SSブログ

安倍元総理の「国葬」を見て [時事問題]

前の記事には早速多数のコメントをいただきありがとうございました。まだ、お返しも書いてなく申し訳ありません。

ところで今日は、昨日行われた安倍総理の国葬について感想を書きます。冷やかしや皮肉もありますので、途中で腹を立てないように予めお断りしておきます。

昨日は、エリザベス女王の国葬とは比べものになりませんが、日本の葬儀らしくしめやかに、また、国費を使ってますから壮大に行われましたね。

岸田総理や菅前総理のお別れの言葉を聴いていますと、安倍さんの人柄が忍ばれましたね。一言で言えばたいへん人間性の立派な方でした。周囲の政治家並びに支持者の心をしっかり掴んでいた方でした。

そのような方が突如亡くなられたのですから、喪失感も大きく、これは国葬を執り行おうという気になるのも自然の流れと理解できます。

しかし、国民の6割が反対していることと、この安倍氏に対する追悼の思いをどう統合すればよいのか?それもはっきりしてましたね。

安倍一家と彼を慕っていた人たちが、できるだけ壮大にお別れ会をすれば良かっただけですよ。それに自民党がどれだけ賛同するかは自民党の問題だし、政府がどれだけ関与するかは内閣が決めればよかったのです。しかし、内閣が関わるとなると、税金が使われますからね。やはり国会に諮るべきでしたね。

いずれにしても、安倍一家とそれらの合同お別れ会でしたね。

どなたが亡くなられても、親しい人にとってはたいへん悲しい出来事です。思いを込めて、できるだけ盛大に送ってあげたい。そういう個人的な思いと、どういう範囲で、どういう形で送ってあげるかは、これ、誰が考えても別問題です。

岸田さんたちにとっては【自分達のたいへん頼りになる魅力的な人が亡くなられた】=【お国にとっても大問題のはずだ】=【できるだけ壮大に国を挙げて見送ろう】なんですよね。「説明不足で申し訳なかった」とか言ってますけど、説明すればこういうことなんですよね。

こういう発想は大問題ですよね。
まず、民主主義の根幹をまったく理解していない。意見の近い人が政党を作り国会で審議して政策が決まるのです。一政党の一グループの政策が国をよくすると決まったわけではないのです。

安倍さんは政治家ですからね。支持する人がいれば支持しない人もいる。自民党の中心派閥かも知れないけれど、その政策を実行することが日本の為になる、日本をよくすることではありませんからね。そういうことは十分な議論を通して、あるいは歴史家の検証を待って決まることですからね。

そういう発想は一切なく【我が党の信頼できる魅力的なリーダーが亡くなった、それ、お国の大問題だ】と直結してしまうのは、そもそも自民党が、国政を、内閣を私物化していることの現れなんですね。

国政の最高機関と言われている国会すら、眼中にないのです。この集団は、もはや日本を自分達の考えで支配しようとしている人たちの集まりに過ぎません。どうすれば人々の希望を叶え、もっと住み好い社会になるか、そこに貢献しよう、奉仕しようという心掛けを持ち合わせていない人たちなんですね。

この国葬の一件だけを見ても、なんとなく頼りにしてきた自民党に見切りをつけなければいけない時期に来ていると思わざるを得ませんね!
nice!(15)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。