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昨秋の作文「60年ぶりの小学校体験記」 [身の周りのこと]


昨秋、11月の末に、今月は格別忙しかったと書きました。理由は、終身医療保険をどうしようかと悩んだこと、21年乗った車の車検を諦めて代わりを探したこと、もう一つ、作文の締め切りがあったこと。

で、その作文については、発刊前なので載せず、代わりに前号のを載せました。

それ(第2号)が20日に公刊され、解禁となりましたので、ここにも載せたいと思います、例によって拙いものですが。

思えば、クラブメンバーへの自己紹介を兼ねて書いたものなので、このブログをご覧の方に目新しいことはないかも知れません。でも一応ご報告ということで・・・(一部修正あり)


【 六十年ぶりの小学校体験記

  私はどうやら楽天家の呑気者のようです。世間の人を知るにつけ、次第に自分のことをそう思うようになりました。
  例えば、昔、子どもの頃、こんなことを思いました。

「人の寿命はなんで六〜七十なんだろう、世界には百二十ぐらいまで生きる人がいるというのに。もしかしたら、人はそのくらいの年齢で老いて死ぬものだという思い込みがあるからじゃないだろうか。思い込みがなければ百二十ぐらいまで生きられるのでは?人の寿命はそのくらいあるのでは?」

  そんなことを考えました。そして、「自分は、老いることは考えず、ただ黙々と生きてみよう。想定寿命は百二十年」と思ったのでした。
  決して本気ではないのですが、そういういたずら心で生きてきました。

  やがて還暦とやらを迎えましたが、たかが六十ですからね、潜在寿命の半分にしかすぎません。人生の折り返し点、後半戦の始まり。気持ち新たに再出発!

   そう思った矢先、思わぬ事態が。前立腺ガンが発覚。発見の遅れから‪一時‬は死を覚悟したこともありました。一月半の放射線治療をきっかけに、長年の稼業学習塾も畳みました。

  生身ですからそんなこともありましたが、意外と経過がよく、機能がなくなったのは前立腺だけ。後半戦はそれなしでスッキリ。

  元気は余っているし小遣いも足りないので稼業を復活したいのですが、孫の送迎等もあって、夜の仕事の再開は億劫。どうしたものかと思っていたところ、学校が補助員という午前中の半日仕事を募集していることを知りました。

  応募したところ幸い欠員校があり、早速採用してもらいました。

  最初の赴任校M小学校では、一年生と三年生の教室でお勉強のお手伝いをすることに。業間休みという一〇分長い休み時間には校庭で持久走。三年生に混じってトラック三周などもよくしました。

  時に齢七十。世間では古希なんて言いますが、後半戦の十歳ですから、小学三年生の教室体験は、正にぴったりでした。

  一年余勤務の後、自宅に近いN小に転勤となりました。そこでは五年生のクラスに配置され、翌年は一緒に進級して六年生のクラスとなりました。

  低学年と違った難しさと面白さがありました。なによりも、後半戦の十二歳で六年生と半日をともに過ごすのです。自分の仮想人生とあまりにも符合しているので我ながらびっくり。

  さて、前置きが長くなりましたが、六十年ぶりの小学校体験談を少々ご報告いたします。

  まず最初の感想は、気持ちの良い世界だということでした。先生方が、折に触れ、正しいマナーを教えようと努めているのです。思えば当たり前のことかも知れませんが、大人の世界が、モリだのカケだの…あまりにも筋の通らないことが横行していたので、清々しさを感じました。

  次に感じたことは、幼い子どもたちを集団生活に慣らしていく巧さです。発達がまちまちですから、個々に配慮して、それを子どもたちにも納得させながら、座って授業を聴く学校生活の基本を徐々に浸透させます。プロだなあと思いました。

  高学年は、集団教育には馴染んではいますが、個々のこだわりは強くなり、思春期・反抗期の芽生えもありますから、それなりの難しさがあります。しかし、二十代、三十代の若い先生が、褒めたり笑わせたり、時に厳しく叱ったりしながら、体罰なしで、言葉で上手に誘導しているのです。何かトラブルがあると「人に優しく、自分に正しくしてますか」と注意喚起します。素晴らしい行動指針ですよね、この言葉は。

  私が直接関わった先生がたまたま卓越していたのかも知れませんが、そもそも学校というところは学力だけをつけるところではありません。集団生活を通じて社会生活のルールを教えるところでもありますから、その辺のスキルは高いものがありますね。感心しました。

  「オー、小学校は健全に営まれているなあ」というのが私の率直な感想です。

  ではすべてが順調かというとそうも言えません。学習指導には課題を感じます。教室運営はチームプレーですが、勉強は個人プレーです。

   興味・関心、知識や考え方、意欲や注意力、記憶力など、もともと個人差があります。こうした個人差を減らして知識や思考力を平均化することが学習指導の目標ではないはずです。各人をそれなりに伸ばさなければなりません。

   その辺のきめ細かな対応となると課題を感じますが、これは学校現場というより、根本的には、これを統括する文科省や、さらに社会の課題と言えましょう。ですからここでは深追いしません。

  ところで我が仮想人生は早くも六年生まで来てしまいました。来春は中学進学?M小、N小ときたので次はO中?慣れたところでN小残留も悪くないけどなあ・・・ 】

以上です。


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