術的な問題について説明する。〉

《「朝三暮四という政治テクニック」》
〈中国のこの故事は、老人とサルをめぐるとぼけた民話ではなく、権力者が民衆を統治するうえでの最高のテクニックについて語った極めて恐ろしい話なのである。〉

《二重の規制ライン》
〈沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故で、米軍は事故現場を広範囲に封鎖して、政府関係者であれだれであれ、日本人を現場に近づけさせなかった。それはおかしいということで、政府は新しい取り決めを米軍と結ぶことになった。その結果、事故機の残骸が飛び散った部分の規制ラインはアメリカが管理、その外側は立ち入りポイントを定め共同管理、さらに外側に規制ラインを定め日本が管理することになった。これがひとつ目の朝三暮四。〉

《二種類の密約》
〈2009年9月に誕生した鳩山政権は戦後結ばれた日米安保に関する密約を調査し、関連する日本側の公文書を明らかにすることを公約としていた。ところが調査の開始から半年後、外務省の委嘱を受けた「有識者委員会」は厳密な意味での密約はなかったとする報告書をまとめ、調査は幕引きとなった。委員会の座長である北岡氏は、第二次大戦以前の大国同士が結んだ密約が「密約」で、戦後の日米密約は厳密な意味での密約ではなかったと、根拠もなく決め付けた。これがふたつ目の朝三暮四。〉

《「条約は一片の紙切れにすぎない」という虚偽》
〈日本の国際政治学の最高権威とされる北岡氏は「条約とは生き物であり、それ自体は一片の紙切れに過ぎない」とも述べている。これが、重要な密約文書が発見されたときに、政府が「合意文書はあったが、現実には影響をおよぼさなかった」と釈明する「理論的根拠」となっている。しかしこの理論は完全な虚偽である。条約や密約は当事国の力関係によって動くものかも知れないが、過去の条約や密約の内容が現実の世界で起こっているとすれば、それらの取り決めが効力を持っているに決まっており、破棄しないかぎり効力を持ちつづける。〉

 著者は、アメリカの戦後支配に不平不満を言わないで従属している日本人の態度を「朝三暮四」という故事で括っているが、長いものには巻かれて、島社会で支配的地位を獲得・維持しようとする(一部)知識人の姑息な生き様・知恵の使い方が看て取れる。そういう彼らも支配されている側なのだから、たしかに「朝に四、暮れに三ならいいじゃないか」と仲間を説得しているサルのリーダーと言えなくもない。騙されているサルよりも、利口そうに仲間を騙して旨いものを食っているリーダーサルが圧倒的に罪深い。その辺のことを著者は次のように記している。《こうした数々の珍妙な「理論」は、つまりは違法な密約を永久に破棄させないための防波堤として機能している。》

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その10 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   PART2 福島の謎(5)

《法律が改正されてもつづく「放射性物質の適用除外」》
〈福島原発事故から一年三ヵ月たって、放射能汚染の適用除外については法律の改正が行われたが、見せかけだけで実態は何も変わっていない。放射能汚染については「政府が基準を定め」「国が防止のための必要な措置をとる」という形になったが、肝心の基準が決められていない。このため、健康被害を根拠に訴えても訴訟で勝てない。国の安全保障に資することとされたため、安保条約と同様、司法の及ばない問題となってしまっているから。〉

《「何が必要かは政府が決める。そう法律に書いてあるでしょう!」》
〈「原発事故 子ども・被災者支援法」は、超党派の議員立法によって全会一致で可決されたが、日本政府は一年以上、何一つ具体的な行動をとらなかった。そんな折、国会議員の会合がもたれ、議員の一人が被災者に対する意見聴取会を開くべきだと主張したところ、復興庁の水野靖久参事官が、見出しに掲げた発言を強い口調で言い放った。これでは国民の人権など守られるはずがない。〉

 アメリカに追随する70年の間に、官僚の多くが、すっかり国民を軽視してアメリカの意向に沿うことを仕事と思うようになってしまった。虎の威を借りていれば、楽で、失敗することもないからである。問題点を探して改善しようという意欲がなければ、それで生涯無事に役人として立身出世できる。情けない人たちだ。元経産省官僚の古賀茂明さんが書いた本のタイトル『日本中枢の崩壊』を思い出す。あの本には、役人の内向きの論理や、電力業界の暗然たる影響力など、国内的要因が様々に指摘されていたと記憶するが、さらに全体背景として、アメリカの巧妙な政治支配があったのだ。中枢が崩壊している。

《日米原子力協定の「仕組み」》
〈日米間の協定により、日本が独自に決められるのは電気料金だけで、あとは、アメリカの了承がなければなに一つ決められない仕組みになっている。こんな国家間の取り決めは、地球上他に存在しないだろう。そのうえ、この力関係を日本の側から是正する武器はなにもない。法的構造がそうなっている。〉

 詳しいことは、ぜひ原書をお読みいただきたい。

《なぜ「原発稼働ゼロ政策」はつぶされたのか》
〈野田内閣が2012年9月に「2030年代に原発稼働ゼロ」をめざすエネルギー戦略をまとめ、閣議決定しようとしたが、外務官僚と米政府高官が話をして強い懸念が表明され、閣議決定は見送られた。このようにアッという間に首相の決断がくつがえされてしまうのは、日米原子力協定という「日本国憲法の上位法」にもとづき、日本政府の行動を許可する権限を持っているのは、アメリカ政府と外務省だからだ。原発を止められない主犯はこの法的構造にある。〉

 なんとかしなければ、安全保障にかかわることに関しては(つまり一番大事なことに関しては)、日本の国土でやること、やらないことを日本人はなに一つ決められないという状況が続いていくということである。
 この問題から少し離れるが、安倍内閣は、積極的に閣議決定をして迅速に政策を実行しているが、これは安倍さんの力量云々ではなく、アメリカと外務省の意向にいかに軽く乗っているかという観点でみるべきだということでもある。

《「原発がどんなものか知ってほしい」》
〈日本の原子力政策が非常に危険な体質をもっていることは、平井憲夫さんという現場監督の方が遺した手記でよくわかる。ネット上に手記の全文が公開されているので、ぜひご覧いただきたい。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/

《北海道の少女の涙の訴え》
〈平井さんが「この話だけはぜひ覚えておいてください」と語るある少女の話。「原発がそんなに大変なものなら…なんでいまになってこういう集会をしているのか…。もし私が大人で自分の子どもがいたら、命がけで体を張ってでも原発を止めている。」〉

 そうだよ、子どもたちに不安を与えるようなことは、即刻止めなければいけない。それが大人の務めだ!

《悪の凡庸さについて》
〈ドイツ映画『ハンナ・アーレント』の大量虐殺の犠牲者となったユダヤ人の話から、日本人の問題を指摘する。〉
《「なぜ自分たちは、人類史上最悪の原発事故を起こした政党(自民党)の責任を問わず、翌年(2012年)の選挙で大勝させてしまったのか」
「なぜ自分たちは、子どもたちの健康被害に眼をつぶり、被曝した土地に被害者を帰還させ、いままた原発の再稼働を容認しようとしているのか」
「なぜ自分たちは、そのような『民衆を屈服させるメカニズム』について真正面から議論せず、韓国や中国といった近隣諸国ばかりをヒステリックに攻撃しているのか」
 そのことについて、歴史をさかのぼり本質的な議論をしなければならない時期にきているのです。》

 PART2の終わり8行(原書で)は一字一句大事なので、本文をそのまま引用した。まったく思いを同じくしている。
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