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「美しい国へ」安倍晋三評⑥ [人間考]

 第四章は「日米同盟の構図」と題されている。この章の流れは、アメリカという国の説明から、戦勝国と敗戦国の立ち位置の説明に移り、自衛隊の不自由さの説明に終わる。概括的にとらえれば、大きなクモの巣にとらえられ、不自由だから、糸を切って自由になりたいような、クモの巣の一部になってクモに貢献したいような、歯切れの悪い論理展開である。構図と言うからには、もう少し明解に語ってもらいたいところだ。
 小見出しを列挙するので想像していただきたい。

「9.11はアメリカを変えたか」
(この問の答えは「ブッシュ政権がアメリカの歴史の中で、きわだって特異な政権であるとは思われない。」理由は「アメリカの歴史を振り返ると…孤立主義の立場…国益を重視する立場…理想主義的立場…はいつの時代にも存在するものだ」からだそうだ。)

「アメリカ人の信じる普遍の価値」
「彼らはすでに孤立主義を捨てている」
「アメリカ保守の自信はどこから来ているか」
(この問の答えは「トマス・ホッブズの著書『リヴァイアサン』に求め、次のような解説をしている。「人間は生まれつき自己中心的で、その行動は欲望に支配されている」ので「人間社会を平和で、安定したものにするには…絶対権力を持つ怪物リヴァイアサンが必要なのだ。」そういう現実主義の立場に立って、その役割を果たしていると認識しているので、アメリカの保守は自信を持っていると説いている。安倍氏も同じ理念・認識を持っているように見受けられる。
 このような考えを「現実主義」と認める人は少なくないが、しかし《人間社会をそのように達観して絶対権力を振るう怪物それ自身が、欲望に支配されている可能性が十分高いのだから、そのような怪物の力で平和で安定した人間社会が訪れるはずがない》という現実的な見通しも存在する。
 人は人類の長い歴史を通じて、少しずつ変化している。科学・技術の進歩、生産活動の変容、情報機器の発達、言論・文化等の発展などにより、人間は、変わりつつあるし、変わらなければ文明を維持発展させることはできず、破滅するのみであろう。生き物個々の究極の欲求を前提に社会的な行動を決めている場合ではないにもかかわらず、それを現実主義と思い込むようでは、人間社会のリーダーたる資格がないと言わざるをえない。)

「リベラルが穏健というわけではない」
「アメリカの民主主義の論理とは」
「憲法前文に示されたアメリカの意志」
「『戦力なき軍隊』の矛盾」
「日本とドイツ、それぞれの道」
「なぜ日米同盟が必要なのか」
(この問の答えは「日本は、同盟国としてアメリカを必要としていた。…独力で安全を確保することができなかったからである。その状況はいまも変わらない。…核抑止力や極東地域の安定を考えるなら、米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである。」だそうだ。)

「『行使できない権利』集団的自衛権」
「『交戦権がない』ことの意味」
「『大義』と『国益』」
「お金の援助だけでは世界に評価されない」
「自衛隊が独自に戦線を拡大したか」
「武器使用を制限されて海外へ」
「自衛隊が日本人を守れない現実」
「制限だらけの自衛隊の行動基準」
「自衛隊をめぐる議論が変わった」

 本章は以上である。《敗戦国日本は戦勝国アメリカに新憲法を押し付けられ、いまだに自衛隊が不自由である》というのが《日米同盟の構図》という受け止め方でいいのだろうか。軍国主義時代の反省、自ら出直す意志がないために、このような、距離感の定かでない、訳のわからない《二国間の構図》ができてしまうのではなかろうか。

          2014.9.7
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