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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その3 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   なぜこの本に心服したか

 久しぶりで『日本はなぜ…止められないのか』について書こうと思います。

 中曽根・石原氏の『永遠なれ、日本』や安倍氏の『美しい国へ』については、少しも心服せず批判的に読んでいるのに、この本についてはほとんど批判精神が見受けられないのはどうしてか? だいたい何でも鵜呑みにはせず、書かれていることの妥当性を自分なりにチェックしながら読むようにしている。それがこの本については、その内容をほとんどストレートに受け入れてしまっているので、自分でもその理由をちょっと確かめておきたい。

 まず、問題意識が共通していることが、本の帯で確認できてしまう。そこにはこう書いてある(引用箇所は《 》で示します)。
《なぜ、戦後70年たっても、米軍が首都圏上空を支配しているのか?なぜ、人類史上最悪の原発事故を起こした日本が、再稼働に踏み切ろうとするのか?なぜ、被曝した子供の健康被害が、見て見ぬふりをされてしまうのか?なぜ、日本の首相は絶対に公約を守れないのか?…》「そうだ、その理由を知りたい」という気持ちになるのだ。
 そして本の扉を開けると「はじめに」には、さらにこうある。
《2011年3月、福島原発事故が起きてから、私たち日本人は日々、信じられない光景を眼にしつづけている…。なぜ、これほど巨大な事故が日本で起こってしまったのか。なぜ、事故の責任はだれも罪に問われず、被害者は正当な補償を受けられないのか。なぜ、東大教授や大手マスコミは、これまで「原発は絶対安全だ」と言いつづけてきたのか。なぜ、事故の結果、ドイツやイタリアでは原発廃止が決まったのに、当事国である日本では再稼働が始まろうとしているのか。そしてなぜ、福島の子どもたちを中心に明らかな健康被害が起きているのに、政府や医療関係者たちはそれを無視しつづけているのか》と多くの日本人が疑問に思っていることが立て続けに指摘される。いい加減で引用は止めたいと思うのだが、この続きは
《だれもがおかしいと思いながら、大きな流れをどうしても止められない。解決へ向かう道にどう踏み出していいかわからない。そんな状況がいまもつづいています》と、また合点のいく現状認識が示され、
《本書はそうしたさまざまな謎を解くカギを、敗戦直後までさかのぼる日本の戦後史のなかに求めようとする試みです》と概要が明かされる。
 もうこの時点で、全文をすっかり引用したくなるほど、意気投合しているのだ。「著者が見つけた戦後史の中のカギとは何か、早く知りたいものだ」との思いで読み進むことになる。

 一方『永遠なれ、日本』(PHP研究所発行)の場合はどうだったか?
 扉の次の1ページに「前書きに代えて」として、石原慎太郎氏はこう記している。
《…中曽根さんの政治家としての特質は何よりも、時代や世代や立場を超えて将来にも通じる政治家としての垂直倫理を備えていることだ。それは政治家にとって不可欠の、しかし現代では希薄になってしまった、国家への愛着である。》
「垂直倫理=国家への愛着」それが政治家にとって不可欠? いきなり「石ころを呑め」と言われているような気分になるのは私ばかりではあるまい。「それって何ですか」と尋ねようものなら、「そんなこともわからんのか、お前、気の毒な奴だな」と言われかねない独断的な物の言い様である。その石原氏、自分のことを次のように書いている。
《私も国会に二十五年間在籍していたが、その間の努めた割にあまり報いられるところのなかった、故に決して満足も出来ぬ経緯の中で唯一つ政治家を勤めたお陰と認じていることは、自分の体の内に国家を感じることができるようになったことだった。いやむしろ、私は体の中に国家を感じなくてはならぬと思ったが故に、一介の物書きのくせに敢えて与党の議員になったのかもしれないが。》と自己の感覚の世界に埋没する。まるで、どこかの教祖様の説法を拝聴しているような心持ちになる。これでは、「この人、どんな人なんだ?」と何歩も引いて、人物の異端ぶりを観察してやろうという姿勢になっても仕方あるまい。

 安倍氏の『美しい国へ』(文藝春秋発行)はどうだったか。その書き出しは
《はじめに―「闘う政治家」「闘わない政治家」》との題で、要約すると以下のことを述べている。(要約している場合は[ ]で示します)
[政治家のなかにはいくつかのタイプがある。かつての自民党には「官僚派」と「党人派」という区分けがあったが、現在は「政局派」と「政策派」という分け方ができる。時代は変わったが、私の見方は「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。自分は初当選以来、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。それは「スピーク・フォー・ジャパン(日本のために語れ)」という国民の声に耳を澄ますことなのである。]
 これでは、なんとも賛同のしようがないではないか。政治家はプロレスラーではないのだから、勇ましければよいというものではない。現状をどう見て、何に対して闘っていくのか、それこそが一番大切なことであろう。(家の近所にこの度の市会議員選挙に立候補した保守系の人がいるのだが、その人のスローガンは「現状打破」である。「オッ素晴らしい。打破してもらいたいなあ!」と私は思ったのだが、一瞬で止めた。「現状」をどうとらえ、何を打破しようとしているのか、そこが肝心であり、そこがどうせ全然違うのだ。)肝心なことが何も書かれていないのだから、問題点を共有することは不可能である。そこをじっくり見てやろうという姿勢で本を読み進むことになる。

 さて、例の本に戻ってみると、少し読んでいくとこんな記述がある。26、27ページに。
《掲載する写真がほぼ決まったとき、…そうした問題にくわしい弁護士さんのところに行って…「…この本をこのまま出したらぼくらはつかまるんでしょうか」と聞きました。…商業出版ですから、つかまることはやりたくないし、できない。》このときのやりとりも面白いので、ぜひ現物を読んでいただきたいが、原稿を書いて、これから出版しようとしている人の等身大の不安が率直に書かれている。こんなところにも、特権を持たない普通の市民であることが表れていて、一体感を感じさせるとともに、中身の信ぴょう性を高める。
 これは、ほんの一例であって、随所で、その心理や気配りに納得がいくのである。

 さて、その中身については次の機会と致します。

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majyo

おおっ、momotarouさん 書きましたね
そうです。与党政治家の本は読みましたが
すんなり入りません。
しかし、この本は 私が何で?と思う事が
書いてあるのです。そして それがきちんとした裏付けがあり
著者は、この答えを導くコーディネーターでもあります。
これはその他の研究者で論文を発表されている方とは
違いますね。
今や、私の教科書です
お時間が少し取れるようになったようですから 期待してまーす(^_^)/~

by majyo (2015-04-24 21:32) 

momotaro

majyo さん
「お時間」のほうは、製本化の部分が終わった分、
楽になりましたが、育爺、雑用等、相変わらず窮屈です。
それにあの本のブックレポートは本当にむずかしい。
過去の政治家の二冊のように進行に沿って内容を紹介すると
端折れる部分がほとんどなく、全文引用になってしまうハハハハ
(どうかすると解説を追加するようになってしまう)
つまり、現物を読んでもらうことが最善で、別角度からの
考察・感想や今後の対策等で書くことになります。
よって少しずつ気長にいきます。悪しからず・・・(^_-)-☆
by momotaro (2015-04-25 10:06) 

ファルコ84

はじめまして、ご訪問nice有難うございます。

「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」は、
このブログにて取り上げられているのに
未だ手にしていませんでした。
今しがたAmazonに注文完了です。

基地・原発、共に分らない事が多く
頭の中もうまく整理がつかない
様な気がします。
しかし、危険な事は反対
理不尽なことも反対
この考えは変わりません。

本書を読んで知識を高め
意見を発信したいと思っています。
by ファルコ84 (2015-04-25 15:28) 

momotaro

ファルコ84 さま
貴重なご意見をありがとうございます。
考え方、受け止め方に、かなり共通点がありそうです。
今後とも宜しくお願い致します。
by momotaro (2015-04-25 19:34) 

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