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闘病記を振り返る [日本考]


今日は自分のブログを少し振り返ってみます。

というのは「日本の政治と地球の未来」がテーマで、主に日本の政治のよろしくないところを話題にして書いてきました。それが急に闘病記に変わりました。

7月10日の記事からですね。

既にあちこちに転移していて、手術も放射線治療もできない食道癌であることが告げられました。胸水を取ったり、痛み止めを処方したり苦痛は緩和することはできても、病巣を取り除くことはできないから、長くないことを覚悟した方が良いと言われました。

「そうか、ヤバイな」と思いましたよ。そう宣告されると「そうか、オレの寿命もそんなものだったか。ま、あり得ることだよね。死なない人間はいないんだからな。自分らしく死ねればいいさ!」と思いましたよ。

さて、自分らしくとはなんだ?自分は日本社会の間違いを指摘し、この社会を少しでも良い社会にして次世代にバトンタッチしたいものだと結構真面目に考えて生きてきたのでした。つまり、このブログに思いを託してきたのでした。

余命が短いとなると、短期間に同世代や次世代の方々に伝えるメッセージを極めなければいけない。身体は先生や看護師さんに任せて、頭はそればかり考えてました。

まず書いたのが霊感商法に嵌まる人たちへのメッセージです。「地獄に落ちるだの、サタンだの前世だの来世だの、実際には誰も見たことのない創り話に騙されてはいけないよ」ということでした。

「一人に一つずつ頭と五感が着いているのだから、それを頼りにしっかり生きよ。人に操られて生きるものではないぜ!」

日本の政治については、戦後の保守政治はずっと宗主国(戦勝国)に認められ、国民からの反発を招かないようにすることに専念してきました。その結果、独立国として国際社会でどのような役割を果たすかという、国家戦略を全く持っていません。

戦後何年経っても、アメリカに追随するばかりです。日本人の多くは戦争に、空襲に、沖縄の地上戦に、原子爆弾に懲りたはずです。憲法の平和主義は、決してアメリカに押し付けられたものではありません。

国際紛争を解決する手段として戦争に訴えることが愚かなことは自明の理です。これを国是にすれば、やがて多くの国が日本についてくるでしょう。

しかし、こういう国家戦略は、一顧だにされません。

そんな戦後政治の方向違いも指摘しました。

話変わって、小学校の算数教育です。先生の教えることが子どもたちに伝わるようお手伝いはしてきましたが、低学年から高学年まで、考え方の解説に割く時間が余りにも多いのです。式と答えが合っていればそれで良いと思うのですが、お勧めの考え方を全員に徹底させるのです。

学力に個人差があるのは仕方のないことなので、できる子にはどんどんレベルの高い問題に取り組んでもらった方が良いのではないかと思っていました。そうしないと、公立と私立の差がつき過ぎてしまうのではないかと。そのことも書いておきたかったのです。

次は今を生きる問題として、コロナ対策があります。それから地球温暖化に由来すると思われる気象災害の激烈化の問題があります。政治の仕組みが災いして、こうした問題への対応が後手にならないように、真剣に取り組んでもらいたいとの願いも書きました。

続いて書いたのが

【 社会を見る目、時代を見る目が甘かったことに気づきました。

まず、見る目ではなく「診る眼」でなければいけない。
世の中、時の流れと共に少しずつ良くなっているような気がしていますが、まずそれはまったく根拠のない思い込みにすぎません。

キーワードは「支配」です。いつの時代もある層の人たちが、その社会を支配しているのです。支配に善意はありません。貢献している風を装って、支配しているのです。】

政治家を、みな偉い人、国の指導者と思ってはいけません。社会を支配したくて、支配者になるべく振る舞って、政権与党に名を連ねている人が多いのです。

社会を支配したがっているのか、社会に貢献しようとしているのか、そこを見抜く眼を持たなければいけない。そういう「診る眼」を持とうというメッセージを書きました。

そういう眼で診てみると、どんな怪しい宗教団体でも、票に結びつくとなれば、陰で手を結んでしまう、こんなグループは、もう明らかに「社会の支配」を狙っている、排除すべきグループということになります。

命あるうちに、日本の社会について大慌てで考えたこととして、そんなことを書いてきました。

病状の経緯についても簡単に振り返り、今の状況を改めて考えてみようと思ったのですが、長くなったので日を改めようと思います。


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