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『エッセイ熊谷(第3号)』なるものが・・・ [身の周りのこと]

先月の二十日ですけれど、『エッセイ熊谷ー第3号』なるものが出ました。それに寄せた私の1800字エッセイ(=作文〉は次のものです。一応ご報告いたしますが、みなさまには、以前この記事で

卒業生にこんなお話しちゃいました
2021/03/25 06:56
https://mo-mo-taro.blog.ss-blog.jp/2021-03-25

既に、より詳しくお伝えしてありますので、新しいことは殆どありません。

以下が活字になりました。(読み易いように段落ごとに空白行をとりました。長いので読み飛ばしていただいて結構です)

【 卒業生に贈った言葉

前号で、会員皆様への自己紹介を兼ねて、今どきの小学校現場レポートを書きました。職場で得た感想ですので、目立たないようにペンネームで載せてもらいました。

それが、ある朝登校してみると、校長先生が一枚の紙を持って飛んできたのです。見ると本誌の私のページのコピーです。「これ、先生が書かれたのですか」

エッ、ヤバッ、バレタ?

幸い叱られることはなく、褒められたのですが、職員室で注目されることとなりました。

そんなわけで、今回は、前号の事後談をテーマにしたいと思います。少しお詫び訂正しなければならないこともありますので。

改めて読み直してみると、終わりのほうで、きめ細かい学習指導については課題があると、いかにも第三者目線で書いています。学校サイドはその点は承知していて、それを補うために「学力向上補助員」などの支援制度を設けて実施していたのです。ですから、この点は当事者意識を持って触れるべきでした。

次は、その後の出来事です。ことは卒業式の前日、突然起こりました。体育館で厳粛に修了式が行われた後、教室に戻る前に、学年主任の先生が「**先生、演壇に上がってください」といきなり私に指示が出されました。

「はあっ?」仕方なく国旗や校旗に一礼して演壇に立ちました。

「これから**先生からみなさんにお話があります」

(なんじゃと?、確かに二年間お付き合いして、すっかり親しくなった子どもたちと明日でお別れですから、お伝えしたい話もありますよ。でもこんな高いところからするのか??)破れかぶれのなんとかで始めちゃいました。

「・・・みなさんとは明日でお別れなので、教室で機会があったらお話ししようと思っていたことをお話しします。どうぞ気楽に聞いてください。

まず一つは、みなさんは素晴らしく成長されました。5年生の時は後ろから前が見渡せたのですが、今はみなさん大きくなって、ほとんど前が見えなくなりました。

身体だけではありません、態度も立派になりました。5年生の時は何かとトラブルが起きていましたよね。6年生になってからは一度も起きなかったのではないでしょうか。みなさんの成長ぶりは本当に素晴らしい、感心しました。

みなさんは、先生方にも恵まれていましたね。○○先生はテレビの司会者のような完璧な日本語でみなさんを導いてくださいました。

◇◇先生は、教室の雰囲気を盛り上げる名人ですよね。面白い話や仕草でみなさんを笑わせたかと思うと、さっと気を引き締めて元の勉強に戻ります。天才ですよね、あの技は。

それから、諸先生方の努力の賜物なのでしょうが、学校が明るく落ち着いてますよね。学校にも恵まれていたと言えましょう。恵まれていることには、感謝の気持ちを忘れないことにしましょう。

つぎに、私は知っていることは何でも教えていたのですが、歳を聞かれた時だけは、適当に誤魔化してまともに答えませんでした。

なぜ答えなかったかというと、歳はなるべく考えないようにしているからなんです。歳を考えると歳をとる、老けるんです。

実を言うと私は昭和23年生まれ。昭和をちょうど40年、平成をちょうど30年生きてきました。そして今年が令和3年ですから・・・

みなさんは若い成長期ですから、歳のことはいつも忘れないで、一年一年、歳相応に、あるいはそれ以上に成長してくださいね。

最後にもう一つ、みなさんの将来についてです。みなさんには、ぜひ幸せになってもらいたいと願っています。ただ、幸せになるには一つ気をつけることがあると思うんです。

自分の幸せばかり追っかけていると、幸せってキリがないんですよね。だからいつになっても幸せになれない。美味しいものを食べると、世の中にはもっと美味しいものがあるんです。それを食べている人がいると羨ましくなる。

どうか〈人の幸せも自分の幸せ〉と思える人になってください。そして周りのたくさんの人を幸せにするすごい人になってください。期待しています。

以上です。2年間お付き合いしていただいて本当にありがとうございました」みたいなことを壇上からお話ししてしまいました。

以上、『小学校体験談』のその後でした。】

以上が第3号に掲載されました。


問題は第4号の原稿です。ブログだとそのとき思いつくことを、長さに関係なくヘラヘラ書いているのですが、長さが決まっていて、会員で読み合うとなると、ちょっと勝手が違います。

さて、何を書こうかなぁ〜。十月はそんな月になりました、昨年からですが。

最近思うのは、楽天家のモモ太郎にしては珍しことですが、ちょっと不吉なことです。

アメリカの同時多発テロも、日本の東日本大震災とそれに続く原発事故も、この度の新型コロナの災害も、不幸は全て予告なしに、ある日突然やってきます。

次の大不幸も、ある日当然、いつの間にか、やってくるに違いない。そんな気がし始めました。次の大不幸とは何だ?

この世は想定外のことが起きるものです。想定外を想定するのは無理なことですから、そんな難題には挑みません。つまり、次の大不幸を想定しそれに備えようなどと思うものではありません。

しかし、次が何かとは別に、大不幸につながりそうな伏線の存在を、これは最早看過できない事態ではないかと、強く意識するようになりました。

何を指しているのかと言えば、各国の戦争への備えです。「抑止力を示すために」との名目で、ミサイル開発を進める国もあれば、同盟国間で軍事訓練を盛んに行う国々もあります。

核兵器、原子力潜水艦、無人爆撃機、ロボット兵器、サイバー兵器等々、兵器の開発競争に歯止めが掛かりません。これらが何か些細なことをきっかけに、世界中で使われ始めてしまうという事態が起きないという保障はありません。

大変物騒な状況が続いているのです。

こんなことをテーマに書こうかなとちょっと思っています。テーマが大きいので、シリーズものになりますよね。

さてどうしようかなって、そんなことをもやもや考えています。


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アヨアン・イゴカー

世界のあちこちの政権をみると、戦争、争いの根源をなくすための準備ではなく、戦争を商売道具(儲け、経済の一部)として利用し、それをいかに使うかばかり準備しているようです。これでは、戦争が起こらないはずがありません。戦争がないともうからない、この状況をなくさねばならない、といつも思っております。
by アヨアン・イゴカー (2021-10-05 09:40) 

momotaro

アヨアン・イゴカーさま
>戦争を商売道具として利用し、それをいかに使うかばかり準備しているよう・・・
そうですね、で使うことは少ないので、つい慣れっこになっていますが、本格的に使われないという保障はありませんから、やはり保有することから縮小また禁止していく必要がありますよね、安心して暮らすためには。
by momotaro (2021-10-05 20:43) 

gonntan

>無人爆撃機、ロボット兵器、サイバー兵器等々
これらは使う側の痛みを伴わないので歯止めが無いですね。
いよいよ政治や国民の意思と関係なく経済界の飽くなき
発展のために、兵器が使用される時代になりつつあります。
「人が喜ぶことをなせ」の中には自分の側だけでもそれが
成り立つのですから、「敵味方に拘らず、見ず知らずの
他人の痛みを痛切に感じることが出来るかどうか」が、
これからの政治家には必要なのではないでしょうか。
by gonntan (2021-10-06 21:07) 

momotaro

gonntan さま
「使う側の痛みを伴わない兵器」の開発が進んでいますね。現場の兵士に責任がない分、命令を下した決断者が全責任を負うことになりますから、使いにくさに変わりはないと思うのですが、やはり、攻撃者の肉体が危険に晒されていないと、より安易に攻撃を遂行できてしまうのでしょうね。
攻撃し易くなるということは、される側からしてみると、より強い抑止力を持つことになりますから、益々軍拡が進みますよね。
使い合ったら共に滅びるものを作り続ける!愚かな営みが続きますね。
>他人の痛みを痛切に感じることが出来るかどうか
この感性を着々と広めていくことが大事ですよね。
by momotaro (2021-10-07 20:15) 

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