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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を…』を読んで その16 [『日本はなぜ、「基地」と「原発」を・・・』]

   《 PART3 安保村の謎①-昭和天皇と日本国憲法》(6)

《美しい二重構造
 全部大事だが、敢えて抜くと
〈「マッカーサーの権力」と「昭和天皇の権威」で占領統治が進んでいく。こうした昭和天皇が主導した二重構造のなかで、日本国民にとっても、GHQに強要されている部分は次第に見えなくなっていく。〉

「日本国憲法の謎」を解くカギとなる人間宣言
〈人間宣言が書かれた経緯や目的、時代背景は、その約二ヶ月後に書かれた日本国憲法を理解するうえで非常に参考になる。その前に憲法の重要性についてだが、主権国家が憲法に条文として書き込んでしまえば、それほど強いものはない。「主権平等の原則」はアメリカ自身が国連憲章で示した、戦後世界の大原則なのである。憲法は力の弱い国が強い国に立ち向かうための最大の武器である。たとえば、フィリピンは新憲法を作り、米軍を完全撤退させることに成功した。この時点で東南アジアに外国軍事基地はひとつもなくなり、欧米列強によるアジアの植民地支配は終止符が打たれた。しかしこうした事実は安保村にとって都合の悪い情報なので、日本人には伝わらないようになっている。

 この節は、見出しの内容よりも「憲法の持つ国際的な意義・重要性」について解説している。他国の都合に応ずるのではなく、自国の国益を真に考えた憲法を作り持つことによって、真の独立国になり得ると説いている。自主憲法制定というと与党の憲法改正が思い浮かぶが、安保村のやろうとしていることは、方向が違うので、初めから論外なのである。

日本国憲法は本当はだれがつくったのか
〈憲法は強い国に立ち向かうときの最大の武器であるにもかかわらず、日本は国民の間にコンセンサスがない。だから、国家主権が侵害されたとき、アメリカと闘うための武器にできないし、国民の人権が侵害されたとき日本政府と闘う武器にすることもできない。コンセンサスがないとは、「日本国憲法は本当はだれがつくったのか」という非常に基本的な問題をめぐって大きな対立があるのである。すなわち、右派はGHQがつくったとし、左派(=リベラル派)は日本人がつくったとして対立している。〉

《「書いた」のは100パーセントGHQだった
〈混乱の原因の一つに言葉の定義の問題がある。「つくった」という言葉は、含まれる時間や内容の幅が広い。たとえば九条には日本人の「不戦の祈り」が込められているのは事実だと思う。しかし憲法を「書いた」ということで言えば、それは完全にGHQだった。1946年の2月4日から9日間でGHQは日本国憲法の草案を書き、それを日本国政府に手渡し「この内容に沿って憲法を改正するように」と強く求めた。〉

検閲によって秘密にされた憲法草案の執筆
〈GHQ自身が、「自分たちが憲法草案を書いた」ことと、このことに関する「一切の言及を、メディアや手紙でおこなうことを禁じた」と公表している。〉

GHQのコントロール下にあった国会審議
〈草案はその後帝国議会で何十カ所も修正されて正式決定されたわけだが、その国会審議は、完全にGHQのコントロール下にあった。〉

欽定憲法論と民定憲法論
〈日本国憲法は、昭和天皇が明治憲法第七十三条の定める憲法改正の手続きにしたがって発議し、帝国議会で審議されたあと、天皇が裁可して成立したという形になっているため、形の上では欽定憲法だが、憲法自身は「日本国民は(略)主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する」つまり、これは民定憲法だとしている。このため、長い間、信じられないほどダメな、法学上の対立があった。そんななか、美濃部達吉はこの矛盾を指摘し、「民定憲法は国民代表会議をつくって…起案させ、…国民投票にかけるのが適当と思う」ときちんとした議論をした。しかし日本の社会では、論理的に正しい「世界標準」の議論は社会的制裁を受け、論理を度外視して体制側に迎合する「学説」だけが無批判に生き残っていく。〉

八月革命説
〈その体制迎合派の代表的存在が美濃部の弟子の宮澤俊義・東大法学部教授で、民定憲法論を勝利に導いた。その論理は降伏を革命に見立てることで、日本がポツダム宣言を受諾したときに法学上の革命が起き、主権の存在が天皇から国民に移行したという「学説」で、これにより、民定憲法論の矛盾が一気に解消されたということらしい。
 戦後日本の社会科学の最高権威たちは、あらかじめ決まっている結論を巧妙に正当化することに痛みを感じない人物だった。〉

日本の原発は核攻撃に耐えられる
〈そんな人物の一番わかりやすい例は民主党政権で防衛大臣に抜擢された森本敏氏だ。民放番組のなかでキャスターに、原子力施設の対核兵器安全性を聞かれ、「耐えうるような強度をもつよう設計されているので問題はない」と平然と答えた。〉

 このあたりで矢部氏が書いていることは、全面降伏した日本が進駐軍の影響下で憲法が改正され、それがあたかも日本人自らが作ったかのような体裁が採られ、学者もその正当化に勤しんだため、憲法を巡る本来の議論が起こらなかった、つまり、日本の社会科学に大きな狂いが生じたことに対する慙愧の念である。
 敗戦日本が、どのように立ち直っていくか、出発の時点から暗雲に覆い尽くされてしまったのである。そして暗いところは見ずに(安保村がこれを覆い隠したまま)、経済復興だけはやり遂げて行き、やがてエコノミックアニマルと呼ばれるような時期を迎えるのである。

 安保村の謎①はまだ続く。次はドイツの場合が語られるが、本日はこれまでと致します。

 みなさん、超暑い気候が続いています。当地は連日38度台です。筆者も保冷剤を頭に乗せて書きました。みなさまも、どうぞご自愛くださいますよう!

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コメント 2

majyo

連日、明日の最高気温の場所にそちらが挙げられています。
保冷剤を頭に、難しい問題のまとめをありがとうございました。
問題はたくさんありますが
弱い立場の国が、強国に対して物言えるのは
この憲法があるからだ~で、拒絶できるのです
そして、フィリピンの例にあるように
基地を全廃させたのに、なぜか日本は各地に基地があります。
これは政治家の怠慢でしょうか

憲法が作られた経緯も知らずに70年経ってしまいましたが
書かれているように
国連憲章から取った世界的大原則でありますから
究極の憲法です。
それを、あちら様のご都合で変えてはいけません。
普通になる事は無いのです。
貫き通す事は、戦わない、という大原則だと思います。
気合入ってますね!
申し遅れましたが図書館にリクエストしておきました(^_-)-☆





by majyo (2015-08-02 20:05) 

momotaro

majyo 様
日本国憲法は製造過程の矛盾が尾を引き、保守勢力は戦前の憲法に戻す色彩の自主憲法制定を目標にし、革新リベラル勢力は、その先進性のゆえに護憲を訴えるという捻れが生じてしまいました。
しかし、いくら誕生に秘話秘密があっても、国の最高法規として国民が親しみ尊重してきた憲法を、無視したり、骨抜きにしたりすることは許されません。
憲法学者のほとんどが違憲との判断を表明している安保(というより戦争)法案を強引に成立させることは、独裁・暴挙以外の何物でもありません。
と、本文に書くべきでした。保冷剤がちょっと足りなかったようです。

> 図書館にリクエスト
ありがとうございます m(__)m
今日某所で、かつて社会党、その後民主党から出られて代議士をされていた田並たねあきさん(83歳にして弁舌さわやか)にお会いしたので、たまたま持っていた一冊を差し上げたところ、
「これいくら、千円? ハイ千円」
「とんでもありません、それじゃ押し売りです。読んでいただけるだけで嬉しいんですから…」
「いやいや、わたしゃ金を払うと読む気になるけど、もらったものは読まないんですから、とっておいてください。」
「あれ、それじゃいただきます」って、一冊売れました。以上ご報告。


by momotaro (2015-08-02 21:26) 

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