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なんで「上級国民」に支配されてしまうのか? [日本考]

だいぶ日は延びてきましたが、まだまだ寒い日が続いていますね。コロナ禍は収まらず人には会いにくいし、試練の冬ですね。皆さまいかがお過ごしでしょうか

さて、前記事の続きです。そんなわけで、日本の政治は、国民の代表が国民のためにしているのではなく、一部特殊な人たちが、国民を支配するためにしていることが判明しました。

選挙が行われているにもかかわらず、日本人はなぜ自分たちの代表ではなく、自分たちを支配する人たちを選んでしまうのでしょうか。その謎というか経緯を探っておく必要があろうかと思います。

まずは国民性です。民主主義は人々が主権者です。一億いれば一億人が王様です。国の在り方や将来を決めます。

一堂に会せないので代表を選びます。代表者は自分たちの代理であって同等です。こういう感覚が日本人は乏しいのではないでしょうか。

国会議員はエライ人。中でも大臣は地元の誇り。総理大臣ともなればエライ人の中でも最もエライ人。そんな人に誘われれば「桜を見る会」でもその前夜祭でも、喜んでバスを連ねて行ってしまう。

一国の在り方と将来を決めるはずの王様が、自分たちの代理を崇め、かほどに尻尾を振ってしまうのです。つまり権威に弱い。権威の源は自分(=国民)だという自覚が足りない。できない。育たない。

支配者に繋がっていれば満足なのです。そういう国民性がありそうです。思えば、日本の民主主義は戦争に負けてアメリカさんからもらったものです。自国で到達した制度ではないので、制度を維持するに足る精神的な備えはまだできていないのです。

もともと日本人はお上に弱いところがありますが、時代に即して変わっていかないと、どこかチグハグなことになりかねません。

変わるかどうかは教育にかかっていると言えましょう。教育の主役は学校です。学校が民主主義に必要な主権者としての心得を十分教えているかというと疑問を持たざるを得ません。

戦後間もない頃のほうが「これからは民主主義の時代なんだから・・・」と力が入っていたような気がします。

最近は、ディベートとか、パネルディスカッションとか、自分の意見を発表するとかいう勉強こそしていますが、また、憲法や三権分立など民主主義の制度について一通り教えてはいますが、では国会でどのような議論が行われているのかなど、現実を見ることは一切しません。

教育に、政治に対する見解を持ち込むことはタブーとなっています。学校教育は政治には触れません。これでは、主権者の教育はできません。

政治に関心を持つことは主権者として大事で当たり前のことなのに、政治に何かしらの意見を持つことは特殊なことのようになっています。

主権者・王様ですからね、自由に話題にして議論しないといけませんよね。学校教育は、偏った政見を押し付けることは排除しなければいけませんが、話題にあげて自由に討論することはしていかないと、政治無関心層や、政治を色目で見る人を大量生産してしまいます。

教育がすでに支配者によって支配されてしまっていると言えそうです。解放しないといけませんね。

「先生方、もっと自由に今の政治のことに触れてよ!」って思います。別に何ら批判しなくていいのですから。「皆さんはどう思いますか?」ってことですから。

神棚に上げて触れな過ぎるから、畏れ多いものと人々が思ってしまうんですよね。

そういう面があろうかと思います。

さて、権威を崇め繋がっていれば満足する人ばかりではありません。国の在り方や将来を真に考える人たちもたくさんいましょう。そういう人たちがどんどん政治に参加すれば日本の現状は変わるでしょう。

しかし、政界への門戸が開かれていない、あるいは狭き門となっているという現実もあります。政界に進出するには、地盤、看板、カバンが必要だとよく言われています。

この辺りのことも考えたいと思いますが、長くなりそうなので今日はこの辺で!

お付き合いいただきありがとうございました。


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こんな時に政治権力の強化か? [日本考]




国会で新型コロナ関連の特別措置法改正案が審議されていますが、政府・与党の提案の意図がはっきりしてますよね。要請や命令に従わない者への罰則や「まん延防止等重点措置」の盛り込みから見えることは、為政者の権限強化ですよね。

感染防止をする上で有効な手段を講じようとしているのではなく、国民に対する政府の地位向上ですよね、狙いは。感染症の流行を、官民一体となって防止しようとするのではなく、上に立って権威と指示命令で対応しようとするものです。

主権を有する国民が、健康や命の危機に晒されているときに、国や地方がやるべきことに専心しないで、権限強化を図っているのですよ。

今の自公政権は、国民と一体となって難局を乗り切ることではなく、国民に対峙する政治組織の権限強化の道を選んでいるのですよ。それがはっきりしたと言えましょう。

どういうわけか、与党議員の作る政府は、国民を下に見る差別意識を持っているんですよね。国民の代表として政治組織を預かって運営しているだけなんですけどね。

なぜそういう勘違いをしている、あるいはしそうな人を国会に送り込んでしまうのか、その辺をよく研究して、改善しないといけませんよね。

政治は三流と言われる日本社会の大きな課題ですよね。まずは政治学者の仕事なんでしょうけど、国民一人一人も考えないとなかなか改まりませんよね。

これを機に考えましょう。こんな法案を提出するような政府・与党では、ウィルスにいじめられ、政治にもいじめられてしまいますよね!

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入院拒否者に罰則? [新型コロナ関連]

予算審議が始まりましたね、国会で。まずは「新型コロナ特別措置法改正案」の中身が争点になっています。

入院拒否者に懲役刑とか罰金を科すとかいう規定が盛り込まれているとは、驚くべきことです。

事態は(Yahoo!ニュースより)
【 警察庁によりますと、新型コロナウイルスの感染者のうち、医療施設に入院せず死亡した人は、全国で197人でした。今年に入ってからは75人と急増しています。

 内訳は、PCR検査などで感染確認後、自宅や高齢者施設、宿泊療養施設などにいた人が59人。死亡後に検査が行われ、コロナへの感染が確認された人が138人でした。

 自宅で死亡した人の中には入院先が見つからず、自宅療養などを余儀なくされていた人も含まれているとみられ、感染の拡大と医療体制のひっ迫が浮き彫りとなりました。(25日13:57)】

これが実態です。体調が急変し、死ぬかもしれないことが分かっている恐ろしい感染症にかかっても、病院で治療すら受けられず死んでいってしまっている人がいるのです。

一人いるだけでも行政責任は重大です。それが一人どころか、あちこちで頻繁に起きているのです。その責任はなんら取らず、入院を拒否した人に罰則を科すとは、恐れ入ったる本末転倒です。

かほどに、総理やジミン党政治屋の感覚はズレ切っているのです。

二度と選んじゃいけませんね。

本日は取り敢えずこれだけですが!



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No nukes future 核なき世界に向かって [日本考]


今日のニュースは何と言ってもこれですよね

【 核兵器禁止条約、批准国で順次発効 締約国会議はオーストリア開催へ 日本参加は?
https://mainichi.jp/

史上初めて核兵器の開発や保有、使用などを全面的に禁じる核兵器禁止条約が22日、南太平洋のサモアから順次発効した。世界の核軍縮は核拡散防止条約(NPT)を柱にしているが、その動きは停滞してきた。核禁条約の推進国や非政府組織(NGO)は、核兵器を非人道兵器とする国際的な規範意識が高まり、核保有国への圧力になると期待しており、核軍縮の前進につながるか注目される。

 条約は、昨年10月時点の批准50カ国・地域で、現地時間の22日午前0時にそれぞれ発効。昨年12月に新たに批准した西アフリカのベナンでの発効は、批准から90日後の3月11日になる。批准は、中南米やオセアニアなどの小さな国が多い。国連のグテレス事務総長は「核兵器使用による壊滅的な人道上の結末に関心を集める世界的な運動の成果だ」と評価している。(以下省略) 】

人類が人類に向かって、核兵器を作り使うという愚かなことを止めようと訴える条約が発効しました。人類の記念すべき大きな一歩と言えるでしょう。

残念なのは、日本がこの条約に参加していないことです。世界で唯一の、核爆弾による被害を二度も体験した国なのに、その非人道性を最もよく知る民族なのに、この禁止条約に参加していないのです。

Wish you were here.(ここにいて欲しかった)と国連の関係者に言わしめました。

その理由を政府は次のように説明しています。

【 核軍縮に関する我が国の基本的立場は、核兵器のない世界の実現のためには、核兵器の非人道性に対する正確な認識及び厳しい安全保障環境に対する冷静な認識に基づき、核兵器国と非核兵器国との間の協力による現実的かつ実践的な措置を積み重ねていくことが不可欠であるというものである。

御指摘の決議案は、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発が我が国の安全に対する重大かつ差し迫った脅威となっている中で、このような我が国の基本的立場に合致せず、また、核兵器国と非核兵器国との間の対立を一層助長し亀裂を深めるものであるとの理由から、慎重な検討を重ねた結果、反対したものである。】

スガ総理も国会でこの見解を述べています。

これでは、核兵器の保有国が無くなるまで、つまり地球から核兵器の脅威が消えるまで、核兵器の禁止条約に参加しないと言っているようなものではないですか。

現状に問題があるから、危機的状況だからなんとかしようとしている時に、状況が変わるまで参加できないとは、まったくただの屁理屈に過ぎません。

しかも、これが人を納得させ得る理由だと思って何度も公言しているのですから、日本の指導者というのはどこまで愚かなのか、本当に笑いものです。チョー残念です。

現状を変えるには勇気が必要です。被曝の恐ろしさと非人道性を知る民として、二度とこれが使われないように世界に訴えようではありませんか。(日本はこういう立場を表明しています)

「隣国がこれを持っていてその脅威に晒されているから、こちらも報復手段として有する必要がある。だから核兵器には意味がある」では、事態は変わらないのは目に見えています。

情けないですよね。夢がない、希望がない。民族の歴史が生かされていない。勇気と情熱がない。

こんな国でいいんですか?

良くありませんよね。誰も、尊敬しませんよ。もっと筋の通った国にしましょう!

折鶴に書かれた
Wish you were here. を忘れちゃいけませんよね。心ある世界の人々の願いです。



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海の向こうはまともになりましたね! [時事問題]


アメリカ合衆国の大統領が、とうとう代わりましたね、バイデン氏に。指導者からまともなスピーチが聞けるということは、なんと嬉しい、仕合せなことでしょう。太平洋の向こう側の人たちに、心よりお祝いを申し上げます。

一方、海のこちら側の国では、トップこそ代わったものの、劇的な変化は何もなく、前政権を支えてきた人が、相変わらず淀んだ政治をやっています。のらりくらりは聞き飽きましたよね。

この国のトップから、まともなスピーチが聞ける日はいつ来るのか、来ないままなのか、実に覚束ないことです。

今日のもう一つの出来事は、河合案里氏の選挙違反事件に有罪判決が下りたことです。あれだけ派手に金をばら撒いたのですから当然のことではあります。

いい加減で国会議員の職を辞すべきですよね。夫婦して歳費をもらい続けて、図々しいことこの上ありませんな。

そもそもばら撒いた金の出所は自民党の活動費で、そこには税金から政党助成金が渡っているのですから、政党自体も責任を取るべきですよね。国庫に返納するべきです、そんな使い方をする金は。

本日は以上です。


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医療崩壊以前に保健行政が崩壊! [新型コロナ関連]

新型コロナの感染拡大の勢いがやや鈍ってきたようですねぇ、もちろん油断はできませんが。

それにしても、人口当たり最多のベッド数を誇る国なのに、すでに医療現場では患者に必要な治療や看護ができない状況が起きてしまっているんですよね。

入院待ちの感染者が自宅で亡くなってしまっているという悲惨な話を聞くにつけ、「どうなっているんだ?」とこの国の医療体制の貧困・脆弱を危惧せざるを得ません。

この状況は医療崩壊と言うより、保健行政の崩壊なんですよね。病院にはまだ余力があるのに、その機能を活用できずに、罹患者が放置され、孤独のまま息を引き取っていくという悲劇が起きてしまっているんですよ。

明らかに政治・行政の無策が原因ですよ。その原因はどこにある?

一つはアベ政治以来、何でも官邸主導になってしまった。今回の新型コロナ騒動も、厚労省が担当部署ですよ。ここの知見を生かして、まずはここをフルに働かすべきだった。

官邸や総理が前面に出すぎる(アベノマスクはその一例)ので、余計なことをして後で叱られたり、公文書を書き換えたりさせられてはたまらないから、指示待ちになってしまった。

ところが、トップの官邸は、経済の落ち込みや色々な利益関係者の声が届いてくるので、なかなか有効な感染病対策の指示が出せない。

もう一つは保健行政の現場です。指定感染症の指定により、保健所が対応することになってます。

患者が増えれば、患者の病院や滞在施設の斡旋、体調調査などに加えて、感染ルートの追跡や、濃厚接触者の割り出し、検査など、やる事が多すぎて手が回らないのは目に見えています。

かくして保健行政がすぐに逼迫、崩壊してしまった。

どうにか、マスク、手洗い、うがい、ソーシャルディスタンスなどを励行して、会食・移動を控え、感染を極力抑えるしかありません。その間に、この貧弱な保健行政を少しでも立て直してもらわないと、この国は大変悲惨な状況になってしまいます。

そんなモヤモヤした気分でいたところ、この気分を晴らす記事を発見しました。kazg さんのこの記事、『氷解の巻』
https://kazsan.blog.ss-blog.jp/2021-01-16

バイトが再開して私が見損なったモーニングショーと、ぼうごなつこさんの風刺漫画を紹介しています。是非ご覧ください。

本日は以上です。


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心の問題を考える(3) [人間考]

昨日、今日と寒さは緩んできましたが、新型コロナの感染拡大は止まりませんね。医療崩壊から入院先が見つからないまま自宅でお亡くなりになるという悲劇が起きているようです。

そんな逼迫した状況ではありますが、書きかけたことなので続きを書かせていただきます。


差別といじめはあるまじきこととなっていますが、実は、あるのですね。どこにある?人の心の中にうようよしているんですよね。

たいてい誰でも、好き嫌いがあります。大切にする人の順番があります。職場でも学校でも近所でも、家の中でも・・・当然のように差別して付き合っているんですよね。

そういう心理はあることを前提に考えた方が良いのでは?というのが今回の記事のテーマです。

差別自体は否定することはできなくても、無条件に肯定することもできません。人は、差別の心理とどう向き合えばいいのでしょうか?

まずは、差別する理由や根拠です。その理由や根拠に合理性や客観性があるのかどうかです。

「なんとなく・・・」とか、「縁起が悪いから」とか、「外国人だから」とか「宗教が違うから」とかいうのは、差別を正当化する理由にはならないだろうと思います。

主観的、あるいは自己中心的な理由はダメです。他人の存在自体を嫌ったら、自分の存在も危うくなります。これを言い出すと、地球という同じ環境に共存できなくなります。

宇宙に、宇宙そのもの以外「絶対的な存在」は無いように思います。自分が「絶対」なのは自分にとってだけです。みな相対的な存在で、自分も相手もだいたい等価値です。

差別が好きな人は人を差別するだけではありません。何かにつけて差別します。「どこのスーパー(あるいは銘柄)の牛乳は(卵は、野菜は、肉は・・・)どうも品質が怪しい」

確かな理由があれば、当然差別というか区別すべきですが、客観的な「エビデンス」なしで差別するようなら、差別好きと言わざるを得ません。何かにつけて色目で見る傾向があるように思われます。

人は贔屓したり、疎んじたり、日常、ついついするものですが、そこに理に適った根拠があるのかどうか、つまり正当な区別なのかどうか、絶えず自問する必要があるでしょう。

人には、よく自問自答して、なるべく公正に振る舞おうとする人と、まったく、あるいは殆ど自分の偏見に疑いを持たない人がいます。

前者は、差別的な行動も制御され、抑制されますが、後者は遠慮がありません。自分の好き嫌いを周囲に押し付け、同調する人は仲間、しない人は敵とみなします。

こういう人をどう導くか、心の尺度の狂いをどう気付かせるか、これが人間社会の大きな課題だと思います。

万一このような人が社会の指導的立場に就いてしまうと、社会全体が歪んでしまいます。

政治の世界に入れば、ヒトラーの如く、トランプの如く、最近の日本の如く・・・なってしまいます。

職場に入れば、企業はブラックになり、パワハラやいじめが横行してしまいます。

そうした地位に就かなくても、偏愛と差別的な行為が日常生活で起こり、体罰、虐待、DV等の犠牲者が出たり、家庭や仲間内の理不尽なルールが、歪んだ人間を再生産や増殖したりしかねません。

違法行為となれば取締りの対象になりますが、表沙汰になるのは氷山の一角です。

選挙による代表者の話し合いと諸制度で営まれる民主主義社会ではありますが、社会を構成するメンバーの心の問題は、ブラックボックスのままなんですよね。

いくら筋の通った議論をしても、元々筋とは無関係に自分たちに都合の好い結論を出そうとしている人たちの集まりでは、何の意味もないんですよね。

このブラックボックスを切り開いて、陽の光を当てて、もう少し除菌・殺菌・脱ウィルスをやる方法はないものでしょうかね。

少なくとも、格差・差別化・いじめを好む心理は警戒する必要があろうかと思います。

長くなりましたが、避けて通れない問題と思い、書かせていただきました。

ご高覧ありがとうございました!
(2)にもコメントもいくつかいただいております。ご関心をお寄せいただき感謝しております。


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心の問題を考える(2) [人間考]


前々稿で人間の心の問題の門まで来ました。さて、この門をどうやって開けようか、どう話を進めようかと、しばし思案をしています。

夏目漱石は、
【 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。・・・】

そして、住みにくい世を住み易く、長閑(のどか)にするのが詩人であり、芸術だと話を進めます。ご存知、『草枕』の冒頭です。


さすが、文豪ですね。さらりと面白く展開しています。私には文学のひとかけらもありませんから、このなんとも複雑な人の心に、不器用に切り込んでいくしか手がありません。

人の持って生まれた欲求にはどんなものがあるか?大雑把に行ってみます。

生存欲がありますよね、当然。食欲や保健・衛生、対人関係構築に向かいます。

性欲があります。類の保存、子孫繁栄に繋がる大事な欲求です。

感覚的な満足を得ようとする欲求があります。綺麗なものを見たい。良い音楽を聴きたい。美味い物を喰いたい。いい気持ちになりたい。

知的欲求があります。いろいろ知りたい。自然の摂理から事の成り行きまで、訳を知っておきたい。

世界に、宇宙に調和したい。困っている人や生き物がいたら助けたい。

それから自己顕示欲。自分の存在を知らしめたい。得意なことで名を売りたい。有名になりたい。

こうした欲求に並んで、人を差別したり、いじめたり、支配したりしたい欲求があると思います。

欲求の多くは金で手に入りますから、物欲・金銭欲となり、資本主義社会はこれを否定せず、経済活動のエメルギーとして肯定します。

しかしこれは物欲の強さや持っている能力の違いによって、格差を生みます。累進課税のような、格差是正の措置が不可欠です。

性欲あるいは生殖欲は、野生的で非文明的に感じられるからでしょうか、話題に上ることは稀です。欲求が一方的であることから被害者を産み、処罰や社会的制裁の対象になることも多々あります。マナーが問われますが、欲求そのものを否定すると、人口減少に繋がりかねません。

もう一つ厄介な欲望が差別といじめです。社会的には「人類はみな平等、互いの人権を尊重し合おう」ということになっていますので、差別といじめを肯定する議論は起きません。

しかし、そういう欲望が人々の心にないかというと、そうではありません。かなり根深く残っています。しっかり見つめる必要があろうかと思います。

日本の歴史を見てみても、皇族や貴族、武士、農民、町人、さらに被差別民などと、社会に階層がありました。同じ階層内でも上下関係があり、さらに家柄や血筋で差別していました。

人は、「人はみな同じ」と思っていないと思った方が現実に合っていると思われます。差別することにより、自己のアイデンティティを保つような性質があるのです。

「人類はみな平等、互いの人権を尊重し合おう」は表向きの建前に過ぎないのです。決して人々の心に浸透しているわけではありません。

人の心が心底そうなったら、つまり、相手も同じ人間だから相手の身になって考えて見ようとなったら、戦争など起きようはずもないのです。

どうして、悪気もなく一生懸命生活している人たちの間にミサイルなど打ち込むことができますか?

大事なことは、こちらの言い分とあちらの言い分との間の折り合いをつけることです。

「そんなことはわかりきっている、折り合いがつかないから紛争が起きる」そうかもしれませんが、そこに自分の方が由緒ある存在だという差別意識がありはしませんか。双方が互恵の精神で折り合いをつけようとしなければなりません。

それほど自己愛と他者差別の意識は人間に張り付いた厄介な性質です。自分たちの主張が、どう見ても正しいわけではありません。この性質を直視してコントロールしないと、人の間の紛争はいつになっても絶えません。

トランプ氏はアメリカファーストを言い出しました。自国第一主義は大統領としては当然のことで言うまでもないことですが、これを声高に叫んで他国とうまくいくはずがありません。

選挙に敗れたら、不正があったと言い出しました。自分は不正などしない正しい人間だが、自分に反対する人間は悪いヤツだからどんな不正を働くかわからないという思考です。こういう偏狭な意識を人間は持ちかねないのです。その典型ですね。

対中国問題も、人種差別問題も、解決するはずがありません。辛うじて一期でやめることになって、本当にほっとしました。

日本の自民党も差別主義に陥ってしまっていますね。「平家にあらずんば人にあらず」のようになっています。公明党と連立を組んで国会で絶対多数を獲得したら、日本を支配する組織集団と思い込んでしまいましたね。

「自分たちは何でも決められる、これに逆らう者はみな潰していく」と思い込みましたね。他者を尊重する気などさらさらなくなりましたね。

野党を足蹴にし、マスコミを潰し、官僚の骨を抜き、司法も抑え、学会も意のままにしようとしています。

自民党という組織が日本を支配するという構造を半ば作りましたね。そうなると、民の健康などはどうでもいいのでしょう、「国民の命と生活を守り抜きます」と言ってはいますが。関心があるのは、他国との経済競争や、オリパラ等の国際イベントです。

でも、次の選挙がちょっと不安になってきましたからね、この組織は、それを乗り切るためにどんな手を打ってくるかわかりません。下々をどう持ち上げて、その地位を保とうとするか、そういうことには長けていますからね。

差別といじめの問題は政治だけではありませんが、ちょっと長くなりましたので、一区切りとします。


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保健所がネックになっている? [時事問題]


今日の全国感染者数は7700人超え、これで4日連続の最多更新になりました。

昨日遅ればせながら、政府が、東京、千葉、埼玉、神奈川に緊急事態宣言を出しましたね。その折の会見で菅総理は
【 今回の世界規模の感染の波は私たちが想像していたものを超え、厳しいものになっています。】と仰いました。えっ、感染しやすいし、新型で治療薬もワクチンもないし、世界的な流行だし、「これは大変なことになったぞ」って素人目にもそう見えましたよ。

【 しかし、私はこの状況は必ず克服できると思っています。】と続けました。想像が外れた人が、必ず克服できると思っていても、その思いが当たる根拠はどこにあるんですかね?と思ってしまいます。

【 そのためにはもう一度皆さんに制約のある生活をお願いせざるを得ません。・・・】ときました。

揚げ足なんか取りたくありませんが、どうもお役人の作文の棒読みに思えて仕方ありません。

それより、現場がいよいよ逼迫してきましたね。地域や病院によっては既に医療崩壊が起きていると言っても良いのではないでしょうか。

ところで、一番処理能力を超えてしまっているのは保健所ですよね。陽性が発覚すると、保健所が管理し、病院や宿泊施設の斡旋、ないしは自宅待機の指示を出し、感染経路や濃厚接触者を割り出したり、電話で健康チェックをしたりしています。

保健所がコロナ対策のネックになっていることは始めから容易に想像がつきました。医療現場の逼迫や病床数の不足については、声高に叫ばれましたが、保健所の困惑状況については、あまり声が上がっていませんでした。

保健所の職員は公務員ですから、黙々と仕事に従事するだけで、仕事の量が多すぎるとか、やりきれないとかの不平不満は発信しない傾向があるのでしょう。

保健所は、最も大事な現場の一つとして、危機的状況の訴えや様々な提案をもっと早くからするべきだったのではないでしょうか。官民挙げて取り組まないと克服できませんよね。

なにせ、政治家がコロナ禍を重く受け止めていないで、未だに飲み食いの会合にうつつを抜かしているのですから、現場は官民を問わず連帯して知恵を出し合わないと、この難局は乗り切れませんよね。危機の時は「お役所仕事」ではダメです。

以上、また時事問題に引っ張られてしまいました。


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人類の心の問題を考える [人間考]


さて、一昨日は何を書こうとしていたのだっけ?

そうそう、差別といじめのことです。世の中、時の経過とともに良くなっていくものとなんとなく思っているのですが、現実はなかなかそうはいきません。

「三歩進んで二歩下がる」と歌の文句にありますが、現実は、もっと遥かに微妙です。九步下がって十歩進む、いやそれ以上に拮抗しているように思います。

なぜ人類の歩みは遅々としているのか?科学技術の進歩は眼を見張る勢いなのに、人と人との間の厄介な問題はなかなか解決しません。

例えば、国と国とのいがみ合いの問題。大量破壊兵器や無人の殺人マシン等を有するようになった国同士が戦争を始めかねません。

領土領海をめぐり、貿易をめぐり、地下資源をめぐり、宗教をめぐり、核兵器の開発をめぐり、覇権をめぐり・・・争いが絶えません。

一つの国の内部でも、問題が多々あります。Black lives matter.はアメリカでしばしば起こる人種差別問題です。中国では、自由と民主主義を求める活動家が弾圧されています。

経済格差も、人類共通の問題です。富の大半を、わずか数パーセントの人間が所有しているのです。有り余る資産を有する人の所得は膨大で、資産の乏しい人の所得は雀の涙です。貧困に喘いでいます。

人の間の問題は挙げればきりがありません。人類の長い歴史の中で少しずつ解決されてきたはずなのですが。

人権尊重とか、所得の再配分とか、法の下の平等とか、良い言葉が沢山あり、それを担保する仕組みも採られているはずなのですが、現実は甚だ不十分と言わざるを得ません。

こうした社会問題を、社会は何故解決できないのか、解決する仕組みがあれば、次第に解決されてしかるべきではないか、との疑問を持たざるを得ません。

民主主義とか、法治国家とか、三権分立とかいう制度を近代国家として誇らしげに掲げているではありませんか。でもこれらの制度は、実は有効に機能しているとは言い難い、むしろ空回りしてしまっていると見るべきなのでは?

どこに問題があるのでしょうか?社会制度の前に、人の心に問題があるのではないか。

人に物欲があって、損得勘定に長けていることを悪しきこととせず、活動エネルギーとして経済発展に活用してきたのが資本主義=自由主義経済です。

この仕組みの調整もいろいろな手立てが必要で簡単ではないと思いますが、人の心にあるのは、物欲だけではありません。

心の問題にも取り組んでいかないと、着実な進歩は生まれないのではないか。人類の敵はウィルスや天変地異ばかりではありません。人の心にもあるのではないか?

特に気になるのが、心に潜む「差別といじめの欲求」です。これについて思うところを述べたいのですが、長くなりましたので稿を改めたいと思います。

ご高覧に感謝します。
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