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算数とさくらんぼ? [教育関連]

「劣化する日本」で教育の劣化が気になっています。

しばらく前から理系離れが囁かれています。学校教育にも原因の一端があるように思います。

教育改革が叫ばれ、高校入試問題などに「新傾向問題」が登場するようになりました。くだくだと状況が説明され、その中で問題が出されてそれに文章で答える、そんな問が目に付くようになりました。文章読解力、文章表現力を重視するようになったということでしょう。

日本人は議論に弱いところがありますから、それを意識しての改革と思われます。
ですから悪いことではありませんが、この傾向が蔓延すると、これでいいのかと思ってしまいます。文章読解力も文章表現力も、社会生活を円滑に進める上で大事な能力ではありますが、これがすべてではありません。

入試問題を作成する側は教育関係の公務員です。公務員に求められる能力はまさにこれでしょう。問題は、社会は公務員を再生産している場ではないということです。

物を考える力は必ずしも言葉とリンクしているものではないということがどんどん置き去りにされているような気がします。

入試問題だけではありません。日々の授業でも言葉が非常に重視されています。

国語は言葉の勉強ですから、言葉を重視するのは当然ですが、言葉を使って表現することにかなり重点が置かれるようになりました。表現力は大事な要素ですが、まずは中身を育てなければなりません。

考える力や感じる力は言葉を駆使する能力よりも先にあり、かつ大きいものです。混沌とした、あるいはもやもやとした中で感じ考えていて、それが適当な言葉に置き換えられて表現されるものです。

言葉の世界が先に脳内に作られ、その世界の中で思考が営まれると仮定することは、脳の働きに言葉の足かせをはめてしまうようなものです。

特に幼少期の脳の働きは、飛躍や空想に満ち、無限で闊達と言えるでしょう。こんな脳の働きを大人の浅知恵で固定してしまってはいけません。日本の将来を小さく萎ませてしまうことにつながります。

例を挙げます。
小学低学年の算数に「さくらんぼ計算」というのがあります。8+5のような繰り上がる計算の答えを求める方法として
「5を2と3にわけ、8と2で10、10と3でこたえは13です。いいですか、やりかたをりかいしましたか」と何度もしつこくやり方を教えます。

引き算もさくらんぼ計算を理解するようくどくどと教え込みます。
例えば 12ー5の場合、
「いちのくらいの2から5はひけないので、12を10と2にわけます。10から5をひいて5、5に2をたして、こたえは7です。このやりかたを《ひく・たすさくせん(作戦)》といいますよ、いいですか、わかりましたか?」

ご丁寧に《ひく・ひく作戦》も何時間もかけて教えてくれます。
同じく12ー5の場合
「いちのくらいの2から5はひけないので、5を2と3にわけます。12からまず2をひいて10、10から3をひいてこたえは7です。いいですか、わかりましたか?」

繰り上がりの足し算も、繰り下がりの引き算も、ドングリでもおはじきでも実際に数えてみればわかることで、なんでそうなるのか、そこに頭を使う必要はないはずなんですが、とにかくやり方を理解することと、それを説明することが重要視され、その力が求められます。

実際の数の取り扱いよりも、やり方とその説明が訓練されます。算数が嫌いになってしまわなければいいのですが、それが気になって仕方がありません。

学問の入り口ですからね、答が違っていなければいいんじゃないでしょうか。
考え方というのは、頭の中で自分で気付くものじゃないでしょうか。他人から教え込まれて覚え込むものではないような気がします。

みなさんはいかがお感じでしょうか?
ご意見ご感想をお待ちします。


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