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オリパラと国別メダル数 & コロナ対策 [人間考]

オリパラについての感想は何度か書きました。何度も書いたのに触れなかったことがありますので触れておきます。国ごとのメダル獲得数の競争です。

オリンピック・パラリンピックは感動を呼ぶものです。人間てスゲーナー、あんなことまでできるんだ〜と、改めて人間に尊崇の念を持ちます。特にパラリンピックは、身体の不具合を克服して、使える機能をフルに活用して、素晴らしい競技力を見せてくれます。

失ったものを、あるいは不得手なことを、あれこれ悔やんだり言い訳にしたりしないで、いま持っている能力で出来ることを最大限やることが大事なんだなあと、気付かせてくれます。

オリパラはそういう基本的には優れた人類のイベントではありますが、過度に肥大化してしまって、弊害が生じているのが今の姿かと思います。

弊害といえば、国ごとのメダル獲得数の競争もその一つですね。私はこの点に触れるのをすっかり忘れていました。というのは、観戦して得る感動が「人間てスゲーナー」だからなんです。「何々人てスゲーナー」と思ったことなどありません。

つまり国籍はオリパラの良さに何ら関係ありません。どこの国が金メダルが何個で銀メダルが何個で・・・など、興味も関心もありません。

自国贔屓で、自国代表の活躍を願ったり応援したりして観戦するのはいわば当然の心理かと思いますが、そこで繰り広げられる競技の質の高さが素晴らしいのであって、結果は、競技者にとっては最重要でしょうが、観戦している者にとっては、国籍に関係なく賞賛に値するのです。

そもそもオリンピックの精神は「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」なんですから、国ごとのメダル獲得数の競争などはナンセンスです。

表彰式で、国旗の掲揚、国歌の演奏などやらなければいいのですが、選手のエントリーが主に国ごとで、選手にしてみると国を代表して晴れ舞台に登場し、他国代表と競い合うわけですから、その結果として国旗が揚がることは、さぞや嬉しいことでしょう。

これがアスリートのモチベーションを高める要素の一つになっているようですから、これを廃止することには異論もありましょう。

要は、観る者や送り出す国が、競技結果としてのメダルの数にこだわることを程々にするか、夢中になるかということです。ムキになればなるほど、オリンピックの精神から外れるわけですから、いくら数が多くても少しも誇れないことになります。

素晴らしい競技がナニジンのなせる技かどうかは、終わってみると何ら関係ありません。我々と同じ人間というものが、目標を持って努力を積み重ねるとどれだけのことができるのか、心を動かすのはその一点です。

各国のメダルの数は、人口とか経済力とか、オリンピックの精神に反する国のこだわりとかに依るものです?から、何ら、国や民族の偉大さを示すものではありません。こだわる国があるとすれば、オリンピックの精神を理解しない、精神的に貧しい国だということです。

コロナ流行の折、開催したことに民意が反映されたのか否かについては、そもそも、誘致の段階で民意が問われたならば大反対しましたが、問われることも議論することもなく、活動して誘致してしまったのです。

誘致した以上、ほぼ無観客で、大規模感染もなく、暑さも何とか凌いで、幸い地震も起こらず出来たことは、結果としては悪くなかったのだと思います。

それにしても、この開催に神経を使い過ぎて、保健行政の強化や、臨時の治療施設の設置などが進まず、8月に自宅放置者を大勢死なせたことの政治責任は大きいですよね。

これは問われ続けますよね。今も油断なく、コロナ対策を続けなければ、次の波でまた大変なことになりますよね。

しっかりしろよ、ジコウ政権さん、各地の自治体さん!

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