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続・荒川堤 [たまには photo news]

今日で三日連続、荒川堤で遊んでしまいました。今日が一番ハードでしたが、まずは昨日のことから。

昨日は、よくコメントをくださる SUN FIRST さんにCDのダビングのことでご足労願ったついでに、河原に遊びに出かけました。いつも行く河原は桜の見物客で賑わっているでしょうから、少し離れたところを狙いました。

久下橋を渡って右側の辺り。
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荒川の右岸で川下を写しています。久下橋が見えます。
桜堤は遠く霞んで見えます↓
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土手下には釣り堀らしきものがあります。
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近寄ります。
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看板をトリミングします。
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切れ所沼というのですね。かつて堤が決壊したことがあるのでしょう。その水が引かず沼ができて釣り場になった?長いこと熊谷に住んでいるのにちっとも知りませんでした。

上の方でピーピーいうので見上げると
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ヒヨドリでした。

足下には
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イヌフグリ
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そんな野原で何をしたかというと、キャッチボール。
これは残念写真無し。投げっこしているとシャッターが押せない。
キャッチボールと言っても、私は情けないことに今は10mぐらいしか投げられない。SUN FIRST さんは15mぐらい。でも汗ばむくらいやりました。

荒川堤二日目はそんなところでした。

そうそう、SUN FIRST さんとの会話は、厚労省職員23人の銀座での送別会。
「どうなっちゃったんだ、この国は」
「まったくな〜」・・・
でした。




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もうすぐ4月! [たまには photo news]

もう3月が終わろうとしているんですね、速いですね、時が経つのは。加えて今年は2月3月が暖かかったそうで(自覚なし)季節変化もめまぐるしいほどです。桜前線も待つこともなく、いつの間にか来てしまっています。

個人的にも、この2、3月はいろいろあって、昨年の11月以上に多忙でした。一昨々日、近所の身内の納骨を済ませました。

昨日はようやく気持ちが暇になって、春を写しに、出かけてみました。まずは御近所。撮った順に貼り付けます。ちょっと回っただけなのに、沢山たくさん、花が咲いていました。

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飛び立つ瞬間の雀を狙ってみました。
いえ、撮ろうとしたら逃げられました。

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通りを渡っていつもの公園に入ります。
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公園の桜
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もう散り始めています。
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モクレンは新緑が出始めています。
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ヒヨドリを撮ったはずですが・・・

午後は、毎度お馴染みの土手の桜を見物に出かけました。見頃はいく日もありませんから、今年もちゃんと観ておこうと。公園の桜が散り始めてましたから、急がねば!

土手の手前に、旧土手を公園にした万平公園があります。まずはそこの桜から。
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土手に着きました。
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土手の桜はまだ7、8分ですね。
川上方面
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川下方面は
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行きに通った万平公園の反対側です。こちらが正面?

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以上、気がついたら訪れていた花咲く春の景色でした。

一方、ミャンマーは酷いことになってますね。どうして同朋に銃を向けたり、殴る蹴るの暴行を加えたりすることができるのでしょうか。日本政府にも、軍政に対して毅然とした態度をとってもらいたいものです。


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卒業生にこんなお話しちゃいました [身の周りのこと]

事件ではありませんので聞き流してください。

一昨日、昨日で令和2年度の私の半日仕事が終わりました。勤務日数が限られているので、例年だと3月10日頃には終わってしまうのですが今年は6年生だったので、勤務日を後ろにずらし、卒業式までお付き合いしました。

3月16日の教室風景。
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「これはもしかしたら」と思ったら、案の定、次の日には花が咲いていました。
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卒業生への担任教師の思い遣りを感じました。

一昨日は修了式がありました。全員が校長先生から修了証を厳かにもらいました。その式の終了後、いきなり壇上に上がるように学年主任の○○先生からマイクで呼び掛けられました。

「えっ!私が、なんで?」でも嫌とも言えないので、上がって、皆さんの例に倣って、国旗と校旗と市旗に一礼してマイクの前に立ちました。

すると6年生代表なる女子が指名され、壇上に上がってきて、「先生、2年間お世話になりました」ってちょっと厚みのある冊子を差し出します。さっきまでと逆で、児童が私に綴じ物を渡すのです。

いい加減な貰い方もできないので、児童の真似をして、左手出して右手出して、高く掲げて一礼して、それをもらいました。(笑えますよね)

ついで学年主任曰く。「只今から**先生からお話があります」
(はあっ? なくはないけど、こんなところで改まって?いつも予告なしなんだから、ったく、もう)

「・・・みなさんとは明日でお別れなので、教室で機会があったらお話ししようと思っていたことをお話しします。どうぞ気楽に聞いてください」
「着席!」と号令。

「まず一つは、みなさんは素晴らしく成長されました。5年生の時は後ろから前が見渡せたのですが、今はみなさん大きくなって、ほとんど見渡せなくなりました。

身体だけではありません、態度も立派になりました。5年生の時は何かとトラブルが起きていましたよね。6年生になってからは一度も起きなかったのではないでしょうか。みなさんの成長ぶりは本当に素晴らしい、感心しました。

みなさんは、先生方にも恵まれていましたね。○○先生はテレビの司会者のような完璧な日本語でみなさんを導いてくださいました。

◇◇先生は、教室の雰囲気を盛り上げる名人ですよね。面白い話や仕草でみなさんを笑わせたかと思うと、さっと気を引き締めて元の勉強に戻ります。天才ですよね、あの技は。

それから、諸先生方の努力の賜物なのでしょうが、学校が明るく落ち着いてますよね。学校にも恵まれていたと言えましょう。恵まれていることには、感謝の気持ちを持つといいですよね。

つぎに、わたし、知っていることは何でも教えていたのですが、歳を聞かれた時だけは、適当に誤魔化してまともに答えませんでした。

なぜ答えなかったかというと、歳はなるべく考えないようにしているからなんです。歳を考えると歳をとるんです。老けるんです。ですからいつも忘れています。

実は、私は昭和23年生まれ。昭和をちょうど40年、平成をちょうど30年生きてきました。そして今年が令和3年ですから・・・

みなさんは若い成長期ですから、歳のことは忘れていないでくださいね。一年一年、歳相応に、あるいはそれ以上に成長してくださいね。

最後にもう一つ、みなさんの将来です。みなさんには、ぜひ幸せになってもらいたいと思っています。ただ、幸せになるには一つ気をつけることがあると思うんです。

自分の幸せばかり追っかけていると、幸せってキリがないんですよね。だからいつになっても幸せになれない。美味しいものを食べると、世の中にはもっと美味しいものがあるんです。それを食べている人がいると羨ましくなる。

どうか人の幸せも自分の幸せと思える人になってください。そして周りのたくさんの人を幸せにするすごい人になってください。期待しています。

以上です。2年間お付き合いいただきありがとうございました」

みたいなことを壇上からお話ししちゃいました。寒い体育館で汗かいちゃいました。

教室に帰る途中○○先生に、
「いつも予告なしに振るんだから、まったくもう、あんなところに引っ張り出して」と言うと
「ハハハハ、あの場しかないと思って。実に楽しかったですよ」
お茶目なんですよ、この先生。油断も隙もありゃしない。

で、昨日は卒業式がありました。来賓はなし。在校生は5年生の代表が3人のみ。歌は録音を流し、声出さず。保護者2名までの簡略バージョンでしたが、一人一人しっかり返事や礼をして、卒業証書をもらっていました。

送辞、答辞の大役に抜擢された児童も、雰囲気に圧されることもなく堂々とやってのけました。

全て予定通りかというと、ハプニングもありました。返事だけをするところで「お世話になりました、ありがとうございました」と一声を発した子がいました。

また、退場に移る一連の流れの中に「先生方のことは一生忘れません」との児童申し合わせのドッキリ場面もありました。厳粛さばかりでなく、それに圧されない現代っ子の個性も現れていました。出来過ぎですよね、この卒業式は。

その後、教室で最後のミーティング。それから校舎の前で三々五々、写真を撮ったり別れを惜しんだり。

昨日は、そんな小学校の卒業式の日を体験し、心が高揚してしまいました。

ところで小学生のことをなんで「児童」って言うんでしょうね。「生徒」でまったく良いと思うんですけどね。



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コロナ報道に思うこと [新型コロナ関連]

新型コロナ問題ほどメディアの報道量の多い話題はないでしょう。連日、メディアが流す情報の7〜8割がコロナ関連では?

報道は人々の関心に応えようとしますから、人々の関心を反映します。人々は報道が掘り下げることにより関心をより深めます。いま、人々とメディアは、掛け合いでコロナ問題に没頭しています。

罹ると大変なことになりますから、無理もありません。

最近の話題は首都圏に出されている緊急事態宣言を政府がどうするかということ。感染数が下げ止まり、リバウンドの様子も見える中で、宣言を解除するのかどうか?どうやらすることに決まったようです。

感染力や重症化リスク、若年層への感染も高そうな変異型の広がりも心配されています。

ワクチンの入荷・摂取は順調に進むのかどうか?自分に回ってくるのはいつ頃か?副反応はどうか?変異型に効くのかどうか?などワクチン問題も気になります。

自粛による経済の停滞も深刻です。旅行業、飲食業、各種興行など、いつまで耐えればいいのか、補償はいくらもらえるのか?コロナに罹らなくても、食えなければ人間死にます。

テレワークを導入すれば、企業情報が漏洩するリスクが高まります。正社員はテレワークだが、派遣社員は出社してもらわなければ・・・などという労態格差も生まれています。

なんと悩みの多いことか。おまけに一年延長したオリンピックの開催が7月下旬に控えています。衆議院議員の任期も秋には切れます。

こうした悩ましく、かつ先の見えない状況をどう乗り切れば良いのか?これには「覚悟」が必要なのでは?

これからはウィズコロナの時代となりますね、よく言われるように。どこからどう回ってくるかわからないけれど、いずれは罹るかも知れません。平均寿命も短くなりますね。覚悟するしかありませんね。

そう思うと、コロナで一番大事なのは、治療法ではないでしょうか。重症患者が増えたとか減ったとか、重症患者用病床が逼迫しているのか余裕があるのか、そればかりが問題になりますが、重症患者がどうなったのか、危機を脱して軽症者用病床に移ったのか、残念ながら亡くなったのか、治癒率は上がっているのか、横這いなのか、そこに関心を寄せるべきなのでは?

ワクチン云々と並んで、治療法が進歩しているのかどうか、重症患者の治療対策が向上しているのかどうか、そこに関心を寄せるべきなのでは?

医療体制が変わらない中で医療の質を維持するには、感染者数を増やさないことしか手段はありませんが、社会免疫を作らなければ収束しないということならば、とにかく政治は医療体制の充実に力を入れるべきなのではありませんか?

話題は治癒率です。ウィズコロナがいつ罹って死ぬかわからない時代では、命と暮らしが守られている社会とは到底言えません。死なない病気に持っていけるかどうか、罹っても温かい治療が受けられるかどうか、そこに最大の関心を寄せましょう。

など思う今日この頃です。


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子育て教育相談ネットワークの紹介と満開の熊谷桜 [ブログ交流で学ぶこと]

今日は素晴らしいホームページを一つご紹介します。私も登校できない子と勉強を伴にしたり、学力向上補助員として学校現場に関わったりしていますが、いずれも狭い体験でしかありません。

こちらのホームページは、子育て・教育に悩みを持たれる方に広く開かれた相談窓口の公式HPです。なんと30年も活動されています。
『子育て教育何でも相談ネットワーク』
http://soudan-net.sakura.ne.jp/

電話や来訪によって寄せられる様々な悩みを共有し、親身になって対処法を提案、解決策を模索する活動を続けられています。

凄いのは、30年にわたる膨大な履歴がしっかり文章に残されているということです。生物を限りなくいとおしみ、文才溢れるkazg さまが尽力・貢献されておられます。

子育てに悩みをお持ちの方はぜひ一度訪ねてみてください。事例が、とにかく沢山載っています。電話での相談ももちろん出来ると思います。

本日のメッセージは以上ですが、一昨日、石上寺に満開の熊谷桜を撮りに行ってきましたので、今年も載せます。撮った順に羅列します。

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以上です。


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車検がてら忍城址跡散策 [身の周りのこと]

昨日は3月11日、あれから10年の日でした。あの大津波には驚きました。あんな凄まじいことが日常生活の中で起こるんだ、日本列島周辺では!
人生観が変わりました。

亡くなられた方、肉親を失われた方、様々な被害を受けられた方々に、お悔み、またお見舞いを申し上げます。

心の痛みとは別に「花は花は花は咲く〜」春が駆け足で進んでいます。10日の写真です。

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記事が前後しますが、8日に、昨秋購入した中古車フィットの車検がありました。そのご報告。

コバック忍城本丸店で取りました。
格安車検は「何もしないでただ検査するだけ」という評判もありますが、タイヤの残り溝の深さやブレーキパッドの厚さ、バッテリーの状況など、ちゃんと口頭でも説明してくれました。ブレーキフルードの交換も頼みました。

支障箇所があれば、前回のオデッセィのときのように部品交換や整備の必要性を指摘しますので、信頼してここに持ち込んだ次第です。二時間弱待ちで、無事検査合格しました。

待っている間、歩行数を稼ごうと思って散歩に出たところ、この店のおまけの良さを発見しました。忍城本丸がすぐ前なのです。

ここは近年復元して、歴史博物館を併設。2回ほど入ったことがあります。しかし裏の方は散策したことがなかったので、駐車場入り口から裏に回ってみました。

「オーなかなかの景色」と思ったので、スマホでパチパチ撮ってきました。今にも降りそうな曇天だったので、色鮮やかとはいきませんが。撮った順に並べます。

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歴史資料館の裏手にあたります。
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鐘楼です。

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城の左手に立派な門があるのですが、木の陰になっちゃいました。
門から外に出ました。
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再び城に戻ります。
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城のある街っていいですね。

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こちらが本来の入り口です。誰にも会わないと思ったらこの日は月曜、休館日でした。

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通りを挟んでこんな神社もありました。

4時前に戻ると車検が終わってました。


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幼稚園関連団体の消えた金の行方は? [時事問題]

 全日本私立幼稚園連合会という団体で4億円を超える使途不明金問題が浮上しています。積立金を管理していたのは事務局長一人で「香川敬会長から口座からの出金を指示された」と話しているそうです。

 その香川前会長は使途不明金の存在が発覚しないように通帳の偽造に関与したことを認める一方、「私的に使ったことは一切ない」と説明しているとのこと。

胡散臭い事件ですよね。よくある横領事件は、経理担当者が単独で不正に預金を引き出し、ブランド品を買ったり遊興費に使ったりするものです。この事件はトップも絡んでいて、使い途も違うようです。

となると政治がらみ?ちょっとそんな予感がしてきたところ、早速政治家の名前が出てきました。自民党の河村元官房長官。関連団体「全日本私立幼稚園PTA連合会」の会長だそうです。

この団体は例の連合会と同じ建物にあり、ここにも約4100万円の使途不明金があることが発覚しました。

政治家の接待に使われた?政権与党や権力者に貢がれた?この事件もまた、政治の不正が惹き起こした事件の可能性があります。

徹底調査を求めます。またその結果を待たないと断言はできませんが、どうも最近の不正事件は、政治家に起因するものが多いように思われます。不正の陰に政治(家)あり?

権力者の奢り、気の緩みが目立つ昨今です。
法律を作っている人が法律を破る!
法律を破る人が法律を作っている!
あってはならないことです。政権の座に長くあると腐るんですね。国会議員を選び直さないといけませんね。



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名ばかりだった「原子力安全委員会」 [日本考]

寒い寒いと思っているうちに、いつの間にか花の季節になりますね。近所の公園の様子です。
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トリミングもします。
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本来なら一番いい季節なんですけどね。十年前の大震災以来、憂鬱な季節となりました。自然の脅威は謙虚に受け入れ、復興に尽力し、また再来に備えるしかありません。つまり、いつまでくよくよしていても仕方のないことです。

でも、復興が十分なされたかというと、まだまだ不十分なんですよね。道路や防波堤、土地の嵩上げなどの土木工事は進んでいますが、人の生活が元の元気さを取り戻したかというと、まだ、課題満載なんですよね。

特に、原発事故が併発しましたから、これは簡単には片付きません。復興どころではありません。アンダーコントロールとか言った総理大臣がいましたが、大嘘つき以外あんなことは言えません。現場は手を焼いていて日々苦渋の連続と思われます。

なぜあんな大きな事故になったのか、昨日、サンデーモーニングが特集を組んでやっていましたね。

地震や津波を想定した非常電源装置の備えが甘かったことが最初の誘引ですが、それだけではなかったようです。事故後の対応も逐一まずかったようです。

4基並んだ原発の不具合の見立てと対処に誤認があった、と言うか誤認だらけだったようです。(そもそもあんなに近接して4基も原発を並べたところに、原発は事故を起こさないという思い込みがあったのですね)

電源装置が働かなくなった場合の安全装置として、非常用復水器というのが1号基には付いていたそうで、それを起動させ、それが機能していると思っていたのだそうです。

ところがそれは機能していなかった。それは建屋の外からもわかったことなのだそうです。演習さえしていれば。でも事故を想定した訓練や演習は何十年もやっていなかったので、正常に働いていないことが誰にも分からなかった。

ベント装置の異常や水位計の誤作動なども推測できず、建屋の爆発や、メルトダウン・メルトスルーに繋がったとのことです。

要は過酷事故を想定した訓練が全くなされていなかった、そしてそれは原子力安全委員会が、極めて起こりにくいことなので、原発設置者の自主的取り組みに任せるとしていたからだそうです。

原子力安全委員会は、危険装置を安易に稼働させる名ばかりの委員会だったということです。(自由民主を謳う日本の政権政党を思い出してしまいますね)

この原発事故は、日本にとって本当に大きな事故です。日本にとってだけでなく人類史上最悪の事故と言ってもいいでしょう。それが止むを得ず起こったことではなく、人の気の緩みから起きたのです。

この事故は本当に大きいですよ。日本の繁栄はこれにて終わる可能性が大です。しっかり反省し、一からしっかり出直さないと、何十年もかけて社会を作り直していかないと、日本は本当に沈みますよ。

そういう大きな事故なんですけどね。大震災からの復興をアピールするために「アンダーコントロール」とか言って、オリンピックを誘致してしまうのですから、もう最悪の展開ですね。悪あがきにすぎません、沈没を早めるだけです。

なぜもっと冷静に事の大きさを受け止めることができないのでしょうか。転んで大怪我をしているのに、薄ら笑いを浮かべて平気を装っている負けず嫌いの人みたいです。

隣近所への見栄なんですかね。それどころじゃないですよ。災害大国なんですから、それをしっかり想定してシステム作りをしていかないと日本の繁栄はあり得ませんよね。

まずは「どうにかなる」の甘い思考と原発はやめましょう。勝てない戦争もあったのです。メルトスルーまでしてしまった原発事故もあるのです。

真にヤバいことが起こり得るのですから、この列島で、この先長く、人々が平和に暮らせるように、一時の富や権勢を追い求めることはやめましょう!

以下資料映像、TBSサンデーモーニングより
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以上です。TBSサンデーモーニングさん、ありがとう!


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バレちまった話と年金事務所の話 [身の周りのこと]

世間はいま大変ですね。コロナの感染については他人事ではなく、心底早く収まって欲しいものですが、オリンピックがどうなるか、いや、どうするか、関係者の頭の中ははち切れんばかりでしょうね。

まともに開催できても準備が大変なのに、どういう形で開催に漕ぎ着けるか、そこを思案しなければならないのですから、これはもう大変です。ご同情申し上げます。

ところで私の身辺にも想定外の出来事が起き、ちょっと慌てています。前記事に載せた「60年ぶりの小学校体験記」のことです。あれ、昨年できた「熊谷エッセイクラブ」の2号に、会員への自己紹介がてら寄せたものです。

ああいう記事を書いていることが学校関係者に知れると、先生方に警戒心が生まれてしまうだろうと思ったので、目立たないように実名ではなくペンネームで載せたのでした。

ところが、今週火曜日に出勤してみると、校長先生が一枚のコピーを持って近づいくるのです。
「いやー、**先生、こんな風に本校のことを書いていただいてありがとうございます。実は**長が送ってきてくれて・・・」

「えっ、それ、あの、えっ、わからないように違う名前で書いたんですけど・・・」はやくもすっかりバレていました。ヤバッ、後の祭りでした。

このブログもいずれ発見されてしまうかも・・・。そうヘラヘラとなんでも書いているわけでもないので、「まっ、いいか」と思いつつ、表現の自由って、言うは易く行うは難しだなって、改めて思う次第です。

身の回りの出来事といえば、人が亡くなると、何かと手続きが大変ですね。一昨日年金事務所に「死亡届・未支給年金請求申請書」?を提出に行きました、必要な書類を揃えて。

そもそも死亡届というのは、もう年金を振り込んでくれなくてもいいですという届けです。役所に出した死亡届が転送されればそれでいいと思うのですが、違うのですね。

15日に支給される年金は、前々月と前月の分なのですね。よって、亡くなった月の分は未支給となり、請求することにより、世話をしていた親族に振り込まれる仕組みなんですね。

そのため、ほとんど全ての場合、遺族はそれを証明する書類を揃えて申請手続をする必要がある。

これは遺族にとっては面倒な作業です。支給月を一月早めれば、未支給だの過支給だのはずっと減るでしょうから、こんな申請作業は不要になるのではないでしょうか。

一昨日、その手続をしに年金事務所に行ってきました。パンフレットには予約をするように電話番号が書かれていました。

電話を入れたところ「ただいま電話が集中しています。しばらくお待ちください。この電話は20秒で10円?の電話料金がかかります」とか言ってましたので、急いで切りました。

で、予約なしで行きました。でも予約なしの人が一人相談中だっただけなので待つことにしました。それでも、なかなか番が来ません。とうとう一時間、何もしないで待ってしまいました。
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テレビが置いてあって国会中継をやっているんですよ。でも音が絞ってあって聞こえないんですよ。見てたって何もなりませんからね。何のために電気を使っているのでしょうか?サービス精神のない役所ですよね。
右側のボード、行った時から7番の相談窓口で022の方がやっているんですよ。私は023で1時間以上待ちっ放しでした。

もう待てないぞと、受付に書類を提出し、二言三言文句を言って帰ってきました。私の待ち時間の許容範囲は30分ぐらいです。倍も待つとブチ切れます。

年金事務所ってところはやたら待ち時間が多いと聞いています。必要な作業が多いこともわかりますが、余分に手間をかけているところもあるのでは?

税務署と反対で支給が仕事ですから、もったいぶって余分な事務手続を課しているのではないでしょうか。「もっと仕事を減らしたら」と思った次第です。

本日は以上です。


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昨秋の作文「60年ぶりの小学校体験記」 [身の周りのこと]


昨秋、11月の末に、今月は格別忙しかったと書きました。理由は、終身医療保険をどうしようかと悩んだこと、21年乗った車の車検を諦めて代わりを探したこと、もう一つ、作文の締め切りがあったこと。

で、その作文については、発刊前なので載せず、代わりに前号のを載せました。

それ(第2号)が20日に公刊され、解禁となりましたので、ここにも載せたいと思います、例によって拙いものですが。

思えば、クラブメンバーへの自己紹介を兼ねて書いたものなので、このブログをご覧の方に目新しいことはないかも知れません。でも一応ご報告ということで・・・(一部修正あり)


【 六十年ぶりの小学校体験記

  私はどうやら楽天家の呑気者のようです。世間の人を知るにつけ、次第に自分のことをそう思うようになりました。
  例えば、昔、子どもの頃、こんなことを思いました。

「人の寿命はなんで六〜七十なんだろう、世界には百二十ぐらいまで生きる人がいるというのに。もしかしたら、人はそのくらいの年齢で老いて死ぬものだという思い込みがあるからじゃないだろうか。思い込みがなければ百二十ぐらいまで生きられるのでは?人の寿命はそのくらいあるのでは?」

  そんなことを考えました。そして、「自分は、老いることは考えず、ただ黙々と生きてみよう。想定寿命は百二十年」と思ったのでした。
  決して本気ではないのですが、そういういたずら心で生きてきました。

  やがて還暦とやらを迎えましたが、たかが六十ですからね、潜在寿命の半分にしかすぎません。人生の折り返し点、後半戦の始まり。気持ち新たに再出発!

   そう思った矢先、思わぬ事態が。前立腺ガンが発覚。発見の遅れから‪一時‬は死を覚悟したこともありました。一月半の放射線治療をきっかけに、長年の稼業学習塾も畳みました。

  生身ですからそんなこともありましたが、意外と経過がよく、機能がなくなったのは前立腺だけ。後半戦はそれなしでスッキリ。

  元気は余っているし小遣いも足りないので稼業を復活したいのですが、孫の送迎等もあって、夜の仕事の再開は億劫。どうしたものかと思っていたところ、学校が補助員という午前中の半日仕事を募集していることを知りました。

  応募したところ幸い欠員校があり、早速採用してもらいました。

  最初の赴任校M小学校では、一年生と三年生の教室でお勉強のお手伝いをすることに。業間休みという一〇分長い休み時間には校庭で持久走。三年生に混じってトラック三周などもよくしました。

  時に齢七十。世間では古希なんて言いますが、後半戦の十歳ですから、小学三年生の教室体験は、正にぴったりでした。

  一年余勤務の後、自宅に近いN小に転勤となりました。そこでは五年生のクラスに配置され、翌年は一緒に進級して六年生のクラスとなりました。

  低学年と違った難しさと面白さがありました。なによりも、後半戦の十二歳で六年生と半日をともに過ごすのです。自分の仮想人生とあまりにも符合しているので我ながらびっくり。

  さて、前置きが長くなりましたが、六十年ぶりの小学校体験談を少々ご報告いたします。

  まず最初の感想は、気持ちの良い世界だということでした。先生方が、折に触れ、正しいマナーを教えようと努めているのです。思えば当たり前のことかも知れませんが、大人の世界が、モリだのカケだの…あまりにも筋の通らないことが横行していたので、清々しさを感じました。

  次に感じたことは、幼い子どもたちを集団生活に慣らしていく巧さです。発達がまちまちですから、個々に配慮して、それを子どもたちにも納得させながら、座って授業を聴く学校生活の基本を徐々に浸透させます。プロだなあと思いました。

  高学年は、集団教育には馴染んではいますが、個々のこだわりは強くなり、思春期・反抗期の芽生えもありますから、それなりの難しさがあります。しかし、二十代、三十代の若い先生が、褒めたり笑わせたり、時に厳しく叱ったりしながら、体罰なしで、言葉で上手に誘導しているのです。何かトラブルがあると「人に優しく、自分に正しくしてますか」と注意喚起します。素晴らしい行動指針ですよね、この言葉は。

  私が直接関わった先生がたまたま卓越していたのかも知れませんが、そもそも学校というところは学力だけをつけるところではありません。集団生活を通じて社会生活のルールを教えるところでもありますから、その辺のスキルは高いものがありますね。感心しました。

  「オー、小学校は健全に営まれているなあ」というのが私の率直な感想です。

  ではすべてが順調かというとそうも言えません。学習指導には課題を感じます。教室運営はチームプレーですが、勉強は個人プレーです。

   興味・関心、知識や考え方、意欲や注意力、記憶力など、もともと個人差があります。こうした個人差を減らして知識や思考力を平均化することが学習指導の目標ではないはずです。各人をそれなりに伸ばさなければなりません。

   その辺のきめ細かな対応となると課題を感じますが、これは学校現場というより、根本的には、これを統括する文科省や、さらに社会の課題と言えましょう。ですからここでは深追いしません。

  ところで我が仮想人生は早くも六年生まで来てしまいました。来春は中学進学?M小、N小ときたので次はO中?慣れたところでN小残留も悪くないけどなあ・・・ 】

以上です。


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