国(家)対個人ではないぞ、共同体こそ大事だよ〜
今日は病院の付き添いで7時間もかかってしまいました。隣家の身障者の世話で定期的なことなので、心配を要することではありません。
9時に行って、
待合室で延々待ってました。
こんなに待たせるようでは、ここは病院じゃないな、人の命や健康のことなど心配してくれるところじゃないなと思っちゃいました。設備はなかなかいい病院なのに
残念だなぁと。
一時半ころ、ようやく、電光板に番号が載りました。
それでも、いざ順番がきて先生に会ってみると、誠実そうな人なので、嫌味の一つも言わず、これも仕方がないのかと、その後アレンジされた検査等もおとなしく待って受けて、いや受けさせてきました。
さて、今宵載せたいことは、病院の待ち時間に打ちました。次のことです。
アベ政治は唐突。自民党の改憲草案は荒唐無稽。余りにも現行憲法と違いすぎる。保守政治ではない急進的変革。参院選、与党の勝利で政治が安定するのではなく、かえって混乱しそう。
とにかく今の日本は異常です。
異常の元は何なのか?
独特の独裁政治をして見せた小泉内閣の申し子として、岸信介の思い実現という野望を持った安倍晋三が登場したことが主たる原因だが、その手法・政策がこうまで功を奏してしまう時代背景、世相にも原因があることに思いが至った。
両者が水魚のごとく交わってしまったのだ。
社会が虚をつかれた。虚ろな部分があったのだ。参院選の投票日が近づいた頃、ようやくそれに気がついた。
市の選挙管理委員会に、「貴重な一票を大切にしましょう」の呼びかけは可笑しいだろうと電話した時に、ふと思いついたのだ。
再録します、一部省略して。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「公示期間中に…放送している件ですが、毎回同じことを流していたのでは耳にタコができてしまって、アナウンスの効果が少ないんじゃないですか、斬新なのを考えてやってくれませんか」
「…ご意見として承っておきます」
「それから、貴重な一票を大切にしましょうという文言…貴重だから大切にしろというのは…同義反復で、ちゃんと伝わりませんよ。…選挙権があるということは貴重なことだと伝えたいなら、そう言えばいいじゃないですか?女性の参政権は1945年…戦争に負けて初めて得られたのですから、大変貴重ですよ。
それからその貴重な一票を大切にしましょうとは…選挙に行って投票しようということではないのですか?だったらそう言ってくださいよ」
「イエ、それは言えないんです。投票所に行って一票入れるかどうかは、個人の自由なんです。大事な一票ということを頭に入れて、各自が自由に考えて、棄権も含めて判断してくれればいいのです」
「あっそうなんですか、低投票率で国政が決まることは残念なことだから、一人でも多くの人に投票所に行ってもらいたいということではなかったんですか」
「投票に行くべきだということは言えないのです。棄権する権利もある訳ですから」
電話していて嫌になりました。…投票率を上げるためにやっているのかと思いきや、選挙委員会がお体裁でやっているだけだった。どうりで意味のないワンパターンを毎回飽きずに繰り返し流していた訳だ。
制度疲労というか、あちこちの人間が、惰性で仕事らしきことをやっているだけ、公務員疲労が起きちゃっているんですね。この問題は、改めて考え直してみますよ、大問題ですよ!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この時に、余りにもハートが感じられないことが、私を考えさせた。心のない人が多くなった。
政党人も、ジャーナリストも、みな、話せばある程度、話は通じる。そんな場合、それは俗に言う温度差だと思っていた。何事も人によって重要性のランキングが違うことはやむを得ないことだから、仕方のないことと思ってほとんど問題にしていなかった。
しかし、どうやらこれは社会現象のようなのだ。どうも、個人の考え対、国の方針という捉え方になってしまっているようだ。個人の考えは思想信条、表現の自由があるからそれぞれに結構だが、国の方針となると、公的機関で決めていることだから、尊重せざるを得ない。自分の考えはそれなりにあっても、国の方針と対立する場合は、遠慮せざるを得ない。それが正しいマナーだと心得ているように思える。
こんな人が、どこの職場でも多いのではないだろうか。
どこに問題があるかと言えば、国(家)と個人の間に、社会が、共同体がすっかり抜け落ちてしまっている点だ。
国は所定の手続きで営まれる表向きの組織だ。日本は三権分立と言われ、立法府は時の衆参議長、行政は時の内閣総理大臣、裁判所は時の最高裁長官を筆頭とする組織体だ。
しかし、それとは別に、日本列島に住む人々が作っている共同社会があるではないか。そこにはそこで、暗黙の了解事項がある。世間の常識というものもある。それは架空の存在ではなくて、実在する確かなものであった。隣組であり、学校の保護者会であり、同窓会同期会、趣味の会、同業者の会、学会、医師会、飲み仲間の会・・・様々な人の集まりを包含する日本の社会があるではないか。
その社会をリードする役割が政界だが、その方法を定めたものが日本国憲法であり、その骨子は「主権在民、平和主義、基本的人権の尊重」というものであった。当然、そういう憲法は尊重して国という組織も運営されることになっていた。こうしたルールを、強制力はないものの、報道の力で守らせていたのが報道機関である。
政治が社会通念に違反すれば、それは可笑しい、受入れられないと、国の逸脱を補正する役割を持っていた。
この度のアベ政権のやり方は、まず報道機関を弱体化させることから始めた。報道機関から政策を補正する力を奪ってしまった。
それでも、共同体としての社会はあり、そこには社会通念もあれば常識もあるのだ。主張する機関が弱っただけだ。
ところがどうだろう、人々の心の中が変わってしまったような気がする。あるのは自分という個人と、国(家)という組織体だ。自分は私事であり、国は公だ。正義は公にあり、私事にはない。
こんな発想が、いつの間にか横行してしまったような気がする。
私個人が属するのは、国(家)ではない。生まれ育った社会である。社会を便宜上統一して営むのが国であるに過ぎない。社会通念に照らして、世間の常識から見て、国のやり方がおかしければ、これは諌めなければならない。それは、私事ではなく、社会正義なのだ。
憲法学者の小林節氏が、アベの安保法制を違憲と断じて、「国民怒りの声」という新党を立ち上げたが、為政者の憲法違反は私事・私見の問題ではないのだ。社会の怒りの声なのだ。
そういう社会正義の源となる「社会」という意識が、すっかり薄れてしまったのだ。
新聞社は、テレビ局は、そこに勤める人たちは、胸に手を当てて、よくよく考えるがよい。あなた方が忠誠を誓うべきなのは、時の政府ではない。日本人が生まれ育っている、日本人が共に働き助け合っている、日本人が安全で平和な暮らしを望んでいる、この社会なのだ。
その社会が覆えされそうになっていると感じて、選挙で選ばれた人たちのやることだからと、尻込みするようでは、もはや存在価値がない。既に国家主義に毒されてしまっているのだ、愚かにも!
国(家)と違う、我々が帰属する社会があるのだ。それを大事にすることが、報道機関の使命なのだ。マスゴミではない、マスコミがまだまだ必要なのだ。
まだよく推敲もしていない文章をお読みいただきありがとうございます。
依然推敲はできていませんが、病院の写真を添付しました。
9時に行って、
待合室で延々待ってました。
こんなに待たせるようでは、ここは病院じゃないな、人の命や健康のことなど心配してくれるところじゃないなと思っちゃいました。設備はなかなかいい病院なのに
残念だなぁと。
一時半ころ、ようやく、電光板に番号が載りました。
それでも、いざ順番がきて先生に会ってみると、誠実そうな人なので、嫌味の一つも言わず、これも仕方がないのかと、その後アレンジされた検査等もおとなしく待って受けて、いや受けさせてきました。
さて、今宵載せたいことは、病院の待ち時間に打ちました。次のことです。
アベ政治は唐突。自民党の改憲草案は荒唐無稽。余りにも現行憲法と違いすぎる。保守政治ではない急進的変革。参院選、与党の勝利で政治が安定するのではなく、かえって混乱しそう。
とにかく今の日本は異常です。
異常の元は何なのか?
独特の独裁政治をして見せた小泉内閣の申し子として、岸信介の思い実現という野望を持った安倍晋三が登場したことが主たる原因だが、その手法・政策がこうまで功を奏してしまう時代背景、世相にも原因があることに思いが至った。
両者が水魚のごとく交わってしまったのだ。
社会が虚をつかれた。虚ろな部分があったのだ。参院選の投票日が近づいた頃、ようやくそれに気がついた。
市の選挙管理委員会に、「貴重な一票を大切にしましょう」の呼びかけは可笑しいだろうと電話した時に、ふと思いついたのだ。
再録します、一部省略して。
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「公示期間中に…放送している件ですが、毎回同じことを流していたのでは耳にタコができてしまって、アナウンスの効果が少ないんじゃないですか、斬新なのを考えてやってくれませんか」
「…ご意見として承っておきます」
「それから、貴重な一票を大切にしましょうという文言…貴重だから大切にしろというのは…同義反復で、ちゃんと伝わりませんよ。…選挙権があるということは貴重なことだと伝えたいなら、そう言えばいいじゃないですか?女性の参政権は1945年…戦争に負けて初めて得られたのですから、大変貴重ですよ。
それからその貴重な一票を大切にしましょうとは…選挙に行って投票しようということではないのですか?だったらそう言ってくださいよ」
「イエ、それは言えないんです。投票所に行って一票入れるかどうかは、個人の自由なんです。大事な一票ということを頭に入れて、各自が自由に考えて、棄権も含めて判断してくれればいいのです」
「あっそうなんですか、低投票率で国政が決まることは残念なことだから、一人でも多くの人に投票所に行ってもらいたいということではなかったんですか」
「投票に行くべきだということは言えないのです。棄権する権利もある訳ですから」
電話していて嫌になりました。…投票率を上げるためにやっているのかと思いきや、選挙委員会がお体裁でやっているだけだった。どうりで意味のないワンパターンを毎回飽きずに繰り返し流していた訳だ。
制度疲労というか、あちこちの人間が、惰性で仕事らしきことをやっているだけ、公務員疲労が起きちゃっているんですね。この問題は、改めて考え直してみますよ、大問題ですよ!
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この時に、余りにもハートが感じられないことが、私を考えさせた。心のない人が多くなった。
政党人も、ジャーナリストも、みな、話せばある程度、話は通じる。そんな場合、それは俗に言う温度差だと思っていた。何事も人によって重要性のランキングが違うことはやむを得ないことだから、仕方のないことと思ってほとんど問題にしていなかった。
しかし、どうやらこれは社会現象のようなのだ。どうも、個人の考え対、国の方針という捉え方になってしまっているようだ。個人の考えは思想信条、表現の自由があるからそれぞれに結構だが、国の方針となると、公的機関で決めていることだから、尊重せざるを得ない。自分の考えはそれなりにあっても、国の方針と対立する場合は、遠慮せざるを得ない。それが正しいマナーだと心得ているように思える。
こんな人が、どこの職場でも多いのではないだろうか。
どこに問題があるかと言えば、国(家)と個人の間に、社会が、共同体がすっかり抜け落ちてしまっている点だ。
国は所定の手続きで営まれる表向きの組織だ。日本は三権分立と言われ、立法府は時の衆参議長、行政は時の内閣総理大臣、裁判所は時の最高裁長官を筆頭とする組織体だ。
しかし、それとは別に、日本列島に住む人々が作っている共同社会があるではないか。そこにはそこで、暗黙の了解事項がある。世間の常識というものもある。それは架空の存在ではなくて、実在する確かなものであった。隣組であり、学校の保護者会であり、同窓会同期会、趣味の会、同業者の会、学会、医師会、飲み仲間の会・・・様々な人の集まりを包含する日本の社会があるではないか。
その社会をリードする役割が政界だが、その方法を定めたものが日本国憲法であり、その骨子は「主権在民、平和主義、基本的人権の尊重」というものであった。当然、そういう憲法は尊重して国という組織も運営されることになっていた。こうしたルールを、強制力はないものの、報道の力で守らせていたのが報道機関である。
政治が社会通念に違反すれば、それは可笑しい、受入れられないと、国の逸脱を補正する役割を持っていた。
この度のアベ政権のやり方は、まず報道機関を弱体化させることから始めた。報道機関から政策を補正する力を奪ってしまった。
それでも、共同体としての社会はあり、そこには社会通念もあれば常識もあるのだ。主張する機関が弱っただけだ。
ところがどうだろう、人々の心の中が変わってしまったような気がする。あるのは自分という個人と、国(家)という組織体だ。自分は私事であり、国は公だ。正義は公にあり、私事にはない。
こんな発想が、いつの間にか横行してしまったような気がする。
私個人が属するのは、国(家)ではない。生まれ育った社会である。社会を便宜上統一して営むのが国であるに過ぎない。社会通念に照らして、世間の常識から見て、国のやり方がおかしければ、これは諌めなければならない。それは、私事ではなく、社会正義なのだ。
憲法学者の小林節氏が、アベの安保法制を違憲と断じて、「国民怒りの声」という新党を立ち上げたが、為政者の憲法違反は私事・私見の問題ではないのだ。社会の怒りの声なのだ。
そういう社会正義の源となる「社会」という意識が、すっかり薄れてしまったのだ。
新聞社は、テレビ局は、そこに勤める人たちは、胸に手を当てて、よくよく考えるがよい。あなた方が忠誠を誓うべきなのは、時の政府ではない。日本人が生まれ育っている、日本人が共に働き助け合っている、日本人が安全で平和な暮らしを望んでいる、この社会なのだ。
その社会が覆えされそうになっていると感じて、選挙で選ばれた人たちのやることだからと、尻込みするようでは、もはや存在価値がない。既に国家主義に毒されてしまっているのだ、愚かにも!
国(家)と違う、我々が帰属する社会があるのだ。それを大事にすることが、報道機関の使命なのだ。マスゴミではない、マスコミがまだまだ必要なのだ。
まだよく推敲もしていない文章をお読みいただきありがとうございます。
依然推敲はできていませんが、病院の写真を添付しました。
2016-07-15 01:00
nice!(12)
コメント(12)
トラックバック(0)
そう、そういうことなのだ~、社会こそ大切なもの。。。
まとまりが付かず頭の中でモヤモヤしていたことを
しっかり言い当てていただいたような気がします。
by トックリヤシ (2016-07-15 11:53)
この期に及んでも、少数の抗議しかなく、国民的運動になかなかなりません
喜怒哀楽の激しい私には理解できないのですよ
このまま行ったらどうなるか!と
それを
>国の方針と対立する場合は、遠慮せざるを得ない
そう思う人が多くなったのでしょうか?
一般社会の付き合いの中で、こだわっているのは仲間内の事だけ
大きく、この社会の今後には話が行かないのです
報道機関の劣化は激しいです。信じられないくらい今回の参議院選挙では感じました
社会正義より、自分の安泰だけを考える人が多くなったように思います
by majyo (2016-07-15 18:18)
まったくそうですね。
報道機関は、いま、世界の論調をもっと多く、正確に伝えるべきです。
とくに、憲法問題は2/3だの国民投票うんぬんの国内問題ばかりに目先をごまかすことなく、世界の評価・動向をただしく伝えるべきです。
過日、日本人がテロの標的にされ殺された背景に何があったのかは重大な関心事で、宗教的対立の無い日本として、取るべき道にはいろいろな意見があるんだろうと思いますが、マスゴミは政権一辺倒の偏向報道ばかりではないのでしょうか?
by SUN FIRST (2016-07-15 19:22)
一部の政治家が憲法にまで手をつけ
国民を抑えつけ戦えるようにしている。
決まってしまえば従うだけです。
マスコミの力も弱まり抑止効果が期待できない。
多くの人は、日々の生活に仕事に追われ
政治を考える機会が少ないかあきらめている人すらいる。
しかし、住んでいるのは国民であり
共同体の社会です。
民意=社会をないがしろにした政治で
国民=個人を制しようとする政治が
はたして人々の幸せに結びつくのでしょうか。
まさに一部の政治家の自己満足です。
by ファルコ84 (2016-07-15 19:26)
トックリヤシさま
> しっかり言い当てていただいたような…
私もモヤモヤしていまして、ようやく今の世相の欠落部分に気がついた次第です。
by momotaro (2016-07-15 20:11)
majyo さま
喜怒哀楽の鈍い?私にも理解できないのですよ
なぜ、この社会の今後には話が行かないのか、なぜこんなに急速に報道機関が劣化してしまったのか、社会正義より、自分の安泰だけを考える人が多くなってしまったのか、
なぜ、国 対 個人だけの関係に、いつの間にかなってしまったのか?
by momotaro (2016-07-15 20:12)
SUN FIRST 様
ご賛同ありがとうございます。
> 憲法問題は・・・世界の評価・動向をただしく伝えるべきです。
それから日本がどう変わるかということも、しっかり伝えるべきです、あんな憲法に、万一なったら。
> マスゴミは政権一辺倒の偏向報道ばかり・・・?
批判的報道が本当に少なくなりましたね、それが国益だと思うように改造されました。
そして目先の国益を追求していくと、しまいには大本営発表ばかりとなり、国の大損失へと繋がっていくんですよね!
by momotaro (2016-07-15 20:35)
マスコミに就職する人たちも官僚と同じで学業成績の優秀な
人たちだからやはり長いものに巻かれることが出世につながる
ことをしっかりと認識しておられる。
そして何より、マスコミは変化を好む。ニュースになるからだ。
と指摘されたものを読んだ記憶があります。
今は、体制としてのマスコミ社会だから、不利な変化を
嫌うのでしょう。他が変化することは賞賛するけれど。
by gonntan (2016-07-15 21:11)
国民を欺く安倍政権というタイトルで安倍政権の嘘とゴマカシを感ずる意見の発表の場を設定したらどうですかね。
by SUN FIRST (2016-07-15 23:08)
ファルコ84さま
> はたして人々の幸せに結びつくのでしょうか。
人々を幸せにするというより、人々を支配したいという欲望に駆られているように見受けられます。そんな人たちに投票してはいけないと思うのですが、3分の2も入れてしまった!
by momotaro (2016-07-16 06:52)
gonntan さま
> マスコミに就職する人たちも官僚と同じで学業成績の優秀な・・・
新聞記者とか報道陣とかという職業に憧れて就職する人は減っているのでしょうか。コメンテーターに憧れてテレビ局に入る人は少ないと思いますが。
報道関係者には、国・時の政府ではなく、我々が作っている社会を大事にするという使命感を持っていて欲しいのですが・・・
by momotaro (2016-07-16 06:54)
SUN FIRST 様
ご提案ありがとうございます。
発表の場ということですが、ほとんどの方がとても立派なブログを開設されていて、それぞれに感じるところを発表されているので、そこに意見が集まることを期待するのは難しいと思います。
「安倍政治の嘘」で検索したところ、嘘を集めたホームページが多数出てきましたので、それらが参考になるかと思います。
「息を吐くように嘘をつく」と言われていますので、嘘の全部は載っていないかと思いますが。
by momotaro (2016-07-16 07:06)