煽り運転について [人間考]
九州北部にまた大雨が降っているんですね。福岡県、佐賀県、長崎県に大雨災害特別警報が出ているとのこと。佐賀県の市街地が水没している様子がテレビに映し出されています。
「命を守る行動をとってください」とのアナウンスが再三流れています。これ以上災害が大きくならないことを願うばかりです。
五十年に一度あるかないかの降水量とのことですが、そんな状況が毎年のように起こるようになりました。地球温暖化の影響を考えざるを得ませんよね。
余った熱エネルギーを上手に使って、人が排出するエネルギーをできるだけ少なくすることに、人類全体が早期に取り組むしかありませんよね。経済の問題でもあり、政治の課題でもありましょう。
話は変わりますが、最近、煽り運転の問題が時おり大きな話題になりますよね。
むかし、気づいたのですよ、私は。何にかというと、人には役割性格というのがあって、立場を自覚するとそれに見合った性格になるという性質があるんですよね。
例えば、父親になると、あるいは母親になると、それらしい性格になる。会社や団体などの組織でも、ポストが変わると、性格も変わってくる。誰もが経験することで、人には、そういう性質があるんですよね。
これを車の運転に当てはめると、人は車の運転席に座ると性格が変わってしまうんですよね。
車は、人や荷物を乗せて素早く動く性能を持ち合わせていますが、自ら動く意志は持っていません。今、盛んに自動運転の車の開発が進められていますが、これまでは、人が操作しないとまったく動かなかった。
運転席は、強力な動く性能を持った自動車の頭脳に当たるわけです。人がそこに座ると、その性能を発揮させることが仕事だと自らの役割を認知するわけです。
目的地は、役割と関係なく運転席に座る前から決まっているわけですが、一旦席に着くと、つまりハンドルを握ると、その動く性能をできるだけ発揮して、できるだけ速くそこに着くことが自分の役割だと無意識のうちに思い込むんですね。
空いていればできるだけ速く前に進む。単純なものです。信号が赤でも、行けるところまではどんどん進む。モタモタした車があると、追い越せたら追い越すし、追い越せなかったら、邪魔だと言ってどかそうとする。
これが運転する人の基本性格ですよね。人ではなく、動くだけの車の頭脳になってしまっています。
私がこのことに気付いたのは、車の燃費を気にするようになってからです。できるだけガソリンを燃やしたくない。そう考えると、できるだけアクセルとブレーキを踏みたくない、踏まないで目的地に着きたい。
発進はゆっくりになります。信号が赤でつかえていると、遠くから加速をやめて惰性で近づきます。スピードを出すと速く目的地に着くかも知れないけれど、止まらなければならない時のエネルギーのロスが大きくなります。
そんな節約計算をして運転をしていると、していない人の運転の仕方が気になるわけです。どうして前の信号が赤なのに急いで行くのだろう?そうか、何が何でも、前が空いていると詰めたいんだなって気付いたわけです。
あちらからすると、まさに煽りたい運転手なのでしょう、こちらは。
でも最近は節約運転を心がける人間ドライバーも増えてきましたよね。
本来なら、人が、便利な移動の道具である車を操縦するわけですが、どうかすると、車が、人の感覚神経と運動神経を使ってブンブン走り回る現象が起きるわけです。
意に反してノロノロ走らされたり止められたりすると、運転席から降りてくるのは人ではないのです。あれは、走り回りたい車の、走り回りたいというだけの中枢神経なのです。人が人を思いやる気持ちなんかとても持ち合わせていません。
人でなくなっている人は怖いですよね。窓なんか開けて相手をしてはいけませんよね。車から離れて、冷静に人間に戻ってもらうしかありません。
ところで人が役割に徹すると、人としての性格を失ってしまうことがあるということは、戦争の軍隊でも言えることですよね。
敵をやっつけることが仕事ですから、そのことに全能を働かせて取り組むことになります。相手を人としていたわる気持ちなど、とても持ってはいられません。とても怖い存在です。
終戦の日に熊谷に焼夷弾を降らせたパイロットも、エノラ・ゲイに乗って広島に原爆を投下したパイロットも、その役割を担っただけの、人の魂の抜けた機械ロボットだったのでしょう。
そうなると、そういう役割を与える人に責任がありますよね。軍隊は元々そういう組織ですから、軍隊を持たないことがまずは大事ですし、万一に備えて持つにしても、開戦しないことが絶対に大事ですよね。
人が持っている役割性格という健気な性能が、人を人でなくしてしまうことがあるということを忘れてはいけませんね。
そんなことを思いました。