ふじみ野市 医師ら殺傷事件に思う [時事問題]
【 埼玉県ふじみ野市の立てこもり事件で、銃で撃たれて殺害された医師の鈴木純一さん(44)ら医療関係者は、無職渡辺宏容疑者(66)=殺人容疑で送検=に「線香をあげにこい」などと容疑者宅に呼び出されていたことが捜査関係者への取材で分かった。(1/30朝日新聞デジタルより)】
地域の在宅医療を担っていた医師とスタッフを散弾銃で殺傷してしまったこの事件は、大変痛ましい、また残念で愚かな出来事です。
犯人は66歳、介護の末亡くなった母親は92歳。蘇生を願って心臓マッサージを要求していたとのこと。「母が死んでしまい、この先いいことはないと思った。自殺しようと思った時に、先生やクリニックの人を殺そうと考えていた」と供述していることも伝えられています。
親の介護を一生懸命やることは決して悪いことではなく良いことなんですけどね、依存症になってしまったのですね。母親を介護することが生き甲斐、人生そのものになってしまった。亡くなったら、「この先いいことは何もない」自暴自棄になった。
66ですからね、認知症の気もあったのでしょうね。人を見る目も判断力も鈍っていたのでしょうね。「生きていても仕様がない、死ぬなら母を生かし続けてくれなかった病院関係者を巻き添えにしよう」との考えからこの行動を実践したのでしょう。
親孝行はいいことだけれど、亡き後、自分がしっかり生きないとダメなんですよね。親子で完結するようでは、親が一生懸命実践した子育ての意味がない。ましてや、社会にひたすら貢献している大変立派な医師を巻き添えにしてしまうなんて・・・
今は、子を持たない人が多くなっている時代ですからね。親の介護に専念している人も増えているのではないでしょうか。8050というフレーズもあります。子がいなければ人生は全うできないなどとは申しません、思いません。
ですが、育ててくれた親に孝行することだけが全てでは、その親子だけの閉じた人生で終わってしまいます。外側の社会にフレッシュな関心を持っていただきたい。そこに生きた痕跡を示していただきたい。亡き後も何かしら目標を持って生き続けなければいけない・・・
親子で完結、それはそれである意味仕方のないことなのかも知れませんが、他人を、しかも社会に貢献している立派な人を巻き添えにしてしまうとは、余りにも理不尽な愚かな振る舞いです。
などと思うのです、この事件については。