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「折り合いをつける」 [人間考]

昨年度の6年生の教室には、以下の学級目標が掲げられていました。

① 損をしないようによく理解し主張するクラス
② 正しく折り合いをつけて自信を持てるクラス
③ みんなで目指そう自己ベスト

こうしたクラス目標は、たいてい生徒(児童)に意見を出させ、それを担任教師がまとめる形で決めています。これも多分そうした作業の結果だと思います。

この目標はなかなか凄いと思いませんか?綺麗事に終始せず「損をしないように」とか「主張する」とか「折り合いをつけて」など現実味があるじゃありませんか。

毎日この学級目標を「大事なことが書かれているなぁ」と感心して眺めていました。中でも「折り合いをつけて」という表現が、一番重く頭に残り、何度も反芻することになりました。

「折り合いをつける」とは、人の生き方の核心を突く心的作業ではありますまいか?人は人の間に生きていますから、ほとんどいつも、何かしら他人と触れ合っています。そこで、「協調し合う」あるいは「互いに妥協し合う」必要があります。

「協調する」というと、どこか倫理的っぽい気がするし、「妥協する」というと、何かしら不本意感が滲み出ているような気がします。

その点「折り合いをつける」という表現が、一番「為すべき当然の均衡達成」という感じが出ているような気がします。

で、思ったことは「理想は極めるもの」ですが、一方「現実は折り合いをつけるもの」ではないかということです。理想は、自分の頭、あるいは心の中で追求するものですから、いくらでも追求すれば良いし、一方現実は、相手があることなので、いつも「折り合いをつけ」ながら進めなければならない。これが人の世の生き方ではないでしょうか。

どう折り合いをつけることが正しいのかという葛藤がそこにはあるわけですが、いずれにしても、理想で突っ走るわけにはいきません、現実は。

例えば、社会主義こそが人の世の在り方と考える人がいます。頭の中で理論がどんどん構築されます。ですがこれは理想です。現実は、今の日本の実情と折り合いをつけなければなりません。

また、日本人は戦争でこっぴどい目に遭いました。というと被害者っぽいですから「こっぴどい目に遭う戦争をやってしまいました」というと「先がわかって戦争したわけではない」ということになるでしょうから、「戦争をやってこっぴどい目に遭いました」としますか。

それで二度と戦争をしないことにして、軍隊を持たないことにしました。これは理想で、現実は、侵略者がないとも限らないので、自衛隊という軍隊を持っています。これは一つの現実対応、つまり折り合いの一つと言えましょう。

「戦争はしない」という理想は理想として、折り合いはつけています。ところが、領土問題に関しては、周辺諸国と折り合いをつける気が一切ないように思われます。

領有権を主張することは、いくら主張し続けても構いませんが、実力を行使すれば戦争になりかねません。相手には相手の主張がありますから、折り合いをつけるという発想が必要です。

「戦争をしない」という理想はあっさり捨てて、小さな島が固有の領土だという理想は固守するというのは、間違った生き方ではありませんか?

「戦争をしない平和な国」を維持しないと大変なことになります。戦争ほど、非人道的で悲惨な生活を強いる社会環境はありません。この文明社会に、破壊力絶大なミサイルが飛んでくるのですよ。

あり得ません。となると、周辺諸国と「折り合いをつける」ことが絶対条件となります。外交努力で平和友好条約を結んでいく必要があります。

何を大事にするか、そこを過たず冷静に見極め、折り合いをつけていくことが肝要かと思います。

「理想は極めるもの、現実は折り合いをつけるもの」お国の外交もそうですし、個人の日常もそうですよね。これを座右の銘としたいと最近思っていますという一席でした。


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