ようやく夏が終わりましたね! [身の周りのこと]
どうやら2020猛暑の夏も終わったようですね。めっきり涼しくなりました。
しばらく写真を上げている間がなかったのですが、少し時間があったので、スマホ写真をブログアップ用に用意しました。大した写真もないのですが・・・
まずは9月11日
この頃は毎日積乱雲がモクモク湧いていて、いつゲリラ豪雨に襲われるか油断できませんでした。
大坂なおみさん快挙の記念写真。テレビ画面(多分TBS)から拝借、お許しを。
例の隣地私道に越境した雑木。必ずしも私の守備範囲ではないんですけど、この家の住民が身体に障がいがあるものですから、私がやってます。6月頃一度きれいに刈ったのですが、7月が雨続き、8月が猛暑でこんなになってしまいました。涼しくなったので刈り始めました。やりすぎると体が伸びるので、予め用意した1.2mの紐に一縛り分、刈りました。
お彼岸が近いので墓参り。コスモス、百日草など季節の花と定番の菊を。あとカーネーション。
また、一縛り分。
19日運動会がありました。密を避けて二学年ずつ各45分という縮小バージョンでしたが、保護者にとっても、児童にとっても、良い思い出となる運動会だったのでは?途中短時間雨に降られましたが、テントが用意してあったので、ビショになることはなかったと思います。先生方の工夫と努力に拍手!
21日、また一縛りしたのですが、こんなカエルさんが木の葉に鎮座してました。白い雨蛙?
この日、写真はないのですが、中学の同級会のやり方を決断しました。12月の第一日曜日に予定されている同級会の幹事になっているのですが、コロナ禍ですからね、どうしたものかと思案していました。飲み食い&歓談は一番感染の可能性が高いですからね、しかもみな高齢者。いつまで延期すれば良いのか先も見えません。
どう決めたかというと、寒くなる前の10月末の日曜日、武蔵丘陵森林公園を散策して、ベンチでお弁当を食べる、つまり遠足ですね。これをやるのはどうかと。悪くないねということで決定。連絡は電話とショートメールで。
22日、また一縛り。
23日、理科室の廊下の掲示をパチリ。
世の中にはこんな職業があるんだよ。君はどんな仕事に興味がある?
という将来に眼を向けさせようという意義深い掲示物。
我が家は今、居間で、親戚からもらったスズムシを飼っているのです。それが良い音を奏でるのです。
チリリリリリーチリリリリリーチリリリリリー
優しい音色で若干抑揚もあるのです。
証拠写真です、飼っているという。
窓の外ではエンマコオロギが鳴いています。似たような音なのですが、スズムシほどの好感度はありません。なにが違うのか・・・?
「ヂリリリリリ、ヂリリリリリ、ヂリリリリリ」音がぶっきら棒に切れるんですね。まあ、人間の好みに過ぎませんがね。
ところで、ファルコ84さんのブログに依りますと、虫の音を、日本人は声を聞くのと同じように左脳で聴くのだそうです。他の多くの民族は機械音として右脳で聴くとのこと。
この違いってなんなのだろうと考えてみたのです。で、思ったのは、日本語は子音の後に母音が付いて、又は母音だけで一音節なんです。必ず母音が付いているんです。音に興味を持った時に、それを日本語で表そうとすると、これらの母音の付いた音に置き換えなければなりません。音のままから、かなり様式化された日本語の音に変える作業が、左脳の働きによるのではないかと。
一方、英語などでは、子音だけの音がざらにありますから、物音を子音の連続に変えればいいわけですから、右脳で処理できてしまうのでは?
なんて考えました。
「あれマツムシが鳴いている、チンチロチンチロチンチロリン」
高度に様式化されてますよね。日本人は日本語を習得し始める段階から、高度に様式化されるんでしょうね。その結果が、「悪いことをしても、それがエライ人なら咎めない」なんてお行儀の良さ?に繋がってしまうのでしょうか?
などと余分なことにも思いが及びましたが、虫の音に戻ると、言語中枢の左脳で虫の声として捉えても、それに心地良さを感じると、音楽として、右脳でも鑑賞するのでしょうね、きっと。
以上、理屈を並べてみましたが、脳生理学の知識に詳しいわけではありません。独断と偏見でした。
しばらく写真を上げている間がなかったのですが、少し時間があったので、スマホ写真をブログアップ用に用意しました。大した写真もないのですが・・・
まずは9月11日
この頃は毎日積乱雲がモクモク湧いていて、いつゲリラ豪雨に襲われるか油断できませんでした。
大坂なおみさん快挙の記念写真。テレビ画面(多分TBS)から拝借、お許しを。
例の隣地私道に越境した雑木。必ずしも私の守備範囲ではないんですけど、この家の住民が身体に障がいがあるものですから、私がやってます。6月頃一度きれいに刈ったのですが、7月が雨続き、8月が猛暑でこんなになってしまいました。涼しくなったので刈り始めました。やりすぎると体が伸びるので、予め用意した1.2mの紐に一縛り分、刈りました。
お彼岸が近いので墓参り。コスモス、百日草など季節の花と定番の菊を。あとカーネーション。
また、一縛り分。
19日運動会がありました。密を避けて二学年ずつ各45分という縮小バージョンでしたが、保護者にとっても、児童にとっても、良い思い出となる運動会だったのでは?途中短時間雨に降られましたが、テントが用意してあったので、ビショになることはなかったと思います。先生方の工夫と努力に拍手!
21日、また一縛りしたのですが、こんなカエルさんが木の葉に鎮座してました。白い雨蛙?
この日、写真はないのですが、中学の同級会のやり方を決断しました。12月の第一日曜日に予定されている同級会の幹事になっているのですが、コロナ禍ですからね、どうしたものかと思案していました。飲み食い&歓談は一番感染の可能性が高いですからね、しかもみな高齢者。いつまで延期すれば良いのか先も見えません。
どう決めたかというと、寒くなる前の10月末の日曜日、武蔵丘陵森林公園を散策して、ベンチでお弁当を食べる、つまり遠足ですね。これをやるのはどうかと。悪くないねということで決定。連絡は電話とショートメールで。
22日、また一縛り。
23日、理科室の廊下の掲示をパチリ。
世の中にはこんな職業があるんだよ。君はどんな仕事に興味がある?
という将来に眼を向けさせようという意義深い掲示物。
我が家は今、居間で、親戚からもらったスズムシを飼っているのです。それが良い音を奏でるのです。
チリリリリリーチリリリリリーチリリリリリー
優しい音色で若干抑揚もあるのです。
証拠写真です、飼っているという。
窓の外ではエンマコオロギが鳴いています。似たような音なのですが、スズムシほどの好感度はありません。なにが違うのか・・・?
「ヂリリリリリ、ヂリリリリリ、ヂリリリリリ」音がぶっきら棒に切れるんですね。まあ、人間の好みに過ぎませんがね。
ところで、ファルコ84さんのブログに依りますと、虫の音を、日本人は声を聞くのと同じように左脳で聴くのだそうです。他の多くの民族は機械音として右脳で聴くとのこと。
この違いってなんなのだろうと考えてみたのです。で、思ったのは、日本語は子音の後に母音が付いて、又は母音だけで一音節なんです。必ず母音が付いているんです。音に興味を持った時に、それを日本語で表そうとすると、これらの母音の付いた音に置き換えなければなりません。音のままから、かなり様式化された日本語の音に変える作業が、左脳の働きによるのではないかと。
一方、英語などでは、子音だけの音がざらにありますから、物音を子音の連続に変えればいいわけですから、右脳で処理できてしまうのでは?
なんて考えました。
「あれマツムシが鳴いている、チンチロチンチロチンチロリン」
高度に様式化されてますよね。日本人は日本語を習得し始める段階から、高度に様式化されるんでしょうね。その結果が、「悪いことをしても、それがエライ人なら咎めない」なんてお行儀の良さ?に繋がってしまうのでしょうか?
などと余分なことにも思いが及びましたが、虫の音に戻ると、言語中枢の左脳で虫の声として捉えても、それに心地良さを感じると、音楽として、右脳でも鑑賞するのでしょうね、きっと。
以上、理屈を並べてみましたが、脳生理学の知識に詳しいわけではありません。独断と偏見でした。