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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その9 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   PART2  福島の謎(4)

《「統治行為論」と「裁量行為論」と「第三者行為論」》
〈福島の原発の問題を考える場合も、ウラ側の法体系を考慮しておく必要がある。砂川裁判で最高裁は憲法判断をしないとしたが、そのとき「安保条約のような…高度な政治性を有する問題については…」としたため、「国家レベルの安全保障」については最高裁は憲法判断をしないことが確定した。改正された原子力基本法には「前項の安全の確保については、(略)わが国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」という条文が入れられている。三つの法理論の内容はすべて同じもので、行きつく先は「司法による人権保障の障害」、「行政権力の絶対化を招く要因」また「司法審査権の全面否定」(小林節教授著書より引用)である。これらは米軍基地問題に関して、日本の憲法を機能停止に追い込むために関係者が編み出したトリックだが、行政や司法担当の日本の官僚たちが基地以外の目的にも使い始めるようになったということである。その行きついた先が、原発再稼働という狂気の政策なのである。〉

《政府は憲法に違反する法律を制定することができる》
〈日本は米軍基地問題をきっかけに憲法が機能停止状態に追い込まれ、法律どころか官僚が作る政令や省令でさえ、憲法に違反できる状況になっている。〉

 前の見出し部分も含め、たいへん由々しき事態である。一つの間違いが、指摘され正されていくのが人の世の本来の姿ではないかと思いたいが、日本の政・官界は、その間違い(=トリック)をテコにますます間違った方向(=民を欺く方向)に行こうとするのである。ガン細胞の増殖にも似ているように思う。そんなたとえが相応しいかどうかは別にして、あれだけ大勢の人が懲りた戦争の70年後、日本という国の政治が、表向きは日本国憲法を掲げ、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」をだれも否定せず、謳い文句にしておきながら、実は、さまざまなトリックを駆使して、他国に操られ、国民をないがしろにし、民主主義国の一つとしての体面だけを、内外に保ってきたのである。そういう事実だけは、歴史家の方々にしっかり受け止めておいていただきたい。戦後70年の日本は、そういう欺瞞に満ちた、腐った国だった!(可能性が大きい)

《放射性物質は汚染防止法の適用除外》
〈原発から45キロ離れたゴルフ場が放射能の除去を求めた裁判で、東京地裁はわけのわからない理由をあげ、除去を命じることはできないとした。日本には汚染を防止するための立派な法律があるのに、放射性物質は適用除外となっていた。そして環境基本法のなかで放射性物質による各種汚染の防止については、「原子力基本法その他の関係法律で定める」としておきながら、実は何も定めていないのである。放射能はいくら環境を悪化させても、法的には汚染ではないから、除染も賠償もする義務はない状況にある。よっておかしな判決が出ることになる。〉

 言うまでもなく、由々しき事態である。

 由々しき事態の指摘・説明はまだ続くので、一区切り、させていただきます。

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その8 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   PART2  福島の謎(3)

 福島の謎を解明するために、米軍駐留の経緯を再確認した。著者は、ついで、日本の側の問題として、官僚の果たしている役割を指摘する。

《三つの裏マニュアル》
〈「外国軍にほとんど無制限に行動の自由を許可すること」と「民主的な法治国家であること」は絶対に両立しないため、「戦後日本」という国は、国家のもっとも重要なセクションに分厚い裏マニュアルを必要とするようになった。それらは最高裁の「部外秘資料」、検察の「実務資料」、外務省の「日米地位協定の考え方」の3つである。〉

《殺人者を無罪にする役所間の連係プレー》
〈在日米軍の兵士が重大な犯罪を犯したとき、米軍と日本の官僚の代表が非公開で協議し、そこで決定された方針が法務省経由で検察庁に伝えられ、検察庁は軽めの求刑をすると同時に、裁判所に対しても軽めの判決をするように働きかける。こうした役所間の連係プレーが行われていることがわかっている。〉

《日本のエリート官僚が、ウラ側の法体系と一体化してしまった》
〈砂川判決に見るように、三つの裏マニュアルなどによって、ウラ側での権力行使がオモテ側の日本国憲法・法体系のなかに位置づけられてきた。その結果、国家の中枢にいる官僚たちが、オモテ側の法体系を尊重しなくなってしまった。〉

 由々しき事態である。国民が尊重し順守している法体系は、官僚にとっては実は飾り物でしかなかった。なんという国民に対する裏切り行為か。
 政治家は選挙によって洗われているから、選んだ者の責任もあるという容赦の仕方もできるが、官僚は、官僚が選び官僚が人事を行い官僚が組織的に仕事をしている、いわばお任せ集団である。それを監督するのが国会、つまり政治家の役割というわけだが、みそぎを受けることもなく、専門分野を担当しつづけている官僚のほうが、その道に詳しいに決まっている。行政職のトップである各省大臣は、政治家の出世目標になっている名誉職のようなものである。そういう政治家が情けなく、それをもてはやすマスコミや国民もどうかと思うが、官僚がアッチを向いていたのでは、国政全体がアッチを向いてしまって、どうにもめちゃくちゃになってしまうのは目に見えている。
 自分たちの組織のトップである内閣総理大臣の指示に従うどころか、日米合同委員会の趣旨をおもんぱかり、不都合があれば総理のほうを換えてしまうなどは言語道断の背任行為である。自分たちだけがその経緯を承知していれば、何をやってもよいとでも思っているのだろうか。

 著者矢部氏は、官僚たちがそうなるのは《ある意味当然で、一方的に彼らを責めるわけにはいきません》と一定程度、理解を示しているが、筆者はそうは思わない。している仕事がその任務と照らしておかしいと感じたら、それがある程度に達したら、上司に抗議をしなければ、また、役職を辞す覚悟で世間に告発せねばなるまい。長いものに巻かれるのも一時の方便である。それが高じて延々と続くようでは、自分たちが腐っていることに気づいて恥じなければなるまい。
 国家の中枢で要職に就いている人たちは、地位と権限に魅力を感じている場合が多いのだろうから、そのコースにいれば順風満帆の人生で、そこから外れたら零落・落伍と思うかもしれないが、よく考えてみよ、立身出世という目標は、親兄弟、親戚知人の手前ではないのか? あるいは、子孫・末裔に尊敬されたいためか? 本当に、自分自身がそういう人生を望んでいるのか? それが本意か? たった一度の人生を、他人に振り回され、他人の人生を生きていはしないか?

 今からでも遅くはない。どんな国づくりをすれば、日本の安全と安定を図りつつ、平和な国際社会に貢献できるのか、そこに、その豊かな英知を発揮してはくれまいか! そこから得られる精神のすがすがしさを味わってはくれまいか?
 あるいは、これが「戦後日本の生きる道、これしかない」と思っている人もいるのかもしれないが、国にこんなウラがあることを、この国に生まれてくる赤ちゃんのだれが予想だにしようか。人の世の不条理の限界を超えていると思わないか? ヤクザなウラ社会の話ではないのである。れっきとした、生まれてくれば自動的にそこの住人となり、教育機関も、教師も擁する「国」の話なのだから、考え直すしか、頭を丸めて一から出直すしかないだろう!

 官僚がその気になれば、この国の病はどんどん治るだろう。その気にならなければ、当分病んだままだろう。病んだ国が活発に活動すれば、すればするほど、事態が厄介になる。取り返しがつかなくなる。 

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その7 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   PART2  福島の謎(2)

「福島の謎」究明がここでのテーマであるが、著者は〈「密約法体系」の存在を考えに入れて議論しないと、人権侵害がストップできない現象がまったくわからなくなってしまう〉として、米軍基地問題を取り上げる。

《アメリカで機密解除されたふたつの公文書》
〈ひとつは1957年にアメリカ大使館から本国に送られた「在日米軍基地に関する秘密報告書」で、日本に駐留する米軍の権利については、占領期から独立以降にかけて、ほとんど変わることなく維持されたということをあきらかにしている。〉

《米軍の権利は、旧安保条約と新安保条約で、ほとんど変わっていない》
〈もうひとつの重要な密約は、1960年新安保調印直前に結ばれた「基地の権利に関する密約」で、米軍の基地使用に関する権利は、これまでとまったく変わりがないことを日本政府が約束している。その後日米地位協定は改訂されていないので、このふたつの密約を並べるだけで、米軍の基地使用に関する法的権利は、占領期とほとんど変わっていないことがわかる。〉

《オスプレイの謎》
〈アメリカ本国では訓練が中止になったオスプレイが、沖縄県民の受け入れ反対にもかかわらず配備され、訓練が行われるようになった。米軍に基地使用の自由が与えられているからである。〉

《辺野古の謎》
〈1996年に普天間基地の返還が合意されたが、いつの間にか、その返還の条件として、辺野古岬に大規模な米軍基地が建設されることになっていた。これを認めることは米軍基地の存在を自ら認めることになるとして、沖縄県民の粘り強い抵抗運動が起きている。しかし1957年に日本政府が秘密裏に合意した文書によると、「新しい基地についての条件を決める権利も現存する基地を保持しつづける権利も、米軍の判断にゆだねられている」ので、日本政府は何もできない。〉

《日本には国境がない》
〈管理空域をともなった、治外法権状態の米軍基地が首都圏はじめ日本各地にあるため、日本政府は出入国の管理さえできない。国境もなく主権もないので、日本は独立国ではない。〉

 だれか反論できるだろうか。日本はあれから70年ものあいだ、アメリカの属国、植民地だったのだ。表面上は独立国のように見えたが、それは、アメリカが穏やかに植民地支配していたからにすぎない。要所で牙をむけば、日本は服するしかないのだ。憲法も、それが保障する基本的人権も、その他もろもろも、アメリカさんのご機嫌次第だったのだ。
 戦争に負けたのだからそれも止むをえまいという諦観も必要かもしれない。しかし、何年も永久に続くのか? 70年ものあいだ、日本の政治家は何をしてきたのか? 国民に内緒にすることによって、独立国ではないことを穏便に誤魔化してきただけなのか? それって日本国民のためになるのか? だれのためにそんなことをしつづけてきたのか? 高給をとって、国民に害を与えつづけてきたのではないのか? アメリカ大統領に、議会に、招かれ、誉められて喜んでいる場合か? 日本国民を裏切り続けた70年の集大成に加え、これからは国民の生活と命も捧げてお供しますというのだから、アメリカ政府も誉めるだろうよ。
 しかし、しかし、世界は観ている、歴史は観ている。道理のわかる人は、厳しく糾弾するであろう。

《「バックドア」から出入りするCIA工作員》
〈米軍基地を通って日本に出入りするアメリカ人のなかには数多くの工作員が含まれ、なんの妨げも受けず、日本中で活動している(と秘密報告書に書いてある。)〉

《外国軍が駐留している国は独立国ではない》
〈フィリピン、イラク、ベトナム…「外国軍が駐留している国は独立国ではない」が国際標準の常識。〉

 まだまだ《福島の謎》は続きます。暫時休憩お許しください。

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その6 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   PART2 福島の謎

〈沖縄取材後、東日本大震災が起こった。夏になるころには「沖縄=福島」という構造がはっきりと見えてきた。〉

《福島で起きた「あきらかにおかしなこと」》
〈もっともおかしかったのは、これほどの大事故を起こし、人々から家や田畑を奪っておきながら、その責任を問われた人物がひとりもいなかったことだ。〉

《被害者は仮設住宅で年越し、加害者にはボーナス》
〈2011年末、多くの被災者が仮設住宅で頭をかかえているとき、東京電力の社員たちに年末のボーナスが支給された。翌年一月井戸川町長は野田首相に「われわれを国民と思っていますか、法の下の平等が保障されていますか、憲法で守られていますか」と問いかけた。〉

《なぜ大訴訟団が結成されないのか》
〈ほとんどの人が国のつくった調停機関を通じて、東京電力側の言い値で賠償を受けるという道を選択した。いくら訴訟をしても、最高裁まで行ったら必ず負けるという現実を知っているからだ。〉

《福島集団疎開裁判》
〈子どもたちを安全な県外に移住させる行政措置をとれという集団疎開裁判の判決のなかで、仙台高等裁判所は「福島第一原発付近で生活居住する人びと、とりわけ児童の生命・身体・健康について、由々しい事態の進行が懸念されるところである」としながらも「現在ただちに不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは証拠上認めがたい」として、住民側敗訴の判決を下した。〉

《原発関連の訴訟にも「統治行為論」が使われている》
〈日本の司法はまだ死んでいなかったと思わせる素晴らしい判決もあるが、これらが政府や関係者に影響を与えることはほとんどない。最高裁まで行くと必ずくつがえることがわかっているから。〉

《沖縄から見た福島》
〈沖縄には長い闘いの歴史があり、住民の人たちがウラ側の事情を知っている。また新聞社や政治家など、不条理と闘う社会勢力ができているが、福島の場合は経験も社会勢力もない。そこで、沖縄であきらかになった法的な構造を福島の人にも知ってもらいたい。〉

《日本はなぜ、原発を止められないのか》
〈原発を推進しようとする主犯については諸説あり、実態はよくわからない。本書では「原発の再稼働によって利益を得る勢力全員」としておく。より重要な問題は「止めるためのシステム」にある。〉

《オモテの社会とウラの社会》
〈一般市民の眼に見えにくいウラの社会があり、実はそれこそが、法的な権利に基づく「リアルな社会」なのである。PART1で触れた、日米安保法体系が憲法をふくむ日本の法体系より上位にあることは明文化されていることだが、さらに密約法体系があり、それは国際法上は条約と同じ効力を持っている。〉

 ここで言っていることは、現実世界の実態=闇の深さ・野蛮さを示している。目まいがするほど重要な指摘である。まっとうな考えをすれば、国内法、特に国民との約束である憲法に反する条約や密約は、違法であり無効でなければなるまい。それが国際法上のルールでなければならないと思う。それが、曲がっている方が優勢で、まっすぐな方が歪められるというのである。もう少し理に叶った世界を目指さなければなるまい、人類全体で。もちろん、その前に日本の政治をどうにかしなければ・・・・・・

 PART2はまだまだ続きますが、ここで一区切りといたします!(脳溢血予防のため、悪しからず・・・)
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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その5 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   PART1 沖縄の謎(後半)

《本土の米軍基地から、ソ連や中国を核攻撃できるようになっていた!》
〈嘉手納空軍基地には弾薬庫が隣接していて核兵器が貯蔵されており、それが本土の米軍基地に運ばれ、そこからソ連や中国を爆撃できるようになっていた。〉

 今となっては「あ、そうですか」だが、日本政府は、被曝国民の感情に配慮して、非核三原則とやらを掲げ、その順守を看板にしてきた。だがそれは、実はただの方便で、為政者に核アレルギーなどは微塵もなく、核兵器配備の最前線に、国を置いていたのであった。「国民を騙しつづけた70年」の一つとしてカウントしておこう。

《憲法九条二項と、沖縄の軍事基地化はセットだった》
〈憲法九条を書いたマッカーサーは、沖縄を軍事要塞化して嘉手納基地に強力な空軍を置きそこに核兵器を配備しておけば、日本本土に軍事力はなくてもいいと考えた。従って「反戦・護憲平和主義者」という立場は、現実の歴史的立場に基づいていなかった。〉

 ここでの指摘を敷衍すると、このセットは、アメリカにとっては一石二鳥だったことがわかる。一つはソ連と共産化した中国の喉元に核兵器を保有・維持し威圧することと、日本の非武装化を実現することである。また「反戦・護憲平和主義者」は、アメリカの核の傘に入っているという現実を踏まえて、主義主張を練り直す必要があるということである。

《驚愕の「砂川裁判」最高裁判決》
〈第二代最高裁判所長官田中耕太郎が、1959年、駐日アメリカ大使から指示と誘導を受けながら、在日米軍の権利を全面的に肯定する判決を書いた。その影響で、在日米軍の治外法権状態が確定した。〉

《憲法と条約と法律の関係―低空飛行の正体は航空法の「適用除外」》
〈一般に条約は国内法よりも上位にある。日米安全保障条約と日米地位協定により、航空特例法が作られ、航空法の適用除外となった。〉

《アメリカ国務省のシナリオのもとに出されて最高裁判決》
〈条約よりも憲法が上位にある。ところが砂川裁判で、田中耕太郎は日米安保条約のような高度な政治的な問題については、最高裁は憲法判断をしないでよいという判決を出した。このとき、安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が法的に確定した。これがアメリカ政府の指示と誘導によって進行したという事実は、2008年アメリカの公文書によってあきらかになった。〉

 最高裁の判決まで他国の影響を受けていたのである。政府はそんな事実を知りながら、平然と「三権分立の民主国家」を標榜し政を続けていた。今もそうだ。「日本国民の人権は何が守るのか? こんな国に税金を納める必要があるのか?」的な衝撃を受ける指摘だ。
 思えば、憲法を変えようと言っている人たちが政治をしているのだから、それが機能不全を起こしても、問題すら感じないのかもしれない。こういう人たちに政治を任せることは、もう止めよう!

《「統治行為論」という、まやかし》
〈この判決の根拠を日本の保守派は「統治行為論」と呼び、法学上の公理のように扱っているが、これはあきらかにおかしい。条約を結んだのは国なのだから、相手国のアメリカが何をしようとあずかり知らないというのでは、憲法がある意味がない。〉

《アメリカやフランスでも、日本のような「統治行為論」認められていない》
〈この問題の第一人者である小林節慶大教授によれば、フランスの判例のなかに統治行為の概念規定、理論的根拠ともになく、根拠条文も一度も引用されていないとのこと。アメリカでは判例のなかに「政治問題」という概念が登場するが、それは絶対的な国益の確保を前提として、一時的に権力を大統領ほかに統合するという考えで、日本の「統治行為論」とはまったく違う。最も重要な問題について絶対に憲法判断をしないという最高裁そのものが日本国憲法に完全に違反した存在である。〉

 日本国に憲法はあっても、それを守る機関はなかった! そういう役職はあって、高い給料は出ているにもかかわらず…

《アメリカとの条約が日本国憲法よりも上位に位置することが確定した》
〈砂川判決が深刻な最大のポイントは、アメリカとの条約群が憲法をふくむ日本の国内法よりも上位にあることが法的に確定してしまったことにある。日米地位協定のもとに「日米合同委員会」という組織があり、日本のエリート官僚と在日米軍のトップたちが毎月二回会議をし、公表されないまま膨大な取り決めがなされている。〉

 政治家が陰に陽に影響を受けているとは思っていたが、実務レベルでも完全に掌握されていたのであった。官僚たちは、日本国民に対してではなく、米軍に対して配慮していた可能性が強い。

《官僚たちが忠誠を誓っていたのは、「安保法体系」だった》
〈官僚というのは法律が存在基盤のため、下位の法体系より、上位の法体系を優先して動く。鳩山首相を失脚させたのは、安保法体系に忠誠を誓う官僚たちだった。〉

 官僚は裁判で負ける側には付かないとの指摘もある。一度法体系が狂うと、それを修正しようというハート、正義感、良心は、官僚たちには皆無のようだ(例外もたまにはある)。頭は良いとされているが、役には立たない人たちだ。

 以上でPART1は終わる。すでにかなりのショックを受けている。
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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その4 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   おことわり

 本書は、日本の置かれた立場を、読者にわかりやすく伝えようとして書かれている。そのため、本書で得られた情報を分かりやすくお伝えしようとすると、本書そのものになりかねない。そこで、要約することは諦めて、要約せずに、印象に残っているところ、一段と糾弾すべきところなどを思いつくままに書くしかないだろうと思っていた。しかし、いざ取り組んでみると、やはり本書の指摘することを前提にしているので、前提事項を確認しておくことが欠かせないことに改めて気がついた。
 そこで、理由の説明や解説は全面的に原書にお任せすることにして、見出しとそこでの指摘のみを挙げながら、思うことを述べることにしたい。

   PART1 沖縄の謎

《沖縄で見た、日本という国の真実》
〈米軍の飛行機は日本の上空をどんな高さで飛んでもいいことになっているが、アメリカ人が住んでいる住宅の上では絶対に低空飛行訓練はしない。〉

《米軍機はどこを飛んでいるのか》
〈米軍機は沖縄という島のなかで、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれども、日本人の家の上は平気で低空飛行する。〉

《「日本の政治家や官僚には、インテグリティがない」》
〈インテグリティとは人格上の統合性、首尾一貫性。こうした状態をただ放置している日本の政治家や官僚たちは、アメリカ人の交渉担当者から、心の底から軽蔑されている。〉

《沖縄の米軍基地をすべて許可なしで撮影し、本にした》
〈『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄米軍基地観光ガイド』を10年以下の懲役を覚悟して?作った。〉

《2010年六月、鳩山・民主政権の崩壊》
〈鳩山民主党政権の無残な崩壊に対しての怒りから基地写真集を発行した。〉

《本当の権力の所在はどこなのか?》
〈国民の圧倒的支持を受けて誕生した新政権のNo1とNo2を、検察が攻撃しつづけた。大手メディアも足並みをそろえた。この時点で日本の本当の権力の所在が、オモテの政権とはまったく関係のない別の場所にあることが、露骨な形でわかることになった。〉

《官僚たちが忠誠を誓っていた「首相以外のなにか」とは?》
〈鳩山政権は、官僚の造反によって崩壊させられた。それはアメリカ政府の公文書によって裏付けられている。〉

《昔の自民党は「対米従属路線」以外は、かなりいいところもあった》
〈アメリカの世界戦略のパートナーとして誕生した自民党も、森・小泉政権以前は、かなりいいところもあったが、完全に行き詰まった。そこで日本国民は、極端な対米従属路線の修正も含めて、本格的な政権交代という大きな一歩を踏み出した。〉

《日本国民に政策を決める権利はなかった》
〈日本人は民主主義の枠組みのなかで政策を選んできたと思っていたが、最初から選ぶ権利などなかったことがわかり、非常に強い怒りがわいてきた。そして、その象徴である沖縄の米軍基地問題を調べ、本にしようと思った。〉

《原動力は、「走れメロス的怒り」》
〈完全なノンポリが、子どものような正義感で写真家と二人、沖縄に出かけていった。〉

《沖縄じゅうにあった「絶好の撮影ポイント」》
〈どの米軍基地にも監視するポイントが必ずあるので、許可なしで、「沖縄米軍基地・観光ガイドブック」ができた。〉

《「左翼大物弁護士」との会話》
〈掲載する写真がほぼ決まった段階で、問題に詳しい弁護士に原稿をチェックしてもらったところ、逮捕すると本が余計に売れてしまうので、そのようなことはたぶんないだろうとの返答を得た。〉

《沖縄の地上は18%、上空は100%、米軍に支配されている》
〈基地そのものは地上面積の18%だけれども、そこから飛び立った米軍機はアメリカ人の住宅上空以外どこでも飛べる。〉

《日本じゅう、どこでも一瞬で治外法権エリアになる》
〈実は地上も潜在的には100%支配されている。「アメリカ政府の財産がある場所」はどこでも一瞬にして治外法権エリアになる。〉

《沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故》
〈2004年に起きた米軍ヘリ墜落事故直後、隣接する普天間基地から数十人の米兵が沖縄国際大学になだれこんで、事故現場を封鎖した。日本の警察も消防も知事も、米軍の許可がないと中に入れないという状況が露呈した。〉

《東京も沖縄とまったく同じ》
〈首都圏上空にも横田空域という米軍の管理空域がある。法律は日本全国同じなので、沖縄で起こったことは本土でも起こり得る。〉

《「占領軍」が「在日米軍」と看板をかけかえただけ》
〈70年前米軍は沖縄の海岸に多くの軍艦でやってきて上陸し一帯を占領。1945年からずっと同じ形で同じ場所にいる。〉

 PART1のまだ半ばだが、少しコメントを挟ませていただきたい。
 これまで見てきたように、この本は、整った論理体系を用いて、著者の主張の正しさを論証しようという体裁の書ではない。われわれが日常、あるいはときたま眼にする政治の不思議を拾い集めて、それらの一つひとつが実はたいへん大きな問題であることと、そういう事態を招いている法的・制度的原因の存在を知らせようとするものである。そして、それらを紡ぎ合わせることによって、日本の社会が秘密裏に抱えている大きな不合理を国民の意識に上らせ、解消へのきっかけにしようという意図で書かれている。

 さて〈70年前米軍は沖縄の海岸に多くの軍艦でやってきて上陸し一帯を占領。1945年からずっと同じ形で同じ場所にいる〉との指摘との関連で触れておきたいことがある。あるいはお気づきの方も多いと思うが、この度の辺野古移転に関して、翁長沖縄県知事は「沖縄はこれまで、どこも、基地としてお使いくださいと差し出したところはない」としばしば発言されている。一方、政府は、普天間基地の恒久化を避けるための止むを得ない代替地だと説明している。
 翁長知事の発言の趣旨は、「戦争の結果占領されたものは、成り行きとして一時的に服するしかないが、いつまでその状態が続くのか、いい加減に帰してくれてもいいだろう」という、極めて当然の、だれが聞いても理解できることなのだと思う。「なぜ代りの場所を自ら提供しなければならないのか、そんなつもりは毛頭ない。アメリカにしっかり告げてくれ」との思いなのだろう。
 日本政府よりも、沖縄の対応のほうが、間違いなく筋が通っている。

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その3 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   なぜこの本に心服したか

 久しぶりで『日本はなぜ…止められないのか』について書こうと思います。

 中曽根・石原氏の『永遠なれ、日本』や安倍氏の『美しい国へ』については、少しも心服せず批判的に読んでいるのに、この本についてはほとんど批判精神が見受けられないのはどうしてか? だいたい何でも鵜呑みにはせず、書かれていることの妥当性を自分なりにチェックしながら読むようにしている。それがこの本については、その内容をほとんどストレートに受け入れてしまっているので、自分でもその理由をちょっと確かめておきたい。

 まず、問題意識が共通していることが、本の帯で確認できてしまう。そこにはこう書いてある(引用箇所は《 》で示します)。
《なぜ、戦後70年たっても、米軍が首都圏上空を支配しているのか?なぜ、人類史上最悪の原発事故を起こした日本が、再稼働に踏み切ろうとするのか?なぜ、被曝した子供の健康被害が、見て見ぬふりをされてしまうのか?なぜ、日本の首相は絶対に公約を守れないのか?…》「そうだ、その理由を知りたい」という気持ちになるのだ。
 そして本の扉を開けると「はじめに」には、さらにこうある。
《2011年3月、福島原発事故が起きてから、私たち日本人は日々、信じられない光景を眼にしつづけている…。なぜ、これほど巨大な事故が日本で起こってしまったのか。なぜ、事故の責任はだれも罪に問われず、被害者は正当な補償を受けられないのか。なぜ、東大教授や大手マスコミは、これまで「原発は絶対安全だ」と言いつづけてきたのか。なぜ、事故の結果、ドイツやイタリアでは原発廃止が決まったのに、当事国である日本では再稼働が始まろうとしているのか。そしてなぜ、福島の子どもたちを中心に明らかな健康被害が起きているのに、政府や医療関係者たちはそれを無視しつづけているのか》と多くの日本人が疑問に思っていることが立て続けに指摘される。いい加減で引用は止めたいと思うのだが、この続きは
《だれもがおかしいと思いながら、大きな流れをどうしても止められない。解決へ向かう道にどう踏み出していいかわからない。そんな状況がいまもつづいています》と、また合点のいく現状認識が示され、
《本書はそうしたさまざまな謎を解くカギを、敗戦直後までさかのぼる日本の戦後史のなかに求めようとする試みです》と概要が明かされる。
 もうこの時点で、全文をすっかり引用したくなるほど、意気投合しているのだ。「著者が見つけた戦後史の中のカギとは何か、早く知りたいものだ」との思いで読み進むことになる。

 一方『永遠なれ、日本』(PHP研究所発行)の場合はどうだったか?
 扉の次の1ページに「前書きに代えて」として、石原慎太郎氏はこう記している。
《…中曽根さんの政治家としての特質は何よりも、時代や世代や立場を超えて将来にも通じる政治家としての垂直倫理を備えていることだ。それは政治家にとって不可欠の、しかし現代では希薄になってしまった、国家への愛着である。》
「垂直倫理=国家への愛着」それが政治家にとって不可欠? いきなり「石ころを呑め」と言われているような気分になるのは私ばかりではあるまい。「それって何ですか」と尋ねようものなら、「そんなこともわからんのか、お前、気の毒な奴だな」と言われかねない独断的な物の言い様である。その石原氏、自分のことを次のように書いている。
《私も国会に二十五年間在籍していたが、その間の努めた割にあまり報いられるところのなかった、故に決して満足も出来ぬ経緯の中で唯一つ政治家を勤めたお陰と認じていることは、自分の体の内に国家を感じることができるようになったことだった。いやむしろ、私は体の中に国家を感じなくてはならぬと思ったが故に、一介の物書きのくせに敢えて与党の議員になったのかもしれないが。》と自己の感覚の世界に埋没する。まるで、どこかの教祖様の説法を拝聴しているような心持ちになる。これでは、「この人、どんな人なんだ?」と何歩も引いて、人物の異端ぶりを観察してやろうという姿勢になっても仕方あるまい。

 安倍氏の『美しい国へ』(文藝春秋発行)はどうだったか。その書き出しは
《はじめに―「闘う政治家」「闘わない政治家」》との題で、要約すると以下のことを述べている。(要約している場合は[ ]で示します)
[政治家のなかにはいくつかのタイプがある。かつての自民党には「官僚派」と「党人派」という区分けがあったが、現在は「政局派」と「政策派」という分け方ができる。時代は変わったが、私の見方は「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。自分は初当選以来、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。それは「スピーク・フォー・ジャパン(日本のために語れ)」という国民の声に耳を澄ますことなのである。]
 これでは、なんとも賛同のしようがないではないか。政治家はプロレスラーではないのだから、勇ましければよいというものではない。現状をどう見て、何に対して闘っていくのか、それこそが一番大切なことであろう。(家の近所にこの度の市会議員選挙に立候補した保守系の人がいるのだが、その人のスローガンは「現状打破」である。「オッ素晴らしい。打破してもらいたいなあ!」と私は思ったのだが、一瞬で止めた。「現状」をどうとらえ、何を打破しようとしているのか、そこが肝心であり、そこがどうせ全然違うのだ。)肝心なことが何も書かれていないのだから、問題点を共有することは不可能である。そこをじっくり見てやろうという姿勢で本を読み進むことになる。

 さて、例の本に戻ってみると、少し読んでいくとこんな記述がある。26、27ページに。
《掲載する写真がほぼ決まったとき、…そうした問題にくわしい弁護士さんのところに行って…「…この本をこのまま出したらぼくらはつかまるんでしょうか」と聞きました。…商業出版ですから、つかまることはやりたくないし、できない。》このときのやりとりも面白いので、ぜひ現物を読んでいただきたいが、原稿を書いて、これから出版しようとしている人の等身大の不安が率直に書かれている。こんなところにも、特権を持たない普通の市民であることが表れていて、一体感を感じさせるとともに、中身の信ぴょう性を高める。
 これは、ほんの一例であって、随所で、その心理や気配りに納得がいくのである。

 さて、その中身については次の機会と致します。

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続 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   日本が独立国ではなかったとは?

 「この国は70年間独立していなかった」と書いたが、もう少し詳しく説明しよう。というのは、日本は、アメリカと安保条約を結んでいる立派な独立国だと、たいていの日本人が思っていると思うからである。日本は国連に加盟し、先進国首脳会議のメンバーでもあり、オリンピックも開催される。また、他国の干渉なしに選挙も行われ国会が開かれ、そこで予算と法律が決められ、内閣がそれを執行し、不適切な立法・行政が行われれば、裁判所が適切な判断を下す。押しも押されもせぬ独立国ではないかと、普通は誰でもそう思う。それが「違った」と言うのだから、もう少し説明しなければなるまい。

 「沖縄の地上は18パーセント、上空は100パーセント米軍に支配されている」「首都圏の上空全域が他国に支配されている」との引用もしたが、[それは日本の安全保障上の解決策で「やむを得ない」と国が判断してのことだろうから仕方あるまい。それを以て「独立国ではない」と言うのは危機意識を煽るプロパガンダではないか]と感じる人も多いのではないだろうか。

 そこで矢部氏の解説が重要になってくる。
 まず、自分の国の安全を他国との条約に頼っている以上、どうぞ勝手にお使いくださいと言って、領土領空の一部を提供することはやむを得ないことかもしれない。しかし、日米安保の場合は、地位協定があまりにも不平等に過ぎる。そのため、米軍の軍事及び訓練活動がいかに日本国民の健康で文化的な生活を脅かそうと、日本の法律では規制できない。アメリカ人の居住区域ではアメリカの法律で規制されている。日本の場合は憲法を以てしても規制できない。最高裁は砂川判決で「…高度な政治性を有するものについては司法審査権の範囲外にある…」とか言って憲法判断を放棄した。このため、「安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が法的に確定」してしまったそうだ。「だから在日米軍は国内で何をやっても、日本の法体系のもとでは完全に合法になってしまった。」

 それから、合衆国の財産については財産権が保障されていて、それはそれで当然のことのようにも思えるが、一旦事故が起こり、米軍の軍用機の一部や軍用品が飛散したなど場合には、その辺りはたちまちに米軍の管理する、つまり治外法権の場になってしまう。ここはどこの国なのか?の状態に一変してしまうのだ。

 極めつけは人の出入りだ。出入国は、入国管理局があって、厳密にチェックされている、通常は。しかし米軍の施設や管理区域は米国任せだ。東京のど真ん中の六本木に米軍のヘリポートがあるので、軍用機で横須賀や横田基地に飛来したアメリカ人がヘリで移動すれば、容易に都心を徘徊できてしまう。つまり、日本国はバックドアが開いたままなのだそうだ。

 矢部氏によれば、こんな国は、他にはどこにもないという。占領軍の特権が、何年たってもそのまま残ってしまっている稀有の例のようだ。そんなことはあるまいと思うが、そう言われてみると「なるほど」と思えることがたくさんある。

 こんなことから、《戦後の日本は、あの敗戦からまだ全然立ち直っていないのだ。国の中枢が、きちんとした反省に立って国の権利を回復しようとする努力を怠ったまま、ただ、戦勝国の意に副うことで国内での自分たちの地位の安泰を図っていただけなのだ。今もそうなのだ》と思うに至ったのだった。

(おことわり <(_ _)> この本で知ったことを反芻すると、いろいろな思いがこみ上げて来ます。それらをこんなペースで、シリーズでお伝えしようと思っていましたが、それは、今の筆者の時間状況では荷が重いことを自覚しました。よって連載は断念します。
 大きな重い問題をまともに背負うと、骨粗鬆症のお爺としては足腰が立たなくなる恐れがあります。時間のある、調子の好いときに、運べる量だけ、気なりに運ぼうと思います。
 不謹慎かも知れませんが、たとえるなら、マグニチュード8クラスの激震が、頭の中であったのです。被災地を回ってみて、そのレポートをするのも、まだ辛いものがあります。時折余震もあります。大きな地殻変動の後だから仕方ありません。
 しかし、この激震は、自分の生きてきた時代や国のことを知るうえで、欠かすことのできない真実が惹き起こしたものですから、今後の道しるべとなるべき、感謝すべき出来事です。
 闇を調べてみたら、闇の強固な構造がわかったという話ですから、どうやって闇の構造を取り壊して闇から抜け出していくか、今後は、闇以上の明るさを以て、みなで問題に取り組んで行こうではありませんか。
 矢部氏も光の方向を具体的に示しています。ただ、現状を思うと、これだけ秘密裏に、不甲斐ない方向に国を動かしてきた人たちが、さらに「特定秘密保護法」を作ったり、時代遅れの国家主義的な憲法改変を画策していたり、牛耳られているままの状況で「集団的自衛権」を行使しようとしたりしています。本当に、馬鹿げた政治状況で、「まあ、どうしちゃったんでしょうねー」の現状を思うと、正直、前途は多難だと思います。それでも潰れないためには、負荷を減らす必要もあろうかと…
 そんなことを思っていた折に、Мさんから素敵なお知らせをいただきました。

「  この記事は週間プレイボーイですが
   今、ナンパ系が頑張っています。
   多分、捨て身なんだと思いますが・・・・
   新聞も勇気を出せ!と言いたい

   http://wpb.shueisha.co.jp/2014/11/04/38278/   」

 こういうのを渡りに船と言うのでしょうか。Мさんとshueishaさんに心より感謝しつつ、この本の解説、紹介は、しばしこのサイトにお任せしたいと思います。今後は単発的、断片的になりますが、この本を座右の友として、「日本」のことを考え、思うことがあれば述べさせていただきます。 )

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んで [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

 半月ほど前に『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治著、集英社インターナショナル発行)を読んだ。たいへん衝撃を受け、早くブックレポートを書かなければと思いつつも、なかなか書き様が浮かんで来なかった。たぶん、衝撃の余り失語症になったのだ。言葉を失っていたのだ。今もそうだが、早く書かなければ…の思いから、言葉を手繰り寄せている。

 この本はブログでも何人かの方がすでに取り上げ、推薦されている。そうでなくても、このタイトルでは、ぜひとも読んでみたい書物ではあった。
「米軍基地と米軍の圧倒的な地位はいつまで続くのか、日本に主体性はあるのか?」は、常日頃気になっていたことである。特に沖縄の基地問題は、第二次大戦の不幸を考えると、なんとしても早期に解決してもらいたい問題である。それが、そういう気配は、日米両政府ともにまったく見えない。
 原発も、あれほどの事故があって国民が悩み苦しんでいるというのに、また、関係者も廃炉に向けてすら手を焼いているというのに、今後どうするかの議論もろくにしないうちに、再開ばかりを前提にことを進めている。まったく不思議なことである。

 これらの答えが、この本には見事に書かれていた。
 たぶんそうなのだろうと漠然と思ってはいたが、それが確かにそうだった。いや、それ以上に、微動だにしない緻密さで、システマティックに厳然とそうなる仕組みが存在していた。
 あー、言葉が、ようやく、段々出てきた。いろいろな思いが浮かんでくる。

 まずは、この本で知った《この国の実態》だが、憲法を最高法規とする民主主義の法治国ではなかった。憲法より上位の取り決めがいくつもあったのだ。だから、憲法の三本柱とされていた、「国民主権」も「基本的人権の尊重」も「平和主義」も、みな、作られた体裁に過ぎなかった。そう教えられ育ってきたことが、今も小・中・高生に教えられていることが、みな、オツベルが白象に履かせた張りぼての靴のような、ヤクザな見せかけに過ぎなかった。
 最高裁判所は、少しも最高ではなかった。踏み込めない領域が、歴然とあったのだ。人権が侵されようが、人命が危険にさらされようが、何も口を出せない領域があったのだ。
 国の要件は、国民と領土と政府だと言われているが、領土には、地図に描かれない大きな穴が開いていた。米軍が管理する巨大な基地や、訓練・離発着に使う空域だ。(「沖縄の地上は18パーセント、上空は100パーセント米軍に支配されている」「首都圏の上空全域が他国に支配されている」)
 政府にも、エリート官僚が多数関わる日米合同委員会という大ボラ穴が開いていた。

 そもそもこの国は70年間、独立していなかった。そのことを国民は何も知らされていなかったのだから、民主主義が成り立つはずもない。国民は騙されていた。いかにも、進歩的な憲法をいただく、三権分立の独立国であるかのように、為政者は国民を騙していた。今も騙し続けている。
 悔しいし、悲しいし、とても、涙なくして語れる話ではない。

 この本は、こうしたこの国の実態を、長年、編集・出版に携わってきた著者が、これまでの調査・研究によって得られた各種の資料に基づいて、多くの日本人にわかるように、きちんと説明してくれている。読めば、そして実態を知れば、私のようにしばし言葉を失いかねないが、それでも、ものごとを改善するには、真実を知らなければ始まらない。この本は、自民党政治家と中央官僚という日本の政治のプロが唯々諾々と何年でもただ従って、自分達のこの国での優越的地位を保っているだけの大きな矛盾があることを、本来の主権者国民に、広く教えてくれるたいへん貴重な書物だ。《戦後を生きる日本人必読の書》ではないかと思う。
 
 興味のある方は、是非原物を読んで確かめていただきたい。
(やっといくらか言葉が戻ってきたところなので、今宵はこれまでと致します。燦Q)

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