SSブログ

民衆運動が国を変える国と無視される国 [日本考]


フランスの民衆運動はマクロン政権を揺るがし、その政策を一変させる勢いを持っているように見えます。

日本でも、アベ政権の日米同盟への急傾斜や共謀罪法などの非民主的な法律制定に、万単位の民衆が国会周辺に集まり抗議行動をしました。

しかし、日本の場合は、明らかな失政があるにも拘らず、国政を変える事態には少しも至っていません。

この差はなんなのかと思いを巡らせざるを得ません。

一部が暴動に及ぶほどのデモの過激さが日仏では違うからでしょうか?

いやいや、デモ隊が過激な行動に出れば、日本の場合は、機動隊が大挙出動して取り押さえてしまうだけでしょう。

マスメディアも、そうした抗議活動はなるべく報道しないようにし、民衆運動の拡散・拡大を助長しないように努めてしまうでしょう。

日仏の違いは何なのでしょうか?

それは「国民主権」の浸透度の違いにあるのではないでしょうか。

あちらは骨の髄から国の主権は国民にあると思っているのです。国民が怒っていれば政府は吹っ飛ぶのです。国民が認めていればこその政府であり大統領なのです。

一方日本の「国民主権」は、国家が戦争に負けて、戦勝国が主権を取り上げ、これからは国民主権の国として生まれ変われと、国に体制を与えたものです。

国民が自らの力で勝ち取ったものではありません。戦勝国も、そのような体裁は採ったものの、本気で国民主権の国にするつもりなどはありません。

大いなる犠牲を払って占領した西太平洋の島国ですから、末永く自国の国益に供したいのです。従順な政府にいつまでも国をコントロールさせておきたいのです。

国民主権の国とは名ばかり、体裁だけですから、一部国民の抗議活動など、まったく取るに足りない「こんな人たち」の意思表示でしかないのです。

ただのさざ波にすぎません。メディアも国民の認識もそうなのです。「主権者が動いた、それ一大事!」とは、誰も思わないのです。

国民主権の認識・自覚の低さは、実は日本国憲法に現れているのではないかと、私は以前から思っています。

日本国憲法の前文といえば、国民主権や平和主義について高らかに宣言するものとして高く評価するのが通説です。ですがその書き出しは

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。・・・」

なぜ冒頭に主権者国民の行動を制約しなければいけないのですか。
「意見、異論があるなら、選挙で自分の意見を代表する国会議員を選べ」と憲法が初っ端で言っていると解釈できませんか?

国会周辺に何人人が集まろうと、国会議員の多数が決めたことが絶対なのです。政府や与党議員はそう思っているのです。

選挙には神経を使います、選挙前は策を練ります。議員を減らさないように万全の策を講じます。日本の国民主権はこれに尽きます。

フランスの憲法はどうなっているのでしょうか?

ネットで検索しました。

http://www.geocities.jp/sekaikenpo/fr.doc

フランス(1958年憲法)

前文
 フランス人民は、1789年宣言により規定され、1946年憲法前文により確認かつ補完された人の諸権利と国民主権の諸原理に対する至誠、および、2004年環境憲章により規定された権利と義務に対する至誠を厳粛に宣言する。
 これらの原理および諸人民の自由な決定の原理の名において、共和国は、加盟意思を表明する海外諸領に対し、自由・平等・友愛の共通理念に基礎づけられ、諸領の民主的発展をめざして構想されたところの新制度を提供する。

第1条
〔共和国の基本理念〕
① フランスは、不可分の、非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは、出自、人種あるいは宗教の区別なく、すべての市民の法の前の平等を保障する。フランスは、あらゆる信条を尊重する。フランスは、地方分権的に組織される。
② 法律は、選挙で選ばれる代表者的任務、選挙により就任する職務、および、職業あるいは社会における責任ある地位への男女の平等な参画を促進する。

第1編 主権について

第2条
〔共和国の言語・国旗・国歌・標語・原理〕
① 共和国の言語は、フランス語とする。
② 共和国の紋章は、青、白、赤の三色旗とする。
③ 国歌は、ラ・マルセイエーズとする。
④ 共和国の標語は、自由・平等・友愛とする。
⑤ 共和国の原理は、人民の人民による人民のための統治である。

第3条
〔主権の帰属・選挙・平等参画〕
① 国民の主権は人民に帰属し、人民はそれを代表者を通じておよび国民投票の方法で行使する。
② 人民のいかなる部分も、いかなる個人も、その行使を占奪してはならない。
③ 選挙は、憲法の定める条件内で、直接的あるいは間接的なものとすることができる。選挙は、常に、普通、平等、秘密とする。
④ 選挙人となるのは、法律の定める条件に従い、民事上および政治上の権利を享有するすべての成年男女フランス国民である。

以下省略します。

「国民の主権は人民に帰属し、人民はそれを代表者を通じておよび国民投票の方法で行使する。」と似たような規定はありますが、冒頭に制約するようなものではなく、制約のない人民が憲法を作っていました。人民の重みがやはり全然違うものでした。

日本国憲法は素晴らしい規定や宣言が随所にあります。しかし、これが理想で、これを守ることに意義があるとするのは、いかがなものでしょうか?

さらに良いものにしようという気概がないと、「隙あらば骨抜きにしよう」とか「基本的人権など認めていたら国力が発揮できない」などと考える人たちによって逆方向に改正つまり改悪されてしまうのではないでしょうか。

まずは「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」この冒頭に相応しくない規定を取るなど、さらなる民主化に向けた改正案を打ち出していく必要があるのではないでしょうか。

守りの姿勢はどうしても弱い、勢いが出ません。

人民の力が結局は国力なのではありませんか?


など、日仏を比較すると、思うのです。



nice!(16)  コメント(6) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。