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人類は野蛮?崇高?両面あり? [人間考]

Yニュース(ロイター)より

【 ウクライナ各地でロシア軍が攻撃、民間施設への砲撃で死傷者

[リビウ(ウクライナ) 18日 ロイター] - ロシア軍は18日、ウクライナの首都キエフや西部リビウなどで攻撃を実施、民間人に死傷者が出ている。

キエフ北部で18日朝、ロシア軍の砲撃があり、ミサイルが5階建ての集合住宅に着弾。当局によると1人が死亡し4人が負傷した。98人が建物から避難し、12人が救出されたという。(以下省略)】

ロシア軍は住民の避難所になっている劇場や病院、学校なども爆撃して世界中から非難を浴びています。

こんなことがユーラシア大陸の真ん中で、2022年に起きていることが人々にショックを与えています。

日本もアジアの東の方で似たようなことをやっていたんですよね。20世紀の前半でした。それに対して、アメリカも沖縄で地上戦をやり、本土の都市の空爆もやりました。日本の住宅が木造であることから、焼夷弾を用いて、住民を家ごと焼き尽くす作戦を取りました。最後は原爆2発。明らかな民間人に対する無差別攻撃でした。

人類は2度にわたる世界大戦を経験し、あれから76年半経ちました。そこに大きな反省があり、その後はこのような公然とした侵略戦争はほとんど起こらず、世界の秩序と平和は概ね保たれていました。

そこに忽然と、プーチンロシアが隣国ウクライナ軍事侵略という事態を起こし、住民の日常生活や公共インフラの破壊を始めたのです。自国の都合で国境の向こうを変えようとして軍隊を動かし、破壊・殺傷行為で脅しをかけているのです。

国が他国の人を殺し、破壊するよう命令を出し、それがそのまま実践され、現場に地獄絵が展開しています。人間の、愚かな脆い悪い面が出ています。

一方で、理不尽な行いに屈せず、自分達の生活空間を必死で守ろうとするウクライナ人の勇気ある行動や、それを直接間接支援しようとする人々の連帯の輪が広がりつつある様子も顕著に現れています。人間の崇高な面です。

地球人て、困っている生き物を見ると助けてやろうとする優しい面を持ってますよね。そうかと思えば、同じ人間を苦しめて死に追いやることも厭わない、そういう無慈悲な面も持ち合わせていますよね。矛盾してます。どういうこと?

人類を一括りにして観ると訳わからないのですが、前者と後者は別人なんですよね。優しい人もいれば無慈悲な人もいる。ややこしいのは、大抵のものには優しいけれど、特定のものに慈悲がないとか、特定のものには優しいけれど、多くのものに慈悲がないとか、バリエーションがあるんですよね。

偏愛、偏りがあるんですよね。言えることは、自己中心的か、他者との共栄に神経を使うかなんでしょうね。そういう違う精神構造を持った人間がそれとわからず混在しているんですよね、人類は。

どっち系の人間が国の組織を握るかによって、社会の在り方が激変してしまう。独裁者は大抵は自己中ですが、中には穏やかで尊敬される人もいます。民主主義の制度化でも「アメリカファースト」とか言って人気を博する人は自己中です。

自己中派か共栄派か、この見極めが大事ですよね、国の指導者を選ぶに当たっては。

それからこんな事態になった時に、国連が機能しないというのは問題ですよね。共栄の代表格ですから、これが有効に機能するように改革したいものです。

本日は以上です。

以下、最近の写真を日付順に掲載します。
数日20度を超えるような暖かな日が続いたので、ようやく花咲く春が訪れました。

16日お彼岸が近いのでお墓参り
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17日、さくら運動公園
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久しぶりでテニスをやりました、1時間。写真は撮り損ないました。

19日、例の石上寺再訪。
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住職様曰く「八分咲きでしょうかね。でも風で花びらが落ちましたよ」
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去年も載せましたけどね。今年は色が濃いかな。
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横向いちゃいましたね、残念!(すみません、直せなくて)
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近所の公園です。
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手前のソメイヨシノはまだ。中の河津桜が咲き始め、奥のモクレンが満開です。
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草むらにはツグミが。でもスマホカメラでは証拠写真がやっと。m(_ _)m


ウクライナにも早く春が来ますよう!
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人類の天敵は人類! [人間考]

昨日は3.11。11年前、あの凄まじい地震と津波を目の当たりにした日でした。その後、悪夢のような原発事故が続きました。地球ってこんな凄まじいことが起こるんだ!人生観が変わった日でした。

原発事故については、電源喪失が起きた場合の備えの甘さが原因で、天災を人災が数倍に拡大したと認識することになりました。

以下参照(2019年3月11日 リテラより)
【〈前略〉第一次安倍政権だった2006年、すでに国会で福島原発事故と同じ事態が起きる可能性が指摘されていた。にもかかわらず、ときの総理大臣だった安倍晋三は、「日本の原発でそういう事態は考えられない」として、一切の対策を拒否していたのである。

しかも東日本大震災後、安倍は、原発事故の責任を当時の菅直人首相と民主党政権に押し付け、真実を追及するメディアを「捏造だ!」と恫喝、自身の重大責任を隠蔽してきた。〈後略〉】

被災地の1日も早い復興を願ってやみません。

次いでウクライナですが、いよいよ危機的状況になってきましたね。

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kazg さまブログ(https://kazg.blog.ss-blog.jp/2022-03-04)より拝借しました。私の手作りより色がいいですよね。

【 STOP PUTIN, NO WAR 】
Jetstreamさまブログ(https://jetstream777.blog.ss-blog.jp/2022-03-08)にもありました。これに尽きますが、北の大王は、止める気配は一向にありませんね。人道を無視した暴挙が続きます。

ゼレンスキー大統領はじめウクライナの人たち、理不尽に屈しまいと必死で頑張っていますね。不屈の魂は賞賛に値し、声援を送り続けますが、相手が相手ですからね。ここは一旦引いて、言うことを聞いておいて、プーチン亡き後に、原状回復に尽力するという手も有りではないか。犠牲が大きすぎますから。

そんなことをふと思ぅたりもします。

さて、本日のお題は「人類の天敵」です。言うまでもなく人類は地球最強の生物で、天敵はいません。あえて言うならば「人類の天敵は人類」です。その顕著な例がプーチンと言えるかもしれません。

そこでプーチンの研究です。

プーチン(人物の敬称は省略します)も先日亡くなった石原慎太郎も、偉い人かといえば偉い人です。プーチンなんか、あの広い国土のロシアを掌握して、長年思い通りの政治をしている人ですから「並外れて偉い」と言ってもいいかもしれない。

この場合の偉いは、決して尊敬に値するという意味ではありません。威厳を持っている、他人を従わせることができるという意味の偉さです。「エライ」と表記した方がいいかもしれません。

こういうエライ人はどういう能力に秀でているかと分析してみますと、意志が強い、揺るぎない信念を持っている。実行力があるんですね。知・情・意に分けるなら意が圧倒的に強い。

知・情・意が求めるものといえば、真・善・美です。知は真を求め、情は美を求め、意は善を求めます。意に長けている人は善を求めます。善いことをやろうとしているわけです。

石原が尖閣列島を都の予算で買ったのも、プーチンが執拗にウクライナに攻撃を仕掛けているのも、善いことだと思っているのです。本人は、頭のどこかで確信しているのです。

ですが、信念が強く実行力のあるエライ人は、知や情においても優れていなければなりません。自分が実現しようとしている信念が正しいのかどうか、真実を求めて絶えず知を働かせていなければなりません。

その点がお粗末だと、ただのわがまま坊やになってしまう。あと情ですね。美を追求するだけでなく、生き物への情愛の感性が鈍くてもいけません。

プーチンは、結局エライだけの人、信念を貫くことに特化した人と言えるでしょう。こういう人が人類の天敵なのではないでしょうか。

正しさへの関心は乏しく、思い遣りは鈍く、思いを実現する意欲だけが並外れて大きい人、こういう人は人類を滅ぼしかねません。すなわち、人類の天敵として警戒を要する人物です。

意志の強い人というと三島由紀夫なども思い浮かびます。思いを遂げるために自衛隊にクーデターを呼びかけ、叶わぬとわかると割腹自殺をしたのでした。この人の場合は、文学者で美意識も強かった。しかし、知が冷静に働いていたとは言い難いと言えましょう。

クリニックに押しかけ、油を撒いて放火した事件や、混雑した列車内で無差別に刃物を振り回す事件などがありますが、そうしようとする意欲だけが旺盛で、人に備わった知と情がほとんど機能していない人も珍しくありません。やはり警戒を要する天敵ですね。

すべて揃っていて、なおかつ強い信念を持って意志を実現する人もいます。空海や日蓮などの宗教家や渋沢栄一、宮沢賢治などもそんな一人かもしれません。彼らは天敵どころか、真に偉い人、民族の救世主です。

一般的には、思慮分別があって、情にも敏感だと、強い確信には至りにくいものです。そうすると大きなことはなかなか成し遂げにくいものです。ですが日々の営みの中で、少しずつ、人類の歩みに一歩を加えます。常人はこれですよね。

これが尊いのに、これを破壊してまで、己が思いを達成しようとすることは、すなわち、人類の一員のくせに人類に矢を引く人類の天敵です。人類の歩みに貢献したければ、破壊行為・殺傷行為は即刻止めるべきです。それが「知」が「情」が教えることですよね。

PS. まとめ
天敵に滅ぼされないための心掛け
① エライ人と偉い人は別物という認識を持つ。
② エライ人がいれば、正しい判断のできる人かどうか、注意して観察する。
③ エライ人に憧れて、エライだけの人をよりエラクしてはいけない。
( ④ 空気や風潮に流されないで、各自が真に正しい方策を求める志を持つ。)

以上です。


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続・プーチンの怒り [人間考]



怒りは命ある物の当然の反応ですから、当人にとっては正義なんですね。ですが、本当に正義なんでしょうか?

プーチン氏のお怒りは正義か?

怒って相手に危害を加える事例はたくさんあります。最近よくある煽り運転トラブル。しつこく追い回したり、前に出て急に止まったり、停めさせて乱暴を働いたり・・・善良なドライバーを恐怖の底に陥れます。

そんな命に関わる危険な行為をなぜ働くことになったのかというと、たいていはきっかけがあります。クラクションを鳴らされたとか、パッシングライトを点けられたとか、追い抜きざまに眼(がん)をつけられたとか、何かしら怒りのきっかけがあるのです。

オレに対してそんなことをするとは何事だ、人を誰だと思っているのだと怒りの情動が起きるのです。その報復として追い回したり恐怖に陥れたりするのです。当人は「あいつが怒らせることをしたから悪いのだ、オレはちっとも悪くない」と思っているのです。

怒らせた相手が悪い、怒った自分は怒らせられたにすぎないという論理は、人として幼稚すぎるのです。相手には相手の事情があり、たまには他人に不愉快な思いをさせることもあるのです。腹が立っても我慢し合うものなのです。

やり返すにしても、やられた以上のことをしたら、それは悪事、加害行為なのです。

ウクライナがロシアに何をしたというのですか?国境を超えてミサイルを、砲弾を打ち込んだことがありますか?

明らかに、一方的な加害行為です。怒ってやることではありません。加害行為の理由づけをしているだけのことです。

こんなことにも例えられます。
ストーカー行為です。大好きでたまらない相手が次第に他の人に関心を示すようになったのです。どうしても付き合いたいので近寄るのですが、彼女は相手にしてくれません。

「今まであんなに親しくしていたのになぜ冷たくするのか、怪しからん」と怒りまくるのです。「お前がどのくらい大事か、なぜわからん。わからぬならわからせてやる」と殴る蹴るの暴行を加えるのです。

これ、正義ですか?いやいや自分の好み、都合を言っているだけなんですよね。相手には相手の好みや意志があるのですから、尊重するのがルールであり正義なのです。相手の気がこちらに向くように努力するしかないのです。

なぜEUやNATOに加盟したがるのか、それを研究して、自分がより魅力的になるしか手がないというのが正しい対処法です。

気に入らないから、思い通りにならないからと言って、軍隊の力で服従させるというのは、決して義憤から起こる正義ではありません。我が儘なだけです。他国の尊厳を認めない狂気です。

このような人が大国ロシアの組織のトップにあるということは、人類にとって大変不幸で危険なことです。なんとかこの状況が一刻も早く終わることを願うばかりです。


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プーチンの怒り [人間考]


今日はウラジミル プーチンの怒りについて書きます。前置きがあるので長くなってしまいます。申し訳ありません。

前置き(以下は昨秋書いた原稿で、仕上がらずメモ帳に寝ていたものです)

【 昨年の五月ごろでしたか「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」から怒りについて取り上げました。怒りというのは生きる上で欠かせない情動で、遺伝子に刷り込まれているのだそうです。

確かに人間界の出来事を理解する上で非常に重要な心理作用ですので、わたしも、自分なりに考えてみようと思います、

まず「情動」について。コトバンクには次のようにありました。

『 一時的で急激な感情をとくに情動という。人間でいえば、喜び、悲しみ、怒り、恐怖、不安というような激しい感情の動きのことである。英語ではエモーションemotionで、その語源は、ラテン語で「揺り動かす」とか「かき回す」という意味である。感情を表すフィーリングfeelingの語源がラテン語の「触れて感じる」であるから二つの概念の差異がよく理解されると思う。情動とはその語源がよく表現しているように力動的(ダイナミック)なものなのである。』

怒りは力動的なものなので、大抵は行動が続きます。怒(いか)ると怒(おこ)るんですね。そこで、まず、「いかる」と「おこる」を区別したいと思います。「いかる」は体内の反応で「おこる」は体外に現れた反応です。

「おこる」には「いかり」に基くものの他に、他人を制御することを目論んだパフォーマンスとしての「おこる」があります。親や先生が子どもに、上司が部下になど、本人のためや、あるいは自分の都合のために、躾や従属を目的に行われるものです。

この行動は理性的で能動的なものなので、ここでは一旦脇に置きます。まずは、あくまでも受動的な怒りです。

人はどんな場合に怒りの情動に駆られるのだろうかと考えてみると、不当な取り扱いを受けたと感じた時と言えるのではないかと思います。

自分に非はないのに、なぜこのような仕打ちを受けなければならないのか、怪しからん、許せん、と心が高揚してきます。 】

まさにプーチンの心境です。ソ連邦が崩壊した後、西側諸国が旧ソ連邦の国々をどんどんNATOに引き入れ、ロシアの国勢を削ぎ、安泰を脅かしてきたではないか。隣国ウクライナまでNATOに加盟しようとしている。

なぜ我々はこのような仕打ちを受けねばならんのか、もう我慢がならん。ここで怒らねば男がすたる。国が舐められロシアが滅びる。あらん限りの力を発揮して、世界に物申さねば・・・の心境のようです。

あらん限りの力ですから、言うことを聞かなければ、空爆します。ロケット砲を打ち込みます。戦車で進軍します。他国に介入の動きがあれば核兵器を使うと脅します。

こうして暴れまくると、この後事態はどうなるのでしょうか。ウクライナはロシアの友好国になりますか?難しいでしょうね。この恨みはウクライナの人々の魂に刻まれますよね。

結局どうなるか。ウクライナ住民の多くを避難民として西側に追い出し、ロシアの盾となる国を作るのでしょう。西側は避難民を抱え、自国は領土(みたいな国)が増える。そのくらいのことをやってみたい、やらねばならぬ、やる資格があると思っているのでしょう。

怒りは命ある物の当然の反応ですから、当人にとっては正義なんですね。ですが、本当に正義なんでしょうか?

この続きはまた後で。

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人類の祭典を汚すなかれ! [人間考]

オリンピックはまだ終わっていませんが・・・
アスリートの熱き闘いは、感動の名場面をいくつも見せてくれますが、運営スタッフは、正反対のうんざりする恣意性を時々露わにしてくれます。

オリンピックは、地球人類の一大行事で、善くも悪くも、人間性の全てが圧縮されているようです。

平野歩夢さんのトリプルコーク1440やカーリングの逆転の一投、アルペンスキーの高速ターンなどと挙げるまでもなく、どの競技も、メダルを争うような人の努力と身につけたその技は、人間の果てしない向上心を感じさせます。人間技じゃありませんよ。人間て凄いなぁ!

一方で、贔屓したり妨害したり、4年に一度の戦いに人生を懸けてきた人を裁く審判員の心の小ささは、これまた、人間の底知れぬ身勝手さ、狡さを感じさせます。

今回の開催国は、せっかく世界にこの国ありと宣伝したかったのでしょうが、これでは逆効果になりかねませんよね。

オリンピックは、せっかくアスリートが切磋琢磨して競いあって向上し合う場ですから、そこに、国や民族の威信とか、政治的宣伝とか、金儲けとか、組織を牛耳る権勢とか、そういうものを持ち込んではいけませんよね。

オリンピックを維持し開催しているのではなく、オリンピックの人気に便乗し、アスリートの向上心を汚しているのですよ、彼らは。

「恥を知れ恥を!」などと思ってしまったのでした、今回は。

「NO WAR IN UKRAINE」これはよかった、快挙、金メダル!



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演技にもコメントにも魅了されます! [人間考]

「春は名のみの風の寒さ〜」どころではなく、昨日は雪が、みぞれが一日中降ってましたね。所によっては数センチ積雪があり、交通事故も起きてしまったようです。お見舞い申し上げます。

さて、羽生選手です。明日を待たずまた今日アップできそうです。

オリンピック三連覇の期待のかかった羽生結弦選手、ショートプログラムの冒頭の4回転が跳べず8位スタートになりましたよね。それでも後のインタビューが良かった!

「もうしょうがないなって感じです。自分の中でミスはなかったなって思っている。・・・なんかちょっと氷に嫌われたなと思っています。・・・他の人の穴に『カコッ!』ってハマった。いったなって思って跳びにいったけど、頭が(体を)防衛してしまった。」

存外けろっとしていて冷静に説明してくれたって感じです。「なんてことになったんだ、これじゃもう巻き返しはできない」などとパニックになってしまったわけではなかったんですよ。

さらに「正直演技が終わるまでは全然気持ちが切れていない。全体的には良い演技。コンディションはかなりいい。不運もあったけど氷との相性はいい。しっかり決め切りたい」流石ですよね、精神力が強い。

昨日のフリーでも、何としても成功させたかった4回転アクセルが着地を決めきれず転倒。冒頭でしたから失意も大きかったと思いますが、その後をしっかり演技、4位まで漕ぎ着けました。

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(このショットは凄いでしょう。ネイサン・チェン選手の最終滑走が終わるまで、一位から三位まで日本の選手が独占してましたからね。)

そのフリーを終えた後のコメントがまたいい。
「全部出し切ったというのが正直な気持ちです。明らかに前の大会よりもいいアクセルを飛んでいましたし、もうちょっとだったなと思う気持ちももちろんあるんですけど、でもあれが僕のすべてかなって」

また「(4A挑戦のために)一生懸命頑張りました。これ以上ないくらい頑張ったと思います」と言い切り、「報われない努力だったかもしれないですけど。確かにショートからうまくいかないこともいっぱいありました。今回、うまくいかなかったことしかないですけど。でも一生懸命頑張りました」と括っています。

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今朝、テレ朝の玉川さんが良いこと言ってましたね。「努力は必ずしも成功を保証するものではないけれど、成長は保証する」みたいな、どなたかの名言を紹介してました。

今日はまた、平野歩夢選手がスノボーのハーフパイプで金メダルを獲りましたね。最後の最後の滑走で、自分の培ってきた力を見事に発揮して逆転勝利を収めました。この方のインタビューも良かったですね。

尋ねられて思いつく答が素晴らしいですよね。努力を重ねている人は、日頃から心の中がよく整理されているのでしょうね。技はもちろん素晴らしいけれど、メンタル面にも感心させられます。

本日は以上です。


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石原慎太郎氏死去! [人間考]

石原慎太郎氏がお亡くなりになりました。
各局とも在りし日の氏を偲び、巨星としてその死を悼んでいます。他界されたこと、また雄弁な息子が4人もいますから、当然ですよね、テレビ局としては。私も、敢えて彼の在り方を批判するつもりはありません。

ですが、私はこの本で
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書いちゃってますからね。
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「石原慎太郎が見えた」本の元はこのブログですから、このブログにも記事があります。何と①から⑤まで。
https://mo-mo-taro.blog.ss-blog.jp/2014-06-13

ちょっと触れておきます。(引用します)

【 『永遠なれ、日本』(中曽根康弘・石原慎太郎著)・・・これは「元総理と都知事の語り合い」というサブタイトルが付いていて対談形式で書かれている。真っ赤なカバーに白抜きで、本のタイトルと2人の名前が書かれている。PHPの本だ。2人の著者の思いがこの扇情的なブックカバーに現れているのだろう。・・・さて、慎太郎さんだが・・・こんな戦争体験を明かす。

「ある日、空襲警報が鳴る直前に警戒警報が鳴って学校の先生たちは『もう帰れ』という。学校を出ると、すでに戦局が危なくなっていて、すぐに空襲警報に変わりました。学校の近くにある烏森という大きな森に向かおうとしたのですが、途中、麦畑を走っているときにP51が来て、機銃掃射された。麦畑は畔が深いのでP51からは見えないのですが、…、こわごわ頭を上げて仰いでみたら、胴体に何やら原色で漫画を描いた敵機が見えた。あの彩色とデザインのあざとさこそ、生まれて初めて目にした敵国の文化だった。

 そのあと二百メートルぐらいで森というときに、今度は芋畑を通るのですが、芋畑は畔が浅い。ほとんど野ざらしのようなところを走っていると、また爆音が聞こえてきた。やられるかなと思っていたら、なかなか機銃を撃ってこない。どうしたのかと思って仰向くと、友軍の戦闘機の姿が見えた。

 日の丸を付けた日本の飛行機が、あのあざとい絵の描いたP51を追いやったのです。このときは、その日の丸に向かって、ふるいつきたくなるような感情を抱きました。感動というのとは違う、たまらぬ懐かしさのような感じです。あのたまらなさはことさらの愛国心などというものではなく、まさに国家と民族そのものでした。」

 戦時中は多くの人が生死の境を体験し、様々な心的影響を受けている。石原氏も芋畑で無慈悲な機銃に一撃されてしまうことなく生き延びられてよかったと思うが、石原氏の更なる特異性が、この体験談の直後に出てくる。

「ささやかながら、そんな原体験を私も持っているのですが、私より少し若い世代の人たちには、そういうものが一切ない。そこに欠落したものを感じるようです。」

 石原氏の体験は、戦争という特殊な時代背景で起こった、稀とは言えないまでも特殊な個人的なものだったという受け止め方をするのが一般的と思うが、氏の受け止め方はそうではない。このような体験を通じて、国家や民族を感じ、まともな人間が形成されたのであって、このような体験をしていない若い世代の人たちは、欠落したものを感じていると受け止めている。

 自分の若かりし頃の体験が特殊なのではなく、そうした体験ができないことが特殊な時代の不幸なのだ言わんばかりである。自らの体験を絶対視し、それを客観的に見直そうとする姿勢はどこにも見受けられない。

 そんな石原氏が、次章の「人間観・死生間」ではこうも語る。
「先ほど中曽根さんは、自分の悟りを中曽根『大宇宙生命教』だとおっしゃいましたが、じつは私も自分が日ごろ語っていることを『石原教』といっています。信者は私しかいませんし、教祖も私です。…。

 いずれにせよ、自分の存在についての強固な観念の基軸を持っていたら、その人間は強いと思います。」と自覚しているので、ますます強い。

(途中はすべて省略して)

 さて、他人の批判などはもとより毛頭したくないのだが、石原氏は支持者が多く日本の社会に大きな影響力を持っている人なので、中曽根氏との対談本から見えた人物像を書き出してみた。

 彼は、感性が鋭く頭の切れる人物で、思ったことを発言、実行しようとする勇気のある人である。だが、自分が味わった体験とそこから考え出したことを、人類や日本の歴史、そこから出てくる方向性と照らして相対化することをしそびれた人と言うことができると思う。自分の感性を絶対視し過ぎているように思える。戦時体験もそうだが、宇宙観もそうである。

 先ほどの「おもしろい本」の紹介のすぐ後で「では人類がそのような状態になったら地球はどうなるでしょうか。そもそも地球は、その存在を認識する人間がいるからこそ、地球たり得るのですからね。あと五、六十年で人類が絶えてカラスやゴキブリだけが生き残っても、認識の主体者がいなくなるのだから、地球が存在していることにはならなくなる。」と平気で述べている。

 果たして人間だけが認識の主体者であって、カラスやゴキブリを虫けらのように、いやその虫けらを宇宙のほこりのように軽んじていいのだろうか。さすがに無機物と飛び交うエネルギーだけでできている惑星や宇宙の存在なら、その意味を疑い得ても、人間以外の生き物をああまで簡単に切り捨ててしまう物の見方は、石原氏特有の呑気さの表れと言えるだろう。

「人類が絶えて」とこれもあっさりと言っているが、人類が絶えたかどうか、いつ、だれが認識できるというのだろうか?人が分かるのは、精々、自分(と周囲)が絶えることぐらいのものである。

 人間が中心、日本が中心、自分の考えが中心・・・人は成長するに従い、こうしたことを相対化していくものである。また、すべて相対化しなければ、公の役には立てないのである。選挙民は人をよく見て、公の役に立つ人を選ばなければなるまい。近頃は二世、三世議員が多いが、こういう人ほど相対化がうまくできていない例が多いように思えるのだ。】

そんなふうに見えた石原氏ですが、尊敬すべきところはもちろんあります。存在感が強かった。ということは、言いたいことを言い、やりたいことをやってきた。(ちょっと迷惑でしたがね)

私なども、このブログではお国や社会に対して言いたいことを言ってますが、お家では、周囲が強くて、なかなか存在感が発揮できません。

たまにバイトの休みがあるとこんなことをしてます。日が当たるわずかの時間に、第九を聴きながら、ペットボトル潰し。

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飲んだ者がラベルを剥いて潰せばいいだけなんですけどね、誰もやらない。その量が半端ではないんですよ。月に100個はあるでしょうね。
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石原さんはこんなことはやらなかったでしょうね。他の人にやらせた。その点だけでも、私の百倍は偉かった!

ところで冬季五輪が始まりましたね。昨夜は眠くて寝ちゃったけれど、今朝、テレ朝、松岡さんの解説のヤツ、観ましたよ。
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習近平さん、うまく演出しましたね。ヨーロッパ人の心を掴みにいきましたね。(人権や住民の意思を無視した強行策を実行しつつ!)

本日は以上です。


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ジェンダーフリーを考える [人間考]

新年早々の話題に相応しいかどうか、いささか疑問ですが・・・

最近、テレビの番組も登場人物も実に明るさ・楽しさを意識して、上手に笑わせてくれてますよね。でも一方で、コマーシャルが「小さなお葬式」とか、高齢者向けの生命保険とかが多くて、高齢化社会の現実を映し出してもいます。

人生100年時代とか、健康寿命が延びているとかいう現象は、決して暗いことではなく、明るい話題だと思うのですが、いかんせん、未婚率が増え、出生率が低下して、少子化が進んでいます。これが問題で日本の将来を暗くしています。

なぜこのような傾向が歯止めが掛からず続いていくのか?保育施設の不足や養育費や教育費の高さなどが指摘されていますが、もっと根本的な問題があるのではないか、それも検討した方が良いのではないかと、年頭に当たり思いました。

結婚とか子作りとかは、かなりの部分が人間の、というか動物の本能に由来していると言えるのではないでしょうか。「男は男として女は女として育てる必要があるのではないか」なんてちょっと現代の流れに反したことを考えてしまいます。

かつてはそれが当たり前だったと思うのですが、最近は「差別は良くない」ということから、男女の区別がたいへん慎重(というか、控えめというか)になっています。学校での呼び方も、どちらも「〜さん」が一般的です。体育着への着替えなども別のクラスに分かれ、男子も恥ずかしそうにやっています。別にパンツを脱ぐわけでもないのに。

「男らしくしなさい」とか「女らしくしなさい」とかもタブーになっているようです。そういう気遣いが必要な子どももいますから、強く強制する必要は全くないのですが、ベースはやはり男女は違うのではないでしょうか。

男らしさとは何か、女らしさとは何か、社会的あるいは家事の分担までらしさで分けることは間違っていると思いますが、本能に導かれる部分は同質ではありません。両性の違いを否定ないし無視するのではなく、認め、尊重して、良き男女を育てる視点も持って指導するようにすべきではないでしょうか。

男女はどこが違っていて、何が無用な差別にあたるのか、その辺の議論を深めることも大事なのではないかと思います。同性愛を否定するものではありませんが、異性愛に翳りが出るようなジェンダーフリー指向は誤りではないでしょうか。社会の衰退につながります。

野生と理性をうまく共存させることが大事なのではないでしょうか。

以上、お正月のお暇な頭が考えました。

拙いブログですが、本年もどうぞよろしくお願い致します!



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「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」より [人間考]


ちょっと更新が滞ってしまっていますので、これから一筆行きたいのですが、明日は持病の診療日で、今、水道水のトラブルで物議を醸している群大病院に行くことになっています。今日電話をしたら、予定通り検査と診察を行うそうです。となると朝が早いので、あまり長く書いてもいられません。少しだけ書きます。

最近、朝飯を食う時に、「ブンカホウソウ おはようテラちゃん」なる番組を聞いています。若手?の学者?が主に経済のことですが、言いたいことを言っています。その合間?後?に、武田鉄矢が「今朝の三枚おろし」をやっています。

この間うち、バーバラローゼンワイン?なる人が、アメリカ人の怒りについて書いた本を取り上げ「怒り」を話題にしていました。

色々言ってましたが、一番印象に残ったことは、アメリカ人(の多くの人)の怒りは攻撃に結び付くのだそうです。怒ったら攻撃するというパターンになっている、言い換えると、攻撃しなければ怒ったことにならない。

同時多発テロの時がそうでした。間髪を容れず、アルカイーダだ、アフガンだ、イラクだフセインだと攻撃を始めました。

先日、そのアフガンで米軍撤退時に起きた自爆テロに対しても、バイデンさんが怒りを示し、「悪を諌める」と即座に疑わしき車両を爆撃しました。結果は誤爆でした。

怒ると攻撃する。単純ですな。あまりにも単純です。腹が立つことと次なる行動とはそんなにステレオタイプに結び付くものではありません。そこに人の苦労が、悩みが、忍耐が、思考が、人間らしさが、・・・そして悟りがあるのでしょう、たぶん。

今宵のmomotaroの三枚おろしは、一枚おろせたかどうかわかりませんが、明日に備えて寝ますので、これまで。トントントン

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オリパラと国別メダル数 & コロナ対策 [人間考]

オリパラについての感想は何度か書きました。何度も書いたのに触れなかったことがありますので触れておきます。国ごとのメダル獲得数の競争です。

オリンピック・パラリンピックは感動を呼ぶものです。人間てスゲーナー、あんなことまでできるんだ〜と、改めて人間に尊崇の念を持ちます。特にパラリンピックは、身体の不具合を克服して、使える機能をフルに活用して、素晴らしい競技力を見せてくれます。

失ったものを、あるいは不得手なことを、あれこれ悔やんだり言い訳にしたりしないで、いま持っている能力で出来ることを最大限やることが大事なんだなあと、気付かせてくれます。

オリパラはそういう基本的には優れた人類のイベントではありますが、過度に肥大化してしまって、弊害が生じているのが今の姿かと思います。

弊害といえば、国ごとのメダル獲得数の競争もその一つですね。私はこの点に触れるのをすっかり忘れていました。というのは、観戦して得る感動が「人間てスゲーナー」だからなんです。「何々人てスゲーナー」と思ったことなどありません。

つまり国籍はオリパラの良さに何ら関係ありません。どこの国が金メダルが何個で銀メダルが何個で・・・など、興味も関心もありません。

自国贔屓で、自国代表の活躍を願ったり応援したりして観戦するのはいわば当然の心理かと思いますが、そこで繰り広げられる競技の質の高さが素晴らしいのであって、結果は、競技者にとっては最重要でしょうが、観戦している者にとっては、国籍に関係なく賞賛に値するのです。

そもそもオリンピックの精神は「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」なんですから、国ごとのメダル獲得数の競争などはナンセンスです。

表彰式で、国旗の掲揚、国歌の演奏などやらなければいいのですが、選手のエントリーが主に国ごとで、選手にしてみると国を代表して晴れ舞台に登場し、他国代表と競い合うわけですから、その結果として国旗が揚がることは、さぞや嬉しいことでしょう。

これがアスリートのモチベーションを高める要素の一つになっているようですから、これを廃止することには異論もありましょう。

要は、観る者や送り出す国が、競技結果としてのメダルの数にこだわることを程々にするか、夢中になるかということです。ムキになればなるほど、オリンピックの精神から外れるわけですから、いくら数が多くても少しも誇れないことになります。

素晴らしい競技がナニジンのなせる技かどうかは、終わってみると何ら関係ありません。我々と同じ人間というものが、目標を持って努力を積み重ねるとどれだけのことができるのか、心を動かすのはその一点です。

各国のメダルの数は、人口とか経済力とか、オリンピックの精神に反する国のこだわりとかに依るものです?から、何ら、国や民族の偉大さを示すものではありません。こだわる国があるとすれば、オリンピックの精神を理解しない、精神的に貧しい国だということです。

コロナ流行の折、開催したことに民意が反映されたのか否かについては、そもそも、誘致の段階で民意が問われたならば大反対しましたが、問われることも議論することもなく、活動して誘致してしまったのです。

誘致した以上、ほぼ無観客で、大規模感染もなく、暑さも何とか凌いで、幸い地震も起こらず出来たことは、結果としては悪くなかったのだと思います。

それにしても、この開催に神経を使い過ぎて、保健行政の強化や、臨時の治療施設の設置などが進まず、8月に自宅放置者を大勢死なせたことの政治責任は大きいですよね。

これは問われ続けますよね。今も油断なく、コロナ対策を続けなければ、次の波でまた大変なことになりますよね。

しっかりしろよ、ジコウ政権さん、各地の自治体さん!

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