SSブログ

人口減少について思うこと [日本考]


アベ政権の支持率がいよいよ下がってきましたねぇ。それにしてもまだ40%ぐらいあるそうで「おやまあ!」なのですが、グラついてはきました。

でも来年はオリンピックイヤーですから、その騒ぎで夏まではこのまま行ってしまいそう…というのが大方の見方のようです。

しかし、スポーツと政治はまったく分野というか次元の違うことですから、オリンピックはオリンピックで抜かりなく開催国の責任を果たしつつ、政治は政治でしっかりより良い道を、一刻の猶予もなく選択したいものです。

スポーツのイベントは一時的、こちらは今の生活と日本の将来に関わる遥かに重大なことですから、混同しないで参りましょう。

さて、今日の話題は日本の人口減についてです。

厚生労働省は7日、1人の女性が生涯に産む子どもの数にあたる合計特殊出生率が、2018年には1.42となり、前年から0.01ポイント下がったと発表しました。低下は3年連続。出生数も3年連続の右肩下がりで、100万人割れとなったそうです。

人口減は速度を増し、出生数と死亡数の差である人口の自然減が18年は44万4085人となったとのこと。

人口は増えればいいってものではありませんが、こう顕著に減ってくると、先が心配になります。

厚労省の担当者は「深刻な影響ではないが、注視していきたい」と述べたそうですが、今すぐには深刻な影響がなくても、先々のことを考えれば、明らかに日本社会にとって重大な影響が考えられます。

日経新聞は「出生数の低下が止まらない理由は主に2つある。人口減少と出産年齢の高止まりだ。25~39歳の女性人口は1年間で2.5%減った。第1子の出産年齢は30.7歳で過去最高水準にある」と指摘しています。

これはまったくそのとおりなのですが、数字上の解説をしても何の役にも立ちません。

問題は合計特殊出生率の低下です。内閣府のホームページによりますと

【 合計特殊出生率をみると、第1次ベビーブーム期には4.3を超えていたが、1950(昭和25)年以降急激に低下した。その後、第2次ベビーブーム期を含め、ほぼ2.1台で推移していたが、1975年に2.0を下回ってから再び低下傾向となった。1989(昭和64、平成元)年にはそれまで最低であった1966(昭和41)年(丙午:ひのえうま)の数値を下回る1.57を記録し、さらに、2005(平成17)年には過去最低である1.26まで落ち込んだ。】

もう、4、50年も前からの問題なのです。それを未だに「深刻な影響ではないが、注視していきたい」などと悠長に構えているお役人の気が知れません。

なぜこうまで問題意識が薄いかと言うと、それは日本の政治・行政がアメリカ主導で動いているからです。政界官界は、かつてはアメリカからの年次改革要望書、現在はアメリカとの合同委員会で提起されることを政治や行政の課題としているように見受けられます。

日本の人口が減りつつあることは、アメリカにとって何ら影響のあることではありません。だから、何の要望も問題提起もないのです。しかし、日本の社会にとっては、たいへん重大な問題なのです、半世紀も前から。

さすがに最近は子育てと女性の社会参加の両立の難しさが意識され、幼児教育の無償化や待機児童をなくす方策が採られるようになりましたが、動きが遅すぎますよね。

子育てにおける女性の負担は未だに多すぎると思います。保護者の会とかPTAとかとなると、やはり母親が中心です。育児休暇を取るのも男性より女性のほうが圧倒的に多いのです。職場や学校などの社会通念の変革には時間がかかるのです。

こうした子育ての面倒という問題もありますが、子どもを持つことそのものが厭われているような気もします、最近は。

子どもを持つと喜びよりも苦労が多くなるという認識が増えつつあるのでは?
かつては、子どもを持つのは当たり前のことで、子孫繁栄の度合いがその人の幸福の尺度でもあったのではないかと思います。

今は個人主義の時代ですから、そこまで遺伝子重視の人生観を薦めても説得力は多分ないでしょう。ですが、新しい命を誕生させると、不確定で様々な可能性を秘めた人生に向かって進んでいく子の成長を見守り応援することになります。これは、人として生まれてきたものにとって、やはり大きな楽しみの一つではないでしょうか。

こういう人生観を語り合うことも大事かと思います。今はあまりにも刹那主義に陥ってはいないでしょうか。今の自分の思い切りの幸せにこだわり過ぎてはいないでしょうか。

先に立つ政治家の手本が正にこれですよね。アメリカの大統領たる者が、アメリカの利益ばかりを口にしています。なぜそうするかと言えば、自分が大統領として再選されるためです。大統領になって何をしているかと言えば、また自分が大統領をなることをしているのです。頭には、今の自分しかないのです。

日本のアベ総理もそうです。国会も、民主主義も、言葉の論理も、現にある憲法もどうでもいいのです。自分が総理の座にあって自分の思い通りの政治をすることだけが大事なのです。

自分の人生に花を咲かせることばかり考える人生観では、手間暇のかかる子育てなどしないほうがマシという結論が容易に出てきてしまいます。

そういう人生観の問題の他に、社会に魅力があるかどうかという問題もあろうかと思います。明日の社会が安心して楽しく暮らせそうな社会なら、たくさん子どもを産みたくもなるでしょうが、生きるのが辛かったり、理不尽なことがたくさん起こったりしそうな社会では、子どもを残す気は薄れるでしょう。

若い人たちが、安心して、喜んで子どもを産みたくなるような社会にしようとする努力も必要です。

こういう議論をし、実践するようにならないと、少子化の問題は少しも改善されないでしょう。

子どもが減ってきた、年寄りが40パーセントになった、誰が年寄りを支えるのか?そんな現象の解決策に頭を悩ますよりは、そうならないようにすることに頭を使うべきではないでしょうか。

この問題についてはそんな風に考えます。少し長くなり失礼しました。本日は以上です。




nice!(14)  コメント(12) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。