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友よ、戦争をしない世界を創ろう! その9 [『友よ、戦争をしない・・・』広場]

   日本国憲法第9条について

 君は憲法9条について次のように記している。
「憲法9条では国権の発動たる戦争は放棄(1項)になっていますが、ここでいう国権とは、国家権力なのか国家の権利なのか。TBSのスタンスは…国家権力的な見方をしていて…戦争反対ということ…ですが、一方、国権を国家の権利と見ると、日本は9条で国際的に認められている権利の一つを自ら進んで放棄したということになりますが、こちらの国家の権利という観点で戦争の是非を論ずることは決して否定すべきことではなく、現実対処の一手段として必要と思うのです。」と論じておられる。
 ここでキーワードになっている「戦争が国家の権利」がそうであるのかないのか、じっくり考えてみようではないか。

 一般に、権利とは、「あることを主張することに正当性がある、行使しても罰せられない正しいこと」と受け止められる。果たして、戦争とはそのようなものなのか?一旦起これば人命を犠牲にし、財産を破壊し、地球環境を悪化させても一顧だにしない、そのような人の行なう行為に正当性が認められるのか?行なう主が国(家)ならば、それは処罰の対象にならない正しい行為なのか?
 いやいや、全然そんなことを認めることはできない、やはり蛮行・愚行ではないかと私は思う。私だけではなく世の多くの人が、おそらくそう思っているように思う。

 それなのになぜこのような議論が興るのだろうか?
 思うに、どこかの国が、たとえばAという国がBと戦争をした。その後Cとも戦争をした。今はDと戦争をしている。それなりに理由があり、だれも止めることのできない仕方のないことだ。思えば、EもFもGも…みんな戦争を体験して、生き延びてきた国々だ。だから、今ある国々はみんな戦争をする権利を持っているのだ。やっていいのだ。
 もしも、このような考えが根底にあるようなら、それは権利という言葉の使い間違いではないだろうか。権利があるとかないとか言えるのは、法が治める世界での話であろう。「それは権利のある正しいことだから行なってよろしい。それは権利のない間違ったことだからやってはいけない、もしやれば何らかの処罰を下す」と言える秩序なり強制力なりがあって初めて言えることであろう。
 今の地球に、どこかの国が戦争を始めたときに、それを言える秩序や強制力があるだろうか?残念ながら、ない。まだ不十分なのだ。だから、現状では、戦争は、現実にあることとして、受け入れるしかないのだ。つまり、あっても仕方のないことなのだ。

 あっても仕方のないことを「権利」と言ってはいけない。それはまったくの用語のミスだと私は思う。どこの学者が、研究者が、評論家が言っているのか知らないが、仕方なしにすることを権利と呼ぶことは間違いだと私は思う。(戦争をするものは、いつ何時でも裁きに応えなければなるまい。)過去しか見ないで現実主義者だと思っている人の編み出す屁理屈ではないかと思う。未来社会にあってはならないもの(なくなって欲しいもの)に、安易に「権利」の称号を与えるものではないと思うのだ。どうだろう?

 そう考えれば、日本国憲法9条は、どこの国も持っている権利を自ら放棄した無益な規定ではなく、あっても仕方のないことをあってはならないと、世界に先駆けて宣言した、たいへん潔い、人類史をリードする画期的なものと評価することができる。私はそういう解釈を選ぶ。

 綺麗ごとを言って、それで国が滅びたらどうするのかと君は心配するだろう。正に、南原繁氏の
「それだけに問題があることを又私共は考へなければならぬのであります、理想高ければ高いだけ、それだけに現実の状態を認識することが必要でございます、さうでなければこれは単なる空想に終るでございませう」という懸念に通じる。そこで南原氏が何を要求しているかと言えば、
「従って私共は此の歴史の現実を直視して、少くとも国家としての自衛権と、それに必要なる最小限度の兵備を考へると云ふことは、是は当然のことでございます」と時の総理に詰め寄っている。

 この南原氏の質疑はたいへんもっともと思えるもので、その後、警察予備軍、やがて自衛隊が創設、編成されて、無法な国の侵略に対する備えは、既に有しているのが現状だ。憲法や法の定めは、それに従うものには意味があっても、従わないものには意味がない。だから、従わないものに対する備えまで無用と言っているわけではないのだ。そういう危惧は、我が国は、とうの昔に克服しているではないか。

 無法な国の不法な侵略への対抗措置は別にして、やはり、戦争する権利など、認めるべきではないと思うのだ。このような考えは、優秀な頭脳の持ち主がクールに現状分析をしようとする熱意のあまり、生まれるのではないだろうか。あるいは、何とか戦争を肯定したい人が、過去や現在にその正当化の根拠を求めてたどり着く思考回路なのではないだろうか。
 君はおそらく前者だろうと推測している。

 情熱は、まっすぐ目的に向けたほうがいいのではないか、ということを次回(たぶん最終回)はお伝えしたい。(お伝えできたらいいなと思っています。読者の方には、いつも長いものをお読みいただき、たいへん感謝しております。)


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コメント 6

majyo

思うことは同じでも、それをどう表現するか?
本当に難しいと思っています。
理想を言っても、では相手が攻めてきたら・・・と言われると
窮してしまう事が多いのです。
情熱や理念を忘れてはいけない。それを希求すべきだと私は思っています。
その為の努力こそが為政者の勤めであり、それを支持したいと考えます
仰る通り国家としての自衛権は持つべきであり、しかし無用に誇示すべきものでもないと考えます
今回も明晰なご意見 ありがとうございました<(_ _)>
by majyo (2015-01-26 20:40) 

momotaro

「戦争をしない世界を創ろう!」がテーマなものですから、
「(戦争が)国際的に認められている権利」などと
真正面から言われると、こいつは切らねば…と
太刀を振り回したのですが、うまく切れたかなあ~?
コメントありがとうございました!
by momotaro (2015-01-26 21:59) 

SUN  FIRST

自分は、優秀な頭脳を持ち合わせてこの世に生まれ出てこられなかった人間だから、日本国憲法第9条の国権について、ここまで深く掘り下げて考えることがありませんでした。国権=国家権力で何の疑いも持ちませんでしたよ。だから、国家の権利を発動することが=自衛権、と理解してきました。
 今回の、「その9」は「何?」とか思わされました。
権利って発動するものなのですか?
 けさの朝日新聞の一面に、首相、「殖民地支配」「侵略」「お詫び」、表現継承に否定的、戦後70年談話。と、ありました。安倍首相は世界に向けて、過去の内閣の発表?してきた立場を「継承する」とおっしゃいましたが、これらの表現を否定して「継承する」ことになるのですか?
 頭のなかが混乱して、理解に苦しみます。
 国民のほとんどは頭脳明晰とは行かないでしょうが、ひとの「身体」を傷つけることはもちろん、「こころ」を傷つけることさえ不得手な人間も私の周りにたくさん居て、心中複雑なものがあります。
 無垢な一生懸命な人間がたくさんいますが、常々尊重されなければならないと思ってきました。
 ドイツはアウシュビッツ70年をどう評価し、将来をどうしようとしているのでしょうか?比べて、日本はどうなのでしょう?
 いずれにせよ、人間の生にたいして無垢で一生懸命な性質の人たちが、過去の暗黒の時代に光を灯し、その良心によって国境を越えて人類を救ってきたことは間違いないと信ずるものです。このように尊重されるべき性質のひとびとが、生まれ来て死するまで、国家権力によって人を殺傷するという過ちを繰り返し起こすことが無いよう、晩年の日々願っております。
 いまの日本の政治はバランスを失して将来のない進められ方をしているように思えてなりません。
 東日本大震災からの復興に、少子化対策に、高齢化社会対応に、教育改革?etc。
 誤魔化され、摩り替えられた政策に日本の将来に期待が持てない、悩み多き民のひとりごと・・・。

by SUN FIRST (2015-01-27 06:11) 

momotaro

SUN FIRST さま
コメントありがとうございます。
ありがたいのですが、返答に窮しています。
大半は理解できて共鳴するのですが、
肝心のところ(私に向けた「?」)がよく理解できません。
具体的には5行目の「何?」と6行目の
「権利って発動するものなのですか?」です。
「何?」については「・・・?、アラマアすみません。」
と言っても、当人謝る理由を理解していないのですから、
あまり意味がありません。権利云々については
権利って発動するものではなくて、
発動してもよいとされていることでしょう?
「戦争が国際的に認められている権利」だなんて
そんなバカなことはないだろうというのが話の趣旨だったのですが…
いろいろむずかしいものですねー
by momotaro (2015-01-27 10:57) 

SUN FIRST

国権=国家権力だと疑いの無い私には、国家権力は発動されるものであって、国家の権利は発動される(発動ということばについては指揮権の発動とか強権発動とかと権力の行使の意として使われるとの記憶はありますが、権利が発動されるという使われ方の記憶がありません)ものなのかが疑問だったのです。権利の主張ということばは理解します。しかるに、その9の論点についてmomotaro氏は、懇切丁寧に取り扱っておられますが”何ゆえ?””そこまで必要ありますか”という意味で書きました。
私は、国権=国家権力であるから、その発動である戦争は放棄で、自衛権は敗戦国の権利として認められたものとの解釈をしております。国権に二通りも三通りも解釈があったのでは理解不能になるから困るのです。現政権よろしく、何が論点で何を決めて何をするのか、本質が曖昧模糊では議論するに値するのでしょうか、また、その必要がありますか?という感想です。拙者ゆえの失礼ご理解いただきたし!

by SUN FIRST (2015-01-27 12:14) 

momotaro

SUN FIRST さま
重ねての投稿ありがとうございます。
いくらか霧が晴れてきました、お陰さまで。
いろいろな考えの人がいるので、取り敢えず、
突きつけられるままに、共に考えてみるというスタンスで
ここまでやってきました。今後ともよろしく!
by momotaro (2015-01-27 14:57) 

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