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松山選手マスターズ制覇、池江選手日本選手権で4冠達成 [人間考]

松山選手すごかったですね、とうとうマスターズで優勝してしまいました。日曜日の朝、たまたま3日目の終盤をテレビで目撃しました。

素晴らしいアプローチとパットの連続で混戦から抜け出し、4打差をつけて首位で最終日を迎えることになりました。

となれば、月曜の朝も観ますよね。観ましたよ。終盤、4打差が2打差となり、最後は1打差で逃げ切りました。あの緊張下、よくぞ勝ち切りましたね。感動しました。

練習を積み重ねて獲得した技術もさることながら、何が何でも優勝するんだという精神力がすごいですね。TBS放送スタッフの55秒にわたる涙の音無し中継も歴史に残りますね。


精神力と言えば、池江璃花子選手の復活もすごいですね。白血病に罹って抗がん剤を投与するなど半年に及ぶ闘病生活。痩せ細って練習を始めてからわすが1年7ヶ月で日本選手権で4冠を達成。

これも驚異の精神力のなせる奇跡ですね。感動しました。難病といえども気持ちが負けないところが、いかに体力が落ちようと、ここでも気持ちが負けないところがすごいですよね。為せば成るんですね。人の生き方の鑑ですね。

松山英樹選手も、池江璃花子選手もすごい *・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

色とりどりのチューリップの花で、華を添えたいと思います。

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以上です。


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心の問題を考える(3) [人間考]

昨日、今日と寒さは緩んできましたが、新型コロナの感染拡大は止まりませんね。医療崩壊から入院先が見つからないまま自宅でお亡くなりになるという悲劇が起きているようです。

そんな逼迫した状況ではありますが、書きかけたことなので続きを書かせていただきます。


差別といじめはあるまじきこととなっていますが、実は、あるのですね。どこにある?人の心の中にうようよしているんですよね。

たいてい誰でも、好き嫌いがあります。大切にする人の順番があります。職場でも学校でも近所でも、家の中でも・・・当然のように差別して付き合っているんですよね。

そういう心理はあることを前提に考えた方が良いのでは?というのが今回の記事のテーマです。

差別自体は否定することはできなくても、無条件に肯定することもできません。人は、差別の心理とどう向き合えばいいのでしょうか?

まずは、差別する理由や根拠です。その理由や根拠に合理性や客観性があるのかどうかです。

「なんとなく・・・」とか、「縁起が悪いから」とか、「外国人だから」とか「宗教が違うから」とかいうのは、差別を正当化する理由にはならないだろうと思います。

主観的、あるいは自己中心的な理由はダメです。他人の存在自体を嫌ったら、自分の存在も危うくなります。これを言い出すと、地球という同じ環境に共存できなくなります。

宇宙に、宇宙そのもの以外「絶対的な存在」は無いように思います。自分が「絶対」なのは自分にとってだけです。みな相対的な存在で、自分も相手もだいたい等価値です。

差別が好きな人は人を差別するだけではありません。何かにつけて差別します。「どこのスーパー(あるいは銘柄)の牛乳は(卵は、野菜は、肉は・・・)どうも品質が怪しい」

確かな理由があれば、当然差別というか区別すべきですが、客観的な「エビデンス」なしで差別するようなら、差別好きと言わざるを得ません。何かにつけて色目で見る傾向があるように思われます。

人は贔屓したり、疎んじたり、日常、ついついするものですが、そこに理に適った根拠があるのかどうか、つまり正当な区別なのかどうか、絶えず自問する必要があるでしょう。

人には、よく自問自答して、なるべく公正に振る舞おうとする人と、まったく、あるいは殆ど自分の偏見に疑いを持たない人がいます。

前者は、差別的な行動も制御され、抑制されますが、後者は遠慮がありません。自分の好き嫌いを周囲に押し付け、同調する人は仲間、しない人は敵とみなします。

こういう人をどう導くか、心の尺度の狂いをどう気付かせるか、これが人間社会の大きな課題だと思います。

万一このような人が社会の指導的立場に就いてしまうと、社会全体が歪んでしまいます。

政治の世界に入れば、ヒトラーの如く、トランプの如く、最近の日本の如く・・・なってしまいます。

職場に入れば、企業はブラックになり、パワハラやいじめが横行してしまいます。

そうした地位に就かなくても、偏愛と差別的な行為が日常生活で起こり、体罰、虐待、DV等の犠牲者が出たり、家庭や仲間内の理不尽なルールが、歪んだ人間を再生産や増殖したりしかねません。

違法行為となれば取締りの対象になりますが、表沙汰になるのは氷山の一角です。

選挙による代表者の話し合いと諸制度で営まれる民主主義社会ではありますが、社会を構成するメンバーの心の問題は、ブラックボックスのままなんですよね。

いくら筋の通った議論をしても、元々筋とは無関係に自分たちに都合の好い結論を出そうとしている人たちの集まりでは、何の意味もないんですよね。

このブラックボックスを切り開いて、陽の光を当てて、もう少し除菌・殺菌・脱ウィルスをやる方法はないものでしょうかね。

少なくとも、格差・差別化・いじめを好む心理は警戒する必要があろうかと思います。

長くなりましたが、避けて通れない問題と思い、書かせていただきました。

ご高覧ありがとうございました!
(2)にもコメントもいくつかいただいております。ご関心をお寄せいただき感謝しております。


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心の問題を考える(2) [人間考]


前々稿で人間の心の問題の門まで来ました。さて、この門をどうやって開けようか、どう話を進めようかと、しばし思案をしています。

夏目漱石は、
【 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。・・・】

そして、住みにくい世を住み易く、長閑(のどか)にするのが詩人であり、芸術だと話を進めます。ご存知、『草枕』の冒頭です。


さすが、文豪ですね。さらりと面白く展開しています。私には文学のひとかけらもありませんから、このなんとも複雑な人の心に、不器用に切り込んでいくしか手がありません。

人の持って生まれた欲求にはどんなものがあるか?大雑把に行ってみます。

生存欲がありますよね、当然。食欲や保健・衛生、対人関係構築に向かいます。

性欲があります。類の保存、子孫繁栄に繋がる大事な欲求です。

感覚的な満足を得ようとする欲求があります。綺麗なものを見たい。良い音楽を聴きたい。美味い物を喰いたい。いい気持ちになりたい。

知的欲求があります。いろいろ知りたい。自然の摂理から事の成り行きまで、訳を知っておきたい。

世界に、宇宙に調和したい。困っている人や生き物がいたら助けたい。

それから自己顕示欲。自分の存在を知らしめたい。得意なことで名を売りたい。有名になりたい。

こうした欲求に並んで、人を差別したり、いじめたり、支配したりしたい欲求があると思います。

欲求の多くは金で手に入りますから、物欲・金銭欲となり、資本主義社会はこれを否定せず、経済活動のエメルギーとして肯定します。

しかしこれは物欲の強さや持っている能力の違いによって、格差を生みます。累進課税のような、格差是正の措置が不可欠です。

性欲あるいは生殖欲は、野生的で非文明的に感じられるからでしょうか、話題に上ることは稀です。欲求が一方的であることから被害者を産み、処罰や社会的制裁の対象になることも多々あります。マナーが問われますが、欲求そのものを否定すると、人口減少に繋がりかねません。

もう一つ厄介な欲望が差別といじめです。社会的には「人類はみな平等、互いの人権を尊重し合おう」ということになっていますので、差別といじめを肯定する議論は起きません。

しかし、そういう欲望が人々の心にないかというと、そうではありません。かなり根深く残っています。しっかり見つめる必要があろうかと思います。

日本の歴史を見てみても、皇族や貴族、武士、農民、町人、さらに被差別民などと、社会に階層がありました。同じ階層内でも上下関係があり、さらに家柄や血筋で差別していました。

人は、「人はみな同じ」と思っていないと思った方が現実に合っていると思われます。差別することにより、自己のアイデンティティを保つような性質があるのです。

「人類はみな平等、互いの人権を尊重し合おう」は表向きの建前に過ぎないのです。決して人々の心に浸透しているわけではありません。

人の心が心底そうなったら、つまり、相手も同じ人間だから相手の身になって考えて見ようとなったら、戦争など起きようはずもないのです。

どうして、悪気もなく一生懸命生活している人たちの間にミサイルなど打ち込むことができますか?

大事なことは、こちらの言い分とあちらの言い分との間の折り合いをつけることです。

「そんなことはわかりきっている、折り合いがつかないから紛争が起きる」そうかもしれませんが、そこに自分の方が由緒ある存在だという差別意識がありはしませんか。双方が互恵の精神で折り合いをつけようとしなければなりません。

それほど自己愛と他者差別の意識は人間に張り付いた厄介な性質です。自分たちの主張が、どう見ても正しいわけではありません。この性質を直視してコントロールしないと、人の間の紛争はいつになっても絶えません。

トランプ氏はアメリカファーストを言い出しました。自国第一主義は大統領としては当然のことで言うまでもないことですが、これを声高に叫んで他国とうまくいくはずがありません。

選挙に敗れたら、不正があったと言い出しました。自分は不正などしない正しい人間だが、自分に反対する人間は悪いヤツだからどんな不正を働くかわからないという思考です。こういう偏狭な意識を人間は持ちかねないのです。その典型ですね。

対中国問題も、人種差別問題も、解決するはずがありません。辛うじて一期でやめることになって、本当にほっとしました。

日本の自民党も差別主義に陥ってしまっていますね。「平家にあらずんば人にあらず」のようになっています。公明党と連立を組んで国会で絶対多数を獲得したら、日本を支配する組織集団と思い込んでしまいましたね。

「自分たちは何でも決められる、これに逆らう者はみな潰していく」と思い込みましたね。他者を尊重する気などさらさらなくなりましたね。

野党を足蹴にし、マスコミを潰し、官僚の骨を抜き、司法も抑え、学会も意のままにしようとしています。

自民党という組織が日本を支配するという構造を半ば作りましたね。そうなると、民の健康などはどうでもいいのでしょう、「国民の命と生活を守り抜きます」と言ってはいますが。関心があるのは、他国との経済競争や、オリパラ等の国際イベントです。

でも、次の選挙がちょっと不安になってきましたからね、この組織は、それを乗り切るためにどんな手を打ってくるかわかりません。下々をどう持ち上げて、その地位を保とうとするか、そういうことには長けていますからね。

差別といじめの問題は政治だけではありませんが、ちょっと長くなりましたので、一区切りとします。


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人類の心の問題を考える [人間考]


さて、一昨日は何を書こうとしていたのだっけ?

そうそう、差別といじめのことです。世の中、時の経過とともに良くなっていくものとなんとなく思っているのですが、現実はなかなかそうはいきません。

「三歩進んで二歩下がる」と歌の文句にありますが、現実は、もっと遥かに微妙です。九步下がって十歩進む、いやそれ以上に拮抗しているように思います。

なぜ人類の歩みは遅々としているのか?科学技術の進歩は眼を見張る勢いなのに、人と人との間の厄介な問題はなかなか解決しません。

例えば、国と国とのいがみ合いの問題。大量破壊兵器や無人の殺人マシン等を有するようになった国同士が戦争を始めかねません。

領土領海をめぐり、貿易をめぐり、地下資源をめぐり、宗教をめぐり、核兵器の開発をめぐり、覇権をめぐり・・・争いが絶えません。

一つの国の内部でも、問題が多々あります。Black lives matter.はアメリカでしばしば起こる人種差別問題です。中国では、自由と民主主義を求める活動家が弾圧されています。

経済格差も、人類共通の問題です。富の大半を、わずか数パーセントの人間が所有しているのです。有り余る資産を有する人の所得は膨大で、資産の乏しい人の所得は雀の涙です。貧困に喘いでいます。

人の間の問題は挙げればきりがありません。人類の長い歴史の中で少しずつ解決されてきたはずなのですが。

人権尊重とか、所得の再配分とか、法の下の平等とか、良い言葉が沢山あり、それを担保する仕組みも採られているはずなのですが、現実は甚だ不十分と言わざるを得ません。

こうした社会問題を、社会は何故解決できないのか、解決する仕組みがあれば、次第に解決されてしかるべきではないか、との疑問を持たざるを得ません。

民主主義とか、法治国家とか、三権分立とかいう制度を近代国家として誇らしげに掲げているではありませんか。でもこれらの制度は、実は有効に機能しているとは言い難い、むしろ空回りしてしまっていると見るべきなのでは?

どこに問題があるのでしょうか?社会制度の前に、人の心に問題があるのではないか。

人に物欲があって、損得勘定に長けていることを悪しきこととせず、活動エネルギーとして経済発展に活用してきたのが資本主義=自由主義経済です。

この仕組みの調整もいろいろな手立てが必要で簡単ではないと思いますが、人の心にあるのは、物欲だけではありません。

心の問題にも取り組んでいかないと、着実な進歩は生まれないのではないか。人類の敵はウィルスや天変地異ばかりではありません。人の心にもあるのではないか?

特に気になるのが、心に潜む「差別といじめの欲求」です。これについて思うところを述べたいのですが、長くなりましたので稿を改めたいと思います。

ご高覧に感謝します。
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「さっさとやめたらいい」 [人間考]


gonntan さんも取り上げていますが、
https://myoeiji.blog.ss-blog.jp/2020-09-18
オーナー商法というやつで多額の金(約2000億円だそうで)を集めて倒産したジャパンライフの山口某という男が逮捕されたのですね、ようやく。

被害者は高齢者が中心で、1人あたりの被害額が平均2800万円だそうですから、騙された人は悔しいでしょうね。増やせる、あるいは返せるあてもないのに、老後の生活資金を拠出させたこの男は悪いヤツですね。

集めた金はどこに行っちゃったのでしょうか?勿論、飲み食いや遊興、宣伝活動に使われたのでしょうが、政界にも相当配られていたのでは?って思っちゃいますよね。

空想ですけどね。実態の伴わない「オーナー商法」とやらをやり続け、政府主催の桜を見る会にも呼ばれて参列していたのですから、ただの詐欺師ではありませんよね。

どうしてこのような悪事をもっと早く、被害の小さいうちに取り締まることができなかったのか、今からでも究明して、悪事を見過ごした責任を明らかにしてもらいたいものです。

その点、加藤新官房長官は、記録が残ってないのでやる気はない旨、早々と表明しましたね。アベ政治の不祥事は一切解明しないというのが新内閣のアイデンティティのようです。

それはそうだわ、病気を理由に指名して譲ってできたような内閣ですから、できた方にしてみると、産みの親の良くなかったところを暴くようなことはしませんわな。

こちらも期待していないので、新内閣に興味はありません。興味はないのですが、漏れ聞こえてくるところによると、河野太郎って男が意外と面白いようですね。

河野太郎って、親の洋平さんの重厚さに比べると、言うこともやることも突拍子なくて軽薄な人って感じでしたが、その軽薄さが今好感をもたれているようですね。

新内閣が誕生した日の閣僚の就任会見で、順番待ちのさなか、待ちくたびれて「とうとう50分遅れ」とツイートしたんだそうで。ただの我慢の効かないわがまま坊やかと思いきや、自分の番が回ってきたら、次のようにズバッと仰った。

「延々とここで(官邸で記者会見を)やるっていうのは前例主義、既得権、権威主義の最たるものだ。こんなものさっさとやめたらいいと思う」

さっさとやめたほうが良い慣例は他にも沢山あるので、この軽さが今や軽やかさに変わったようで、「なんかやってくれそう」新内閣の目玉と期待されているようです。

そういえば、定年内閣みたいな顔ぶれで、デジタル相新設を除くと、他に新鮮味はありませんからね。

以上すでに皆さんご存知の話題でした。

そんなコップの中の水跳ねが話題を呼んでいる日本ですが、アメリカの森林火災やハリケーン被害は、本物の嵐到来で大変な状況のようです。いずれも地球の温暖化が原因と思われますから、この問題はいよいよ深刻になってきました。

暑い夏はエアコンを多用し、雨が降れば乾燥機を回し、何かというと電力を活用して乗り切っているのですから、温暖化が温暖化を増幅しているのですよね。森林火災もそれですよね。

世界中が真剣に取り組まないと、世界中が、恐ろしい気象災害に見舞われることになりますよね!

さっさとやめなきゃいけないことは、軽いことから重いことまで、沢山ありますね!
そんなことをしみじみ感じる今日この頃です。本日は以上です。

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ガンバレー、なおみー! [人間考]


大坂なおみ選手が全米オープンテニスで活躍してますね。7日には、世界ランキング21位のアネット・コンタベイト(エストニア)を6-3、6-4、わずか72分で破り、8強入りを決めたことが報じられました。

四大大会の一つを安定した試合運びで勝ち進んでいることは凄いことですが、今回の彼女は、それだけではありません。人種差別への抗議の意味を込めた黒マスクを着用して登場しているんですよね。

スポーツ界は政治に翻弄されたくないので、政治への関わりはたいていご法度なのですが、今回のなおみの人種差別への講義は、政治問題以前の人の在り方の問題と捉えられいるようで、特に規制はされていません。

こうした大会側の配慮を引き出したなおみ選手の決意と行動は素晴らしいですよね。この日は、自警団員に射殺された17歳の黒人少年「トレイボン・マーティン」くんの名が記された黒マスクを身につけて入場しました。

プレーと同時に、彼女の公正を求める心と意思表示の意欲に、拍手・喝采を贈らせていただきます。
ガンバレー、なおみー!

なおみといえばmajyo さんも直美で、なおみを応援してましたね。あちらでもきっと、大拍手喝采を贈られていることでしょう!


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民主主義を機能させるには? [人間考]


むかし、こんな歌がありました。

“ しあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩さがる
人生は ワン・ツー・パンチ
汗かき べそかき 歩こうよ
あなたのつけた 足あとにゃ
きれいな花が 咲くでしょう
・・・”

『三百六十五歩のマーチ』
水前寺清子さんが歌っていました。
作詞:星野 哲郎、作曲:米山正夫だそうです。

人生は三歩進んで二歩さがる。時代も三歩進んで二歩さがるようです、どうやら。で、今は二歩さがる局面のようです。トランプさんやアベさんの言動がまかり通る世の中を見ていると、そんな気がします。

政治・経済は、自由主義から新自由主義へと思想が移り、政府の規制をより少なくして、競争を活発化させることが豊かさに繋がる道と捉えられるようになりました。

しかし、貧富の格差拡大が、人々の間で、また、国々の間で起きるようになりました。企業間の、また国家間の競争が過激になるばかりです。環境問題の解決にも一向に繋がりません。行き詰っています。

民主主義という政治制度の理念も崩れかけていると思われます。

社会の諸問題は人々の話し合いで解決する。そのためには、公正な選挙制度で代表を選ぶ。会議が行われ、意見が集約される。まとまらないときは多数決で決定される。

こうした制度が備わっていれば民主主義国とみなされます。アメリカも日本もそういう制度を備えていますから民主主義国と自認しています。

しかし、民主主義が人類のたどり着いた理想の政治制度かというと、どうも、不備があるように思えてなりません。理想とは程遠い政治が行われているように思えます。

例えばアベ政治。モリ・カケ・桜見る会問題など、公正さを疑われる事案が数々ありました。その度に、国会で野党側が厳しく追及しました。

公正さが保たれていない事実があるから、証拠を挙げて追及します。事実関係はほぼ明らかなのに、責任の所在が、いくら質問を繰り返しても明白になりません。

誰の責任でそうなったかについての証拠は徹底的に隠蔽されます。隠蔽ではない可能性もありますが、しかし公文書の改ざんや、書類・デジタル記録の破棄など、役所として、およそあり得ない異例の説明をして、責任の所在を明らかにしません。

国会での言論が機能していません。集団的自衛権の行使を容認する法案審議や、特別機密保護法、共謀罪法などの審議も十分には行われず、憲法違反の疑いが濃厚のまま、多数決を強行して成立したものとされました。

民主主義が体裁だけで、国の意思決定の、あるいは行政に非がないことのアリバイに利用されているだけのように思えます。

民主主義の何が重んじられ何が軽視されこうなっているかと言えば、多数決が重んじられ、民主主義の精神が軽視されてこうなっていると言えましょう。

もともと民主主義の諸制度は、主権者国民の合意に至る方策として発展したものです。少なくとも目的はそこにあります。少数者の意見も尊重して合意を得ようとする精神がないと、多数者の横暴にお墨付きを与えるだけのシステムになってしまいます。

多数が承認し多数が満足すればそれでいいではないかとの意見もありましょうが、「多数」というのが絶対多数ではなく、ほとんど常に相対多数です。

35%前後(有権者の20%弱)の得票率で国会の過半数を占める第一党になり、その中で比較多数の指示を得れば最高権力者になるのです。

アメリカでは大統領選挙を控え、警官が黒人を虐待したり、射殺したりする事件が起きました。こうした黒人差別問題に反対する抗議活動が巻き起こっています。

この抗議活動に反対する人たちも現れ、各地で衝突が起きています。そんな中、トランプ大統領は、抗議活動をテロ行為と呼び、警官の行動を称賛する態度をとっています。

トランプ氏の思惑は、国を二分しようが、対立が深まろうが、そんなことは一向に構わないのです。自分の支持者がわずかでも相対多数になればそれでいいのです。

国民の意見を集約するとか、少数者の合意を得るとかいう意思は皆無です。民主主義制度の相対多数を利用しているだけです。

「民主主義国」とは、金科玉条の如く誇らしく言える国の体ではありませんね。民主主義は、制度だけではダメ、前提が必要でした。善意で営まれないとダメなんですね。

善意とは、社会正義を求める精神、人々の幸せの総和を高める方策を求める意欲、簡単に言えば公共心ですよね。これがないと、特に政治家にこの心がないと、民主主義は悪用されるばかりです。

自然科学は、少しずつ真理が解明され、それが着実に積み重ねられ発展します。またそれは技術に応用され、産業化され、人々の生活を変えていきます。その変化は急です。

一方社会科学は、分科されてはいるものの、他分野にも生かされるというほどの真理や法則に至ることはどうもなさそうです。自然科学と比べると、その進歩は曖昧で遅いと言わざるを得ません。

民主主義には前提が必要です。ということは、政治家には一定の資質が求められるということではありませんか。

政治学は「政治は支配の学問」などと言って巧妙に支配する方策を研究・伝授している場合ではないのではありませんか。

民主主義を機能させるに必要な資質を研究し、それを徹底教授して、政治家を育てたり、議員資格試験の必要性を世に問うたりしたらいかがなものでしょう。

民主主義の前提を問い直しましょう!
(長くなってしまいました m(_ _)m )



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アメリカ社会が揺れています! [人間考]


早くも6月ですねぇ、新型感染症の警戒に関心が集まっていると、時の流れが早いですねぇ。桜の季節も、風薫る5月もあっという間に終わってしまいました。

そんな時でも今の政権だけは放置できませんよね。無策の上に混乱に乗じて、こそこそと悪しき政治を続けています。

ところでアメリカは大変なことになっていますね。感染数も犠牲者の数も世界一の状況下で、警察官による黒人に対する暴虐事件が発覚し、全米で市民運動が起きています。

NHKのニュースで知ったのですが、この局の報道は、外国のことと過去のことについては、実に公平・客観的に伝えてくれます。ダメなのは、日本の今について、つまり最も肝心の点です。

さてアメリカですが、一部は暴徒化し、暴動に発展していますが、人種差別への抗議活動を平和裡に行う市民運動も巻き起こっています。警戒に当たる警察官や保安官などがこの運動に賛意を示す場面も報道されています。

また、アメリカだけでなく、ヨーロッパでも、黒人差別に抗議する市民運動が起きています。

「あってはならない、これは許せない」と思うことがあると、しっかりとその意思表示をするという彼らの態度はいいですね、民主主義の基本ですね。「これが正義だ、曲げられてはならない」という背筋が、一本、通っています。

フニャフニャじゃダメですよね。

今日もこんな記事になってしまいました!


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思いやりをもって・・・ [人間考]

三つ前の記事「コロナ対策は、習性ではなく理性で」の終わりの方に差別意識について少々書きました。

長くなったので詳しいことは書かず丸めてしまったのですが、差別意識というのは、思われている以上に深く広く存在していると感じています。人はそれぞれ自分や自分の身内は大事にしますが、他者については、公平平等に接することが善いとされています。この時点で反論する人は少ないと思います。

社会のマナーとしてはそうなっていますが、実際には、どんな人が仲間で、どんな人が仲間以外か、一々区別して生活している人が意外に多いものです。人類としては博愛を理想としていますが、贔屓で動く人が多いというのが実情です。

解り易い例は、あろうことか、日本の総理大臣です。森友学園や加計学園、桜を見る会などで贔屓があったのではないかと追求されています。

気にいると贔屓・偏愛し、気に食わないと、憎みいじめます。これも人の習性で、ありがちなことと自覚しておく必要があろうかと思います。

国と国との間でこれが起きると戦争です。自国民は仲間で、相手国民は敵です。人間は普通は殺し合いはしませんが、敵と味方がはっきりすると殺すこともためらいません。

相手国民だけではありません。自国民にも目が向けられ、思想や主張、行動が異なると、「非国民」なる烙印が押され差別されます。時には殺されます。

何かことあると差別したいという意識が心のどこかにあるようです、人間は。普通は理性で抑えているのですが、ちょっと動揺すると、頭をもたげてくるようです。

今、ネットで自粛警察なるものが流行っているそうです。営業を自粛しないで開店している店があると、嫌がらせの張り紙をしたり、SNSで拡散したりするそうです。

スーパーやホームセンター、公園など人の集まる所に他県ナンバーの車があると、白い目で見られるという話も聞きます。人には色々な事情があり、県をまたいで生活しなければならない人も沢山います。自県と他県で差別してどうするのですか。

県をまたいでの移動は自粛するよう要請されています。要請は要請として受け入れるとしても、色々な事情の人がいるのですから、一々目くじらを立てることではありません。外見(他県ナンバー)で人を判断=差別してはいけません。

日頃は遠方からの来客を待ち望んで歓迎しているのに、新型コロナ対策が都道府県ごととなったら途端に他都道府県人を皆ウィルスキャリアのように見るようでは、「猿より馬鹿か、人間は?」という次元の話になってしまいます。

コロナ対策で評価の高いニュージーランドのアーダーン首相は、メッセージの最後で、いつも
「どうか、強くいてください。思いやりをもってください。( Please be strong and be kind. )そしてみんなで一つになってCOVID-19に対抗しましょう」と国民に訴えています。

思いやりを忘れ利己主義に走ったら、何事も良い成果は得られないのです。

また長くなってしまいました。

暑くなりましたねぇ、コロナコロナで春は過ぎ、はや初夏となりました。一昨日でしたか、31度まで上がりました、当地は。

昨日はアベさんの緊急事態延長の発表をテレビで見ました、聴きました。長い時間演説していましたね。でも言葉ばかりけたたましくて、伝わってくるものは何もありませんでした。

発音の問題?日本語が柔らかくないんですね、彼の場合は。それから、原稿を読むだけだから?ということもあるのでしょうか。内容よりも、そんな感想を持ちました。

今日は5月5日こどもの日でした。午前中、孫の子守をパパとダブルでやりました。
遊具は縛られていました、こどもの日といえど。
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孫は一輪車に先に乗れるようになり、二輪車が後になりましたが、昨日乗れるようになったとのこと。
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確かに

藤棚に再挑戦
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アカツメクサを発見。しかし色がよく出ませんでした。
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本日は以上です。


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感染防止の他にも大事なものがある? [人間考]



みなさま、いかがお過ごしですか?
こうマイナス情報が大量に流れてくると、正直、気が滅入りますよね。忘れて呑気にしていようと思っても、命に関わる病気が人の間で日々伝染しているのですから、そうもいきません。

できるだけ外出をしないようにし、手洗い・うがいを頻繁に、マスクは必ず着用、人との距離は2メートル以上離して・・・引きこもり生活が慣れている人はいいですが、慣れていない人は生活リズムが極端に変わってしまって、体調を崩したりイライラしたりしてしまいますよね。

小池さん「今年のゴールデンウィークはステイホームウィークに」との要請を出しました。「買い物は3日に1回に」とも。

確かに首都圏の感染多発を地方に運んだらまずいですよね。誰が感染しているのかよくわからない状況ですから、誰もが動かないようにするしかないということになります。

その結果、みなが家庭にいることになります。では家庭は安全かと言えば、家庭内も同じです。誰が感染しているかわからないのですから、家でもマスク着用、手洗い・うがい励行、2メートル以上離れて、なるべく話をせず、食事は向き合わず・・・などとなります。

確かにそのほうが感染防止にはなるわけですが、そんな気持ちで楽しく元気に暮らしていけますか?
「あんたは不潔だからそばに寄らないで」とか「洗濯物は別にしますから」とか、
「お前はおしゃべりが多すぎる」とか言い合ったら、また子どもに
「それは汚いから触っちゃダメよ」とか、「お父さん(お母さん)に張り付くんじゃない」などと頻繁に言っていたら、そのこと自体が、すでにコロナ禍ではないですか。

人生はコロナの脅威が全てではありませんからね。大事なものを守りつつ感染防止に努めないといけませんよね。新型コロナの脅威から予防に専念するあまり、人への愛情や思いやりが減るようなことになっては、人として本末転倒ではないかと思います。

政治家は、ここでなんとか手柄を上げよう、これで人気を取ろうとしていますからね。その辺をよく見極めて、自分を見失わないように対応しましょうね。

こんな時こそ笑顔を忘れずに参りましょう (^_−)−☆
などと思う今日この頃です。


以下はおまけの写真です。
昨日、仕事場(仕事あんまりしてないけど)の建物にまとわりついている蔦を退治しようと試みました。
蔦の絡まるチャペルは恰好いいけど、そんな利点はなく、ただ外壁を傷めるだけなので
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 取り払ってしまいたいのですが
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 壁に張り付いていて、剥がせませんでした。
でも幹?は切っておいたので、しばらくは繁茂しないでしょう。
外出しちゃったけど、戸外の単独作業なので、感染拡大の心配はないでしょう。



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